こんにちは。貫洞です。アドセンスを停止されているので、上の方からテキストがかけます。とても書きやすいです←
さて、今日は歌のことを書いてみたいと思います。
わたしは、21歳のときに歌がすごく好きになって、プロを目指していました。ただ、その年齢で目指すのはとても遅く、やめた方がいいと何人もの人に言われました。
21歳で歌をやりたいと思ったわたしの行動は、週に3回ボイストレーニングに通い、残りの4日はカラオケボックスもしくはスタジオの個人練習で発声と歌いこみをしました。計算ドリルを解く子どものように、ただひたすらに歌のドリルをこなしていったのです。
ドリルの種類が豊富な方がよいので、2人の先生についていました。1人の先生は個人レッスンで、週2回。もう1人の先生はグループレッスンで、週1回。このスケジュールだと、グループレッスンのときに自分がどのくらいうまくなったかの相対評価も感じられるので、当時のわたしにとってわかりやすかったのです。
さすがに毎日3時間、4時間歌いこむ人は少なかったのか、わたしの歌はめきめきと上達しました。正確に言うと、歌いこんで約1年経った頃、急にからだじゅうのパワーが歌に集まるようになったのです。
からだで歌う、という感覚。
これはぜひ経験してほしいんですが、声がどこまでも伸びていくし、体からパワーみたいなものがパーンと放出されるイメージ。歌にのせて感情も届けられる。そして喉が全然疲れない。当時のわたしは広瀬香美の「ロマンスの神様」、ドリカムの「うれしい! たのしい! 大好き!」、globeの「DEPARTURES」を連続で何度歌っても声枯れせず、男性の曲もキーを変えずに歌えるくらい低音も出せるようになっていました。もっと高音低音を使う曲は無いのかと難易度の高い曲を求めていました。通常使う声の何オクターブも上の音域を鳴らすことにも挑戦していました。
たぶん、何事でもそうなんだけど、本気になってそれをやると、よほど向いていない場合を除き、ある境地までは行けます。「体得する」というのでしょうか。だから本当に好きな仕事なら、1年から3年くらいは自分のすべてを注いでみてほしいと思います。そこまで行くと世界がぱあっと開けるのを感じられるから。
もうね、自分の中の何かが覚醒したって感じるよ。人の持つパワーのすごさを感じられるよ。体一つでなんでもできるって信じることができるよ。
「歌で稼ぐ」と決めたのです。当時わたしは工場のバイトと飲食店のキッチンのバイトをかけもちしていましたが、ライフスタイルを変えたいと思っていました。バイトのシフトを少し減らし、週に1度は何かしらのオーディションを受けるようになりました。
いわゆるレコード会社系のオーデションは年齢も高いので受かりませんでしたが、クラブシンガーのオーディションは2件受かりました。夜19時頃に出勤して、お客さんがお酒を飲んでいる間、ステージでパフォーマンスをするという仕事です。時給は千円と安いですが、歌が仕事になるなら十分です。オープン前にお店で発声練習ができることを考えると、練習スペース代も浮くし、最高の環境だと思いました。
あるクラブでしばらく歌いました。英語の歌詞を覚えて洋楽カバーを。初めはお客さんの前に出してもらえなかったけど、徐々にステージに上がるように。そしてステージ・ヒエラルキー(誰が一番メインで歌うか)が気になるようになりました。そのお店では1年ほど勤めましたが、生活苦になってしまい、時給の高いクラブシンガーの仕事を探しました。
次に見つけたのは本当の「クラブ」で歌う仕事でした。こちらは「ステージとステージの合間に接客をする」という条件付きだったため、時給が1500円でした。これなら生活していける、そう思って転職しました。歌を聴きに来ているお客さんはほとんどおらず、さびしいステージでしたが、やはり練習できる場所と歌える場所はありがたかったのです。
その「クラブ」で歌のステージが終わり、接客の席についた時のこと。
わたしの正面に座っていた高齢の男性が、わたしを指さして怒鳴りました。
「お前、わたしは歌手だからホステスとは違うって顔してるぞ! ホステスをバカにしてんだろ! おい! 夢追ってないで接客しっかりやれよ!」
わたしは真っ白になりました。
当時のわたしは、接客=高時給の仕事、歌=安い時給の仕事、という区分で考えており(わたしの時給は1500円で、キャスト(ホステス)さんの時給は3000円でした)、キャストさんの方が立場が上だという認識で動いていました。だから接客においてもでしゃばらないようにしていたつもりでした。それをこんなふうに怒鳴られてしまい、でもお客様にそんなことを言い返すわけにいかないし…
結局その場はベテランのキャストさんがとりなしてくれて事なきを得ました。
お客様が帰ったあと、更衣室でベテランのキャストさんに話しかけられました。
「さっきはお疲れ。あーいう時はね、一回大きな声出して困って見せて、そのあとお客さんに別の質問返しちゃえばいいのよ。えーそんなことないですう! ところでぇ、○○さんの夢は何ですかぁ? みたいにね。まあ、難しいとこだったけどね」
…なるほど。このひとの返し、すごい。こういうふうにすればよかったんだ。
この頃わたしは、夢を追っているという自分のスタンスが、年齢とともに恥ずかしくなってきていました。そして、このベテランのキャストさんのように、何かを極めた存在になりたいと思い始めていました。うだうだと世の中を這いつくばるのではなく、胸張って生きたい。そんなふうに考えが変わっていきました。
わたしは、歌に対して疑問を持ち始めました。
職業、クラブシンガー。確かにお金をいただいて歌っているけれど、わたしは何のために歌っているんだろう? 好きだから? ほんとに好き? 歌うのをやめて接客すれば時給は倍になるのに、どうして歌ってるの? 時給下げるだけの歌を、どうして続けているの?
どうしても人前で歌いたい理由って何? 自己顕示欲? なんかそれ恥ずかしくない? もっと稼げる仕事でお金稼いだ方が人生実りが多いんじゃないの?
その後、事務所に所属しようとしたり、足掻きましたが、最後まで歌はわたしを貧しくしました。財布が貧しいことによって心が貧しくなる良い例でした。わたしはステージに立ってマイクを持った瞬間に不機嫌になるようになっていきました。
「あんなつまらなそうに歌う人見たことない」
と言われたとき、もうやめよう…そう思いました。当時のわたしは、仕事と好きなことのバランスをうまく取れるほど大人ではなかったのです。
自宅にあった500枚のCDとCDを聴ける機械をすべて処分し、ギターもピアノもアンプもすべて手放しました。歌番組が見たくないのでテレビも捨てて、時代先取りの「なにもない部屋」でぽつんと暮らす生き方が始まりました。
この後6年間、わたしは1フレーズたりとも歌を歌いませんでした。鼻歌すら憎みました。音楽の流れる場所を嫌悪し、小説に没頭しました。無音の部屋で読む小説が、心を癒してくれました。音楽を失って自暴自棄になっていたわたしを救ってくれたのが、太宰治や坂口安吾の小説だったのです。
空白の6年間、わたしはアルバイトの休みのたびに神保町へ行きました。ボイストレーニングに行かなくなったので、生活費がぐっと下がりました。アルバイトは週4日も行けば生活はできます。週1日は神保町に行って本を買い、気に入った喫茶店でたばこを吸いながら、買ったばかりの本をめくりました。残りの週2日は何もない部屋でたばこを吸いながら、ぽつんと座って本を読んでいました。
歌を手放した時点で、わたしは「夢」を憎むようになっていたのです。歌わなくなった空白の6年間でわたしは、キャバクラの客引きをしたり、光ファイバーの飛び込み営業をしたり、通信機器販売の飛び込み営業をしたり、不動産の仕事をしたり、ヤフオクに手を出したり(売る方)、とにかく最大限にお金が稼げる方法を模索しました。
それじゃあ、また明日!
追記
☆今日の過去記事☆