接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

読者登録してからずっと読んでるブログ、読まなくなったブログ

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こんにちは!


今日は、読み続けているブログと、読まなくなったブログの違いについて書きます。


ええ、非常にデリケートな話題です。でも、ブログを書くきっかけって、誰かに読んで欲しかったんじゃないかと思います。それがやがてお金やピーブイに変わったとしても、それはそれ。読者が読み続けてくれているかどうかは気になるところだと思います。



ブログをやっている人は少なからず、他の人のブログも読んでいると思います。その中で


・読者登録してからずっと読んでいるブログ
・読者登録したけれど読まなくなったブログ


の2つに分かれていること、気づいているかと思います。

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読む側としてのわたしの結論を言うと、キャパオーバーしてしまうと新しいものを読む余裕はなくなります。新しいものを読む場合、いくつかのものを「読まなく」します。ブログだけじゃなくて、本も一緒です。好きな作家さんの新刊全部買いたいけど、読みきれないから結局、ある程度絞って読んでいく。時間もキャパも有限。


じゃあ、継続して読むものと、読まなくなってしまうものの違いってなんでしょう?







今日は禁断の場所へ踏み入る気分です。


一歩、踏み出してみましょう。





ほっ!





読者登録してからずっと読んでいるブログの特徴

・中の人に憧れている、尊敬している(魅力)
文章が素敵だとか、絵がうまいとか、頭がいいとか、もう「中の人が大好き!」なブログ。これは更新があるたびに読みたくなるし、更新してない日や内容が薄い日でも「忙しいのかな」「スランプかな」と心配になるだけで、読まなくなることは無い。完全にファンになっているブログ。


・安定して面白い(強さ)
もう、毎回安定して面白いブログ。きっちり笑えたり、きっちり読ませる力がある。常に期待を裏切らないので、読まなくなる理由が無い。毎日同じ時間に投稿されている場合は、その時間が楽しみになったりすることも。時事ネタをきっちり解説してくれるブログも「おっ」「へえ」言いながら必ず読む。



・中の人がとても近くに感じる(親しみ)
上記の二つとは少し違って、自分と近い感性を持っている人のブログであったり、同じものが好きな人のブログ。わたしの場合だと、走っている人や小説が好きな人、旅好きな人、ハードワークで病んでしまった人のブログがこれにあたります。こういうブログの場合はお互いに読みあっていることが多い気がします。



・長文過ぎない(気楽さ)
これは必須ではないのですが、毎回短いブログでサラっと更新している方のブログは、「ちょっと読んどこう」と読むことが多いです。はじめから長文だと分かっている人のブログは、読む前にちょっと構えちゃいます。(あとで読もうかな、と思います)←毎日長文書いてるお前が言うなですがw


これらが、わたしが読み続けているブログの特徴です。上から「魅力」「強さ」「親しみ」「気楽さ」です。読み続けているブログには、この4つの特徴のどれかが必ずあります。

どれか一つに分類されるというわけではなく、複数の条件を満たしている愛読ブログもあります。魅力的かつ気楽に読める、など。






さあ、いよいよ禁断の領域です。



怖いけどもう一歩踏み出すよ!



ほっ!





読者登録したけれど読まなくなったブログの特徴


・欝すぎる(欝)
これは申し訳ないのですが、わたし自身、自分のメンタルコントロールをして生きていかないといけないので、あまりに鬱々としたブログは読んでいて苦しくなることがあります。感情の起伏、というレベルなら大丈夫なのですが、毎日欝だとちょっときついです。読者登録をした時点では興味深く読めたとしても、自分が元気じゃない時はちょっと読めない…ということがあります。



・その人の訴えたいことが理解できてしまった(完結)
あっ面白い、と思って読み続けていても、あるとき気づいてしまいます。「この人が伝えたいのは、こういう生き方なんだな」と。以降、書き方やテーマが変わっても、その人の訴えたいことは変わらなくて、もう読まなくていいかなと自分の中で完結しました。これは気付いた時怖かったです。わたし自身いつか枯渇するのだと切っ先を突きつけられた気分になりました。



・感情を揺さぶられるブログ(苦痛)
人は様々な要因でその人の「考え方」を持って生きています。あまりに考え方の違う人や、考えが浅い(と感じる)人とは、リアルでも仲良くなりません。軽い世間話は大丈夫でも、ジェンダーや働き方のことに言及した瞬間、この人の考え方と合わない! と気づいてしまうことがあります。(この逆ももちろんあります)

また、これはわたしがダメ人間だからなのですが、あまりに素晴らしすぎる方の輝かしい話は読んでいると病んできます。。そこに一抹の虚しさやリアルがあればいいのですが、あまりに完成されていると、コンプレックスを刺激するだけなので、読めなくなります←ガラスのハートです


 

・書き手の顔が見えない(感情移入できない)
どんな人が書いているのか想像もつかないブログは、前提として「読む体勢を作りにくい」気がします。「何を言ったかより、誰が言ったか」論は好きではないのですが、実際これは一理あるなと思います。(痛感)

書き手の方が立場を明確にしてくれると感情移入しやすいっていうただのワガママなのですが。






これらが、わたしが読まなくなったブログの特徴です。上から「欝」「完結」「苦痛」「感情移入できない」です。

 

 

 

 

こうして書いてみて思ったのですが、読み続ける理由と、読まなくなる理由は真逆ではないんですよね。




「絶対読むブログ」と「決定的に読まなくなったブログ」は存在するんですけど、その間には「どっちでもないゾーン」が広がっています。気分によって読んだり、その時ハマっている趣味だから読んだり、たまたまお互いの考え方が近いとわかり、読みあっている時期があったり。

ただ、あまり「読み合っていること」に縛られなくてもいいのかなと最近では思います。(お前が言うなですがw)お互いにゆるく相手を知っていて、読んだり読まなかったり。自分の心にヒットした時はアツくコメントをしたり。それでいいのかなと思い始めています。





翻って、わたしは自分自身にも自分のブログにも、どうしても満足がいきません。誰かと比べたくなったり、何を基準にすれば自己顕示欲が満たされるのか、ほっといたらわたしの頭の中は、そんなことでいっぱいになります。

 

でも、それが超カッコ悪くて本質から遠ざかる行為だってこともわかってます。悩むし、つらい。

 

じゃあ救いは何?

 

 

そう問うた時、答えは「それでも進むこと」でした。なんだかんだ言いながら、会社も6年目。どんなに見苦しくてもグダグダしてても、這いずってでも進めばそれは確実に、真理への道。


ブログも、考えながらも続けていこう、人目を気にしすぎず、でも人を嫌な気持ちにさせないように、「読み続けてもらえる」 ようにやっていこう。



そんなふうに思ったのでした。



それじゃあ、また明日!



☆今日の過去記事☆

 

keisolutions.hatenablog.com

 

 

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