こんにちは。昨日すべりこみでクリスマスに食べるケンタッキーを予約した貫洞です。
ケンタッキーのクリスマスの予約は、18日(金)締め切りです。また、締め切り前であっても、店舗のキャパを超えたらどんどん受け取り不可になってきます。つまり、買えなくなっちゃうんです。
現状わたしの最寄り店舗では、お昼の時間帯なら受け取れますが、夜の時間帯はもういっぱいです!(わたしは16時45分受け取りでぎりぎり予約できました)わたしはペアパック頼みました。夫と二人で食べるか、ゲストを呼ぶかは未定ですが、ペアパックはオリジナルチキン率が高いので好きなんです。食べたい方はお早めに予約をおすすめします。
さて、クリスマス目前。今日はケンタッキーではなく、プレゼントについて語りたいと思います。
さて、クリスマス目前。今日はケンタッキーではなく、プレゼントについて語りたいと思います。
もらうのも、あげるのも楽しいプレゼント。だけどそれが義理になってくればくるほどきついのもプレゼント。気持ちがないのにもらってしまうと重いのがプレゼント。あなたがわたしにくれたもの、キリンが逆立ちしたピアスなプレゼント。(この歌流行った頃はバブル期だったんだろうなー元気な時代が歌にあらわれているよ。ジェットにんぢん、ジッタリンジン)
プレゼント。
わたしも36年間生きてきて、他の人より若干少ないけれど、いろいろ受け取ってきました。ティファニーのオープンハートみたいなステレオタイプなものも受け取ったことありますよ。それで、わたしは26歳くらいのころかな。金属アレルギーが発覚して、いわゆる貴金属が一切ダメになっちゃったんです。
時計すら、チタンもしくはシリコンみたいな素材かつ、腕に触れる部分がごく小さいものでないとかぶれます。ふつーにポンと腕時計買ったら即アウト。
今つけてるのはコレです。仕事のときもプライベートもほぼコレ。軽いスポーツするときも実は結構いけちゃうし、スーツでも私服でもなんにでも合うからおすすめです。
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一本しか持たないし使わないと思えば、多少高くてもいいのだ。これ一本でもう3年くらい通してる。ちなみに夫からのプレゼントでした。夫はわたしのことをわたし以上に考えてくれて、わかってくれてる。
こういうプレゼントは嬉しい。わあ! 今日から早速使う! って箱から取り出して身に着ける。この瞬間はキラキラしてるよね。
ちょっと時代をさかのぼります。
若かりし頃、プレゼントをもらうなら「相手の使用済み」がいいと思っている時期がありました。今も、本質的にはそうなのかもしれませんが、相手が毎日使っているものや、身に着けていたものを欲しがったのです。
もちろん、いつもそうというわけではありません。いわゆる「恋の炎全開ファイヤー期」だけのことです。使用済みと言っても、別にパンツをもらうわけではありません。たとえばタバコ吸ってる時期は、相手が愛用してるジッポーをもらったことがありました。相手が着けていた時計をそのままもらって、ちょっとゴツめに着けている時期もありました。好きだから相手のものと一緒に暮らしたいんです。この気持ち伝わるかな…。
おなじ理由で、好きな人から本をもらうのも好きでした。「可能なら新品じゃなくてあなたが読んでいたものが欲しい」と言ったことがあります。紙って結構においを吸い込むから、読んでいると相手のにおいがするんですよ。本を開いた谷間のところに顔をつけて、すぅーっと息を吸い込む。紙のにおいに混ざって、相手のにおいが鼻腔に届いた瞬間、時間を超えて相手と価値観を共有しているような気持ちになります。
何のにおいもしないこともあるけどね。ムシューダ。
そうそう、わたしの誕生日は冬なんです。
12月はクリスマス、1月はお正月。わたしの誕生日は、このどちらかに一緒くたにまとめられてしまうことが多くて、幼少期はこれに常に憤慨していました。
だっておかしいじゃん。誕生日は誕生日、クリスマスはクリスマスでしょ? って思うんです。仮に「金額を2回分にした」というのなら、それを子どもにもわかるように説明してほしかったのです。その説明が無いから、子どものわたしは憤慨し、モノを破壊し、もらったプレゼントをその場でゴミ箱に投げ捨て、せっかくのパーティーをぶち壊すしかなかったのですよ。
どうして10月生まれの人は2回もらうのに、冬生まれのわたしは1回にされてしまうんだ! あと3か月早く生んでおけ! みたいな罵りで母をも苦しめました。もともと癇癪持ちだから、正直刺激しないでほしかったんだよね。なだめてくれればそれでよかった。だけどわたしの家族や周りは、わたしに対し「世の中でよく使われている言葉」でしか説明してくれなかったから、暴れるしかなかった。
また、わたしの親はわたしとおなじように頭が固いところがあって、些細な行き違いで何度も殴られた。
あるとき、わたしが「時間がわからないから、腕につける時計が欲しい」と父に言ったところ「腕時計なんて高級品、お前みたいなガキには10年早いんだよ!」と張り倒されました。わたしがイメージしていたのは、300円くらいのおもちゃの時計でした。時間さえ分かれば良かったのです。でも、父の頭では「腕時計=高級品」、それ以外に無いという考えでした。
でも、わたしが何度「300円の時計でいいんだ」という意見を言おうとしても遮られ、言おうとした何度目かの瞬間に張り倒されてしまいました。
その瞬間は歯をくいしばりましたが、父がいないところで弟を殴ったり母の財布からお金を盗んだりしてうさを晴らしました。
やがてわたしは家族からも疎まれ、パーティーと呼ばれるものには呼ばれなくなり、家族からのプレゼントも現金になりました。自分で欲しいものを買って、一人で何かして過ごしました。
昨年、わたしの母方の祖父と祖母がそろって天国へお引越ししたんだけど、この祖父と祖母だけは、クリスマスとお正月と誕生日を、それぞれの袋に分けてプレゼントをくれていたから大好きだった。たったこれだけのことで人の好き嫌いを決めてしまうくらいに馬鹿な子どもでした。
プレゼント。
ああプレゼント、プレゼント。
ふと思い立ってプレゼントのことを書き始めましたが、いろんな思い出が心の中をかけめぐった。これが走馬灯か!? ってくらいかけめぐったよ。しかし幼少期暗いな。発達障害の幼少期は大抵、闇が多いのです。性格そのものは底抜けに明るいんだけどね。それは今も変わらないよ。今は父も母も大好きだよ。こんな育てにくいわたしを大人になるまで面倒見てくれたのだから。大人になれて、今生きていて良かったって思う。
わたしは、いつ死んでも構わないんです。後悔なく生きてる。この価値観は夫とおなじ。夫もいつ死んでも本望だと言う。この吹っ切れ感が、わたしたち夫婦の共通項なのかもしれない。
死ぬ瞬間、脳裏に浮かぶものは何だろう? わたしは多分、夫の顔だ。初めて会った時の面持ち、そして初めて見せてくれた破顔した笑顔、落ち着いた、ゆたかな大地のような笑顔、見守ってくれる優しい笑顔。
愛する夫がくれた時計をして、今日もわたしは仕事へ向かう。時間を確認しながら、いつもわたしは夫の優しい顔を思い出す。
愛する夫がくれた時計をして、今日もわたしは仕事へ向かう。時間を確認しながら、いつもわたしは夫の優しい顔を思い出す。
恋愛全開期には使用済みのプレゼントが欲しいけど、安定期には長く使えるモノが欲しい…というお話でした。
それじゃあ、また明日!
☆今日の過去記事☆
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