接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【子育て】命が継承されていくということ【気楽にいこうよ】

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こんにちは、かんどーです。

 

 

40歳近くなってくると、たくさんの人を見送ってきた気がします。身近な人もそうだし、好きだったアーティストもこの世界からいなくなっていく。それがたまらなく悲しくて寂しくて、どうしたらいいのかわからない。

 

 

そんなこともあり、「命について」よく考えるようになりました。最初のうちは、自分があとどのくらい生きて、どんなことを成し遂げられるのか、ということを中心に考えていました。

 

そのうち、「何を残せたか」ということに焦点がいくようになり、わたしは何を残せるだろうかと考えるようになりました。

 

 

本や作品という形で後世に残るものをつくっている人は、それで納得するのでしょうか。わたしにはわかりません。何も残していないから。

 

 

 

その後わたしは考えました。わたしが死んでも世の中に残る「仕組み」や「機関」、そして「会社」。わたしはこれを大切にしていくべきなんじゃないかって。そして、わたしと出会ったことで少なからず影響を受けてくれた人が、これからの世の中を作っていけるなら、それでいいんじゃないか、それも「継承」のひとつの形じゃないだろうか……って。

 

 

そんなふうに決着をつけて、日本からふたたびセブに戻ってきたんです。わたしが日本にいたのは2週間弱。だから、セブは何も変わっていないだろうと思っていました。

 

 

わたしの住んでいるうちの前には、白い犬が2匹いて、どちらも大人。その白い犬がよく道に寝そべっていて、3か月間毎日それを見続けていました。

 

「白い犬」って、毎日毎日見ているとそのうち風景と同化するんですよ。もうその犬がどうとかあまり思わなくなって、ああ今日もいるな、くらいにしか思わなくなるんです。

 

 

その白い犬が、わたしがいない2週間弱の間に、出産していました。

 

 

生まれた子犬は、やっぱり白い子でした。

 


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あれ、この犬おなかが大きいな、とは思っていたのですが、ほんとうに妊娠していたんですね。かわいらしい子犬と一緒にいました。 

 

 

子犬は一日ごとに大きくなっていくようで、たった三日ですが、初めてみたときより大きくなっている気がします。成長が早くて驚く。


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この白い犬は、じぶんを子犬に継承したのだと思います。

 

 

人間社会でも、子を産み育てることは「尊いこと」とされています。そしてそれが神格化されすぎているため、母性があるのだから母親はもっと〇〇しろとか、母乳がどうこうとか、3歳までは母親が育てろとか、やかましい外野による議論がなされているわけですね。

 

しかし、セブ(フィリピン)にいるとその「やかましい外野」がいないんです。

 

飲食店で子どもが騒いでも当たり前。というか、何も妨げられることなくはしゃげる状態だと、子どもって子どもらしくはしゃぐんですよね。しつけもおおらかというか、「大概にしときなさいよ」くらいで終わってる。

 

ごはんを食べていたら別のテーブルの家族の子どもが一人、わたしのテーブルに座っちゃったことがあるんだけどw その時も親が飛んできて謝るということはなく、「戻ってきなさい」と声をかけただけで、子どもはしばらくすると自分で戻っていきましたw 親御さんは「アハハ、ごめんね、子どもが座っちゃって」と言ってくれたけど、子どもはじーっとこっちを見ていただけだったし(外国人が珍しかったのだろうと思うw)、全然迷惑じゃなかった。

 

日本だったら、そういう状況なら親が飛んできて謝って、子どもを抱きかかえて自分の席に連れて帰るよね。日本しぐさ。

 

 

どっちが良いと言い切るつもりはないけれど、セブにいると「子どもがいるのっていいじゃん」と思うことが多い。いろいろ許されながら育児できるだろうなと想像できるから。

 

対する日本だと、仕事を続けながら育児をする場合、「お前、仕事も育児もするって自分で決めたんだから、両方ちゃんとせえよ」という無言の圧力すごい。もうこの圧力だけで「脳内で育児充分楽しみましたありがとうございます」と放り投げて逃げたくなるくらいすごい。

 

 

それでも産み、育てている人達は、何にどう納得して「産むこと」を選んだのでしょうか。

 

 

わたしの乏しい想像力で考えたところ、これは「継承本能」ではないかと思いました。

 

 

人間とは、男女が結ばれたら、命をはぐくむようにプログラムされているのです。

 

 

わたしは発達障害(この言葉あんまり好きじゃないけど)があり、破天荒な20代を過ごしてきました。破天荒な時期は、とにかく揉め事を起こしてはその後処理をする……の連続で、落ち着いて何かを考えるとか、まったくできなかった。

 

それが30代になって少し落ち着いて(それでもまだまだ破天荒だけど)、人とじっくり話をする、ということができるようになりました。

 

やっと、「人を理解する」とはどういうことなのか、ぼんやりわかってきました。そして、わたしも「継承」を意識するようになったのです。

 

 

わたしにも守りたいものがあります。継承していきたいことがあります。だから今、目の前の仕事を頑張れているんだと思う。

 

 

たぶん、わたしが継承したいことは、あと数年後に発表できると思います。

 

 

それじゃあ、また明日。