ぼくの右手は常に〇〇〇をいじっている。親指でチョイチョイと左右に擦ったり、全体を握りしめたり、そこを見ながら触ったり、きみを見ながら触ったりする。
ぼくはきみに伝えたいことがたくさんある。ありすぎてどうしていいのかわからない。当たり前に受けてきたみんなと同じ教育。みんなと同じような感想しか言えない貧相な感性。一流のコメディアンならきみをもっと笑わせられるのに。一流の歌手ならきみに向かって歌うだけできみの心をつかめるのに。
ぼくは何も持っていない。普通の、ただの男だ。それがたまらなくもどかしい。きみを幸せにしたい。きみに大好きだって今すぐ言いたい。
それが言えなくて、結局ぼくは乗り合いバスの中でたくさんの「同じような人」に紛れながら、何もすることがないのに右手でスマホをいじるしかなくなっている。ぼくの右手は所在なさげにスマホの画面をオンにして、それからひとつ右、もうひとつ右、そうしてまた左、左と戻してくる。
この動作を乗り合いバスに乗ってからずっとやっている。家ではきみとのチャットでの会話を読み返しているけれど、今はきみが横にいるのだから、スマホの画面には何も新しい情報がないし、見るものおない。ぼくは、ぼくの左隣に座っている君に体を寄せながら(乗り合いバスは詰めるのがマナーだからどうしても密着してしまう)、それでももう一度スマホの電源をオフにしてまたオンにして、最初からその動作を繰り返している。
ぼくの右手は一体どうして止まらないんだろう。
ぼくの右隣に座っているニホンジンの女がぼくを見てにっこり笑ってきた。一応笑い返すけど、観光か留学で来ているんだろうな。ニホンジンはすっごくいいやつと、たまに嫌なやつがいる。ほとんどいいやつだからぼくはまあまあ好きだ。
しかし、ニホンジンはどうして英語がぜんぜん話せないんだろうな。ぼくだって、学校の成績は普通だったけど、英語は普通に話せる。ニホンジンは英語を勉強するためにわざわざフィリピンまで来るなんて、一体どうなっているんだろう。自分の国でやればいいのに。
そしたら、好きな人と離れ離れになることもなくて、いつもの生活ができるのにな。
ニホンジンの女はぼくに「Good luck!」と言い残して乗り合いバスを降りた。やっぱり、語学学校のある場所で降りた。留学生だったんだな。
ぼくは彼女に向かって口角を上げたちいさな笑みを作り、スマホをポケットに入れて、ぼくの大好きな人に向き直った。
★★★
いきなり始まって、いきなりおわるショートストーリー。
これはセブで乗り合いバス「ジプニー」に乗っていたときに見た若い恋人の一コマです。女の子はツンと取り澄まして前を向いているのに、男の子は彼女の顔色をうかがうように、すごく必死でした。そして男の子はスマホの画面を意味なくオンオフして、右、右、そして左、左と動かして、何も見る者が無いのにずっとスマホの画面を見ていました。
きっと彼は、家ではち〇こを弄っているのだと思います。童貞です。だからどうしていいかわからない。どうしたら彼女が喜ぶのかわからない。
彼女の方も、ほんの少し彼女の方が笑ったり声をあげて何かをすれば場が盛り上がるとわかっていても、あえてそれをしない。彼のことが本当に好きで恥ずかしいのかもしれないし、ちょっと傲慢な性格で、彼にもっと頑張ってほしい、なんて思っているのかもしれない。
男女の機微はどの国も共通。おんなじ。
フィリピン人は街中で友達とかと話すときは現地語で話しますから、その内容はほとんどわかりません。外国人と話すときには流暢な英語を話してくれますが、現地の人同士は現地の言葉を使います。
だからわたしは、ある程度こうしてセブに来ていても、現地のことがわかっているようでわかっていないのです。
そして、わかっていないから、わかりたくなって、もっともっと知りたいと思うのです。全部わかっている人のエッセイなどを読めばいいのでしょうけど、まだまだ体力のあるうちは、自分で体当たりしていって、現地のことも人生のことも、全部自分で体得した知識で語りたいなあと思うのです。
まとめ
何が言いたかったかというと、思春期の男の子がち〇こをいじる時間は減っていると思います。そしてそれはスマホが原因じゃないかと思います。
わたしの知っているおっさんは、スマホをいじるより、ち〇こをいじると言います。スマホをいじるのは好きな女の子とLINEするときだけだと言っていました。おっさんはスマホよりち〇こ。若者はち〇こよりスマホをいじります。
いろいろ考えたのですが、オッサンの方が経験値が高くていろいろ上手なので、オッサンに軍配ありです。若者はスマホの充電器を遠いところにして、少しスマホ以外の時間を作ることに注力してほしいです。
大きなお〇ん〇んは、一日にしてならず。
今日はここまで。
それじゃあ、また明日!