どこの講座かは伏せるが、文章講座に出てきた。その場で講義とワークショップがあり、講座の後も課題を4回提出する。
文章のことだけが語られる空間。
語彙力について。使うと文章が台無しになる「使ってはいけない」言葉たち。横書き文章に慣れることによる弊害。
さまざまな知識が、その場で血肉となるのがわかった。ワークショップでは、ある縛りを用いてラブレターを書く、という課題があった。わたしは大好きな作家に向けて激熱なラブレターを書いた。
書き終えたあとの顔が紅潮しているのが進行役の人にばれた。皆の前でそれを読まされるという人生最大の羞恥プレイが始まった。声は震え……少し濡れた。
「あなたをもっと知りたくてゴキブリを食べました」という内容をただ書いた駄文だった。参加者からは一定の距離を取られてしまった。吐き気をもよおした方がいたら本当に申し訳ない……。
昆虫食の話題はあまりしないほうが良いのかもしれない。
さて、講座では「たくさん本を読んだら良い」と教わった。面白い本は、まだまだたくさんあると教わった。参加者の方が持っている本が面白そうだったので、近々わたしもそれを読むつもりだ。
ここまで読んでくれてありがとう。ここからは、ブログ運営会社によるブロガー引き抜き問題についてわたしなりの考えを書きたい。
最初に断っておくが、わたしには引き抜きの話は来ていない。
しかし、引き抜きの構図はなんとなく見えるので書いておく。
ブログ運営会社にとって、欲しいのはブロガーではなく、PVなんじゃないかとわたしは思っている。
実際、わたしのような弱小ブロガーにも、寄稿依頼を頂くことがある。詳しくは書かないが、わたしがブログで書いているある分野のことを、彼らの運営するサイトで書いてほしいという依頼だ。
彼らが欲しいのはほとんどの場合、わたしが書いてシェアすることによる「PV数」だ。わたしが書く文章ではない。それは話の熱量で伝わってくる。
少し考えたら想像がつくだろう。ブログ会社にしてもサイトにしても、運営している企業はPVという実績を出すために営業するのだ。
営業マン一人当たり何PV、みたいにノルマがあって、それを達成させるためにこの人とこの人に記事書いてもらおうと打診する。
企業なのだから当然のことだし、わたしもそれをわかった上で話を聞いてきた。今は見る影もないこのブログも、最盛期のPVはそれなりにあった。どこかへ寄稿して、それをシェアすればそれなりにPVを寄せることができたと思う。
しかし「1PVあたりいくら、何万PV超えたらいくら」という提案で仕事をくれた方には、申し訳ないけれど全部断ってしまった。中にはとても良くしてくれた企業もあったけれど。
あなたのブログのうち、旅ブログだけをうちの記事として書かないか、という提案もあった。本当はやりたくて仕方なかった。
でもやめた。
わたしは文章を書いているのであって、それを買い取ってくれるのでないと、書けない。もともと誰かのために書くのが苦手だ。今も自分のためにせっせと書いている。今日の自分を元気にするため。明日の自分がもっと書けるようになるため。未来の自分がこの駄文に笑う日を夢見て、ただ書いている。
それっぽっちの動機がわたしに毎日2千文字近い文章を書かせる。
結局わたしは「一本六千円」でコラムを依頼してくれたところでだけ書いた。そこはわたしの専門分野だけを書いていればよかったから。
しばらく書いていたらこの価格は少し変動した。上げてくれたのだ。
お前、金もらって書いてんのかと言われるかもしれないが、コラムにはそれなりの心血を注いでいる。わたしの血や肉の一部を切り取って焼いて出しているくらいの感覚がある。そして、コラムに書いた文章は納品先のものになる。もうわたしのものじゃない。
コラムを書くのは、こんなに楽しい事は他に無いと思えるほどに楽しい。
意図しない編集が加わることはまずない。むしろわたしの意図したものがまっすぐに伝わる写真を選んでくれたりする。(画像挿入もわたしの仕事だが、担当の方がより良い画像に差し替えてくれることがよくある)一本書くだけで勉強になることが山ほどある。だからわたしは必死で書く。真剣勝負をしてる。
ブログでは自分が書きたいものを発信しているが、コラムでは想定読者をきちんと置いて、毎回違う色のものを書いている。
お金を頂く以上、一日の遅れも許されないし、一文字の誤字すら後で見つけて二度と無いように気をつけている。文字数もなるべくぴたり合わせている。
話が逸れたが、わたしはブログを文章を鍛える場所だと思っている。スポーツクラブのようなイメージ。
実際問題、毎日が戦いだ。基本は自分との地道なトレーニングなのだが、同じコースを走る人がたくさんいる以上、多少なりとも競争心のようなものが芽生える。どの基準で勝負を決めるかは人それぞれだが、わたしは勝手に「一定水準以上のエントリを、一定頻度で上げること」を自分に課している。自分より上手にそれができている人を見ると、あまり言わないが実は悔しい。
しかし同時に嬉しい。あ、まだまだ頑張ろうと思わされる。
最近のはてなは、少し絵に寄りすぎていないだろうか。
確かに絵は魅力的だ。一コマの絵を描き、そこにコラム形式で文章を書く人をわたしは好きだし、漫画を連載しているブログも好きだ。しかし、ブログサービスがこぞって「絵が描いてあるのが素晴らしい!」と絵だけに傾倒しすぎてもつまらない。
ここはブログだ。人に伝えるために書く場所だ。絵は確かに伝わりやすいが、伝わりにくい文章というツールでしっかりと伝えている人をきちんと見えるようにしてほしい。
わたしは面白い文章が読みたくて、書きたくてブログを書いている。
絵を描くブロガーがライブドアに引き抜かれているが、わたしは生暖かく見守っている。描く側はメリットがあれば移るし、運営側もメリットがあるから描く人たちを守るのだろう。
それより、はてなで書く人たちがどんな文章を書いているのかの方がわたしは気になる。
わたしは書評を書くのが苦手だ。でも文章講座で少しそれが克服された気がする。今なら書評が書けそうな気がするのだ。気がするだけかもしれないが、苦手な個所を克服していって、穴があれば埋めて、知らないことを貪って前に進めばいい。
文章の良し悪しは、人の心に刺さるかどうかだ。
最後のひと刺しをするために、ぐっと引き込んでおくことが必要になるし、少し飾った言葉を置くことも必要になる。 しかし、シンプルな言葉で刺すこともできると講座で学んだ。やれそうだ。
今年書いたブログ記事を、来年の自分が「下手くそ!」と笑っていたい。
わたしは文章を書くことにハマっている。ただそれだけで、仕事終わりでこれからやることもあるってのに2800文字も書かせてしまう。
お疲れさまでした。
また明日。
☆今日の過去記事☆
ブログ論。
わたしが虫を食べるようになったのは、ある作家さんのある短編がきっかけ。
あ、あの先生の作品について一度も書いてないかも。。
意外と好きすぎると書けないもんだなあ。。