接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

この世界でいちばんうつくしいものは人の魂である

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壮大なタイトルで書き始める。文章はあちこちに飛ぶかもしれないが、最後に伝えたいことはひとつだけなのでそれはタイトルに書いてしまえば良いのである。


今わたしは心がふるえている。こんなに心がふるえたのはいつぶりだろうか。いや、この程度のふるえは最近行ったライブで充分に感じている。ああ、そうか。ライブをやってお金を取れるかどうかというのは、この「心の震え」を人に与えられるかどうか、なのではないだろうか。


わたしはここ最近文章が書けずにいた。文学フリマに申し込んだ6月頃には信じられない勢いで、書くことに対してまっすぐ向き合えずにいた。ブログが人に与える力が落ちていることも少しは影響したけれど、多くの原因は自分自身の内面の変化だと思う。

わたしは今年の3月からフィリピン、セブ島に移住した。

移住してすぐの頃は浮かれたようなレポートもあったかもしれない。でもその後、内容を大きく書き換えなければ生きて行かれないほどの出来事が自分に起こり、私は禁じ手である「後からブログ記事を書き換える」ということをした。結果としてわたしはある出来事を「なかったこと」にしたかったのだ。そうすることで自分を早く軌道に乗せたかった。

わたしは自分のコントロールはうまいほうなので、この判断は功を奏し、セブ生活は一気に楽しさと向上心と好奇心に満ちたものに変わっていった。たこ焼きの屋台をひとつやっているだけとは言え、ひとつの物事を自分の手で自分の色に染めてつくりあげていくことがどれほど楽しいかは、想像に難くないだろう。わたしの日々は高揚したものになっていった。

近所の人たち(ほぼフィリピン人)と顔を合わせて挨拶をかわし、近くに住んでいる日本人の方々と親密に付き合い、日本にいるときはしてこなかった「地域」「コミュニティ」というものと密接にかかわっている気持ちがした。最小限のコミュニティは屋台だ。わたしの屋台では5人のスタッフを雇っている。わたしと彼女たちを合わせた6人、これが最小限にして最重要なコミュニティだ。この6人でお店を作っているのである。

小劇団をやっているような感覚、と言うと伝わるだろうか。これは人生の中のひとつの舞台なのだ。軽く考えて参加し、軽く抜けていく者もいれば人生賭けて参加している者もいる。(わたしだ)


話が大きく飛躍してしまったが、わたしはセブ島において、非常にエモーショナルかつ人との距離が近い生活をしている。そのため人生そのものが息をしているだけで舞台に立っているような気持ちになり、結果として何も書けなくなってしまったのである。書いて人に伝えることがどれほどに素晴らしいかわかっているのに、書けないのだ。書くことに対し、敬意と憧れと使命感を持っていたし、今でも持っているのに書けないのだ。わたしはわたしが薄くなったような気持ちがした。

書ける人を見ていてうらやましかった。するすると作品を産んでいるのを見て焦った。どうしたらいいんだろうと思った。結局今の今まで、書けるようになることはなかった。今やっと、震える手でタイピングしている。今なら書けそうな気持ちにやっとなってきている。ここまでもってくるのにずいぶん長い時間がかかった気がする。


書くことを止めて以来、わたしは曲を作るようになった。おもしろいもので人の心というのは、どこかをふさぐと別のところから何かあふれてくるようにできているものらしい。同時にできないのはわたしが不器用だからだろう。

わたしは曲をつくるのが好きだ。思ったところに音符をひとつずつ置いて、その並びがうつくしいかどうかをジャッジして、最終的な「メロディ」を決める。ひとつ「メロディ」が浮かんだ時点で「テーマ」はすでに決まっている。その「テーマ」を踏み外さない「メロディ」をいくつか作っていく。うつくしいかどうかのジャッジ、決定、完成。ジャッジ、決定、完成。それを繰り返して最善の形に並べて「フレーズ」になり、それがまとまるとAメロとかBメロとかになって、最後の盛り上がりCメロになっていく。デスノートのメロのことを思い出して心が別の方に走り出しそうだがこのまま続ける。

その曲に歌詞を付けることで「歌」になるのだが、わたしはなんと! こんなに毎日文章を書いているのに歌詞が書けないのである。だからブログで作詞家募集をした。当初は「歌詞が送られてくる」→「メロディをつける」という流れだったのだが、このやり方はわたしには少々きつかった。なので「わたしがつくったメロディに歌詞をつけてくれる」方を探した。自然と一人の方がそれをしてくれるようになり、わたしの曲にどんどん命が吹き込まれていった。

参考までに、彼女が作った歌詞の一部を公開しよう。私が「ラララ~」とギター一本で歌ったメロディに対して文字数ピタリ合わせてうつくしい歌詞を書いてくる彼女は素晴らしいと思う。わたしがいちばん好きな彼女の歌詞はこれだ。


「うすく光る街灯の下 閉ざされたあなたへの扉
触れるとすべてが砂になり どろどろと崩れ落ちる」


閉ざされた と あなた の母音が一緒なのでつなげて歌うととてもきれいなのである。それも考えて作ってあるのだと思う。彼女の歌詞は口の中がきれいになるような歌詞だ。鼻濁音をちゃんと使って上記の歌詞を読むだけでわかる。わたしがつくるとこうはならない。口の中が「いつものごはん」を含んだみたいになるのだ。わかるだろうか。。



曲作りの話はこのへんにしておこう。とにかくわたしは最近まで、曲をつくることが唯一の表現手段だった。それをするために文章を封じたのか、それともちがうのか、わたしにもよくわからない。ただ一つ言えるのは、今この瞬間わたしは文章で表現できる、と頭上から稲妻が落ちてきた、それだけだ。だから今書いている。


こうなったきっかけはなんだ? と考えると11月19日の午後16時20分に打ったインフルエンザの予防接種だと思っている。これを打って急に稲妻が落ちてきて、文章が書きたくてたまらなくなり、矢も楯もたまらず帰宅してこれを打っている。


実は危なかったのだ。

文学フリマは来週に迫っているというのに(11月25日の日曜、流通センターにて小説を売ったりするイベントがある。そこのF-39ブースにわたしは出るのである)、わたしが参加した短編集の書籍化でミスをし、あやうく間に合わないところだった。
※結果としては間に合うことになったので今こうして書いている

そしてわたしが「出します」と予告してあった「ブログにかけない裏本」は以前書きかけた文章があるにはあるけれど、まったくまとまっていない状態。さてどうしたものかと思ったのだが、ここへきて稲妻が落ちてくれたので多分大丈夫である。わたしが出す裏本はコピー本なので、11月24日の明け方までに書きあがっていれば印刷して持って行けるのだ。締め切りは文学フリマ当日の朝なわけである。(実際はもう少し余裕を持ちたいものだが)


何が言いたいかというと、結局世界でいちばんうつくしいのは、それをうつくしいと感じる人の心なのではないか、ということだ。


どんなにうつくしいものも、それを受け入れる人がいなければ廃れていく。うつくしさOH BABYなんて小沢健二が言っても誰も聴かなかったらひとりごとOH BABYなわけである。オ〇ニー万歳だ。


小沢健二がオ〇ニーにならなかったのは聴く人がたくさんいたからだ。わたしもオ〇ニーばっかりしている自分になりたくない。中途半端に何かをやりかけてやめたり、誰かの文体模写だけをしているのはオ〇ニーだ。自分の歌に酔うだけになってもオ〇ニーだ。


わたしは結構正直に言ってしまうと、歌うことにそこまで興味が深くない気がしている。歌っているときの脳内は「この曲どうですか?」である。わたしの声のうつくしさに酔ってほしい気持ちはかなり少ない。しかしわたしの声で届けるしかないし、わたしが直接届けるのが一番良いだろうと思うから、わたしは歌うのである。だからわたしはわたしの曲、作詞家の歌詞を「ちゃんと」届けるために歌うのである。そうなると今のレベルでは全然ダメ。ギター弾き語りスタイルを選んだのは、それが一番自由度が高いから。わたしがギターを弾いてわたしが歌う。これだとその場に合わせてセットリストを組みかえることが容易いし、簡単に「本気出せる」のだ。

「簡単に本気出せる」というのは素晴らしい。家で一人で練習しているとき、すでにギターと歌はそこにあるから、本気で練習ができる。もしもこれがバンドとかだったら、わたしはスタジオに入るまで「なにをしたら良いのやら」と混乱する。仕事もそうだが、わたしは常に全体像が見渡せていないと完成させられない人間だ。だから自分でつくるのだ。


そうだ、歌だって文章だって仕事だってそうだった。


設計図を書き、こうしたいと強く願い、思いを形にするためのパーツをひとつずつ自分でこしらえていき、どうしてもできない部分は人に頼んで仕上げてもらい、最終的に自分という媒体で発信していく。これだけのことだ。


わたしはわたしというプロジェクトに人を巻き込むことがとても下手だ。だから適度に周りが起こすプロジェクトに参加して自分を試していく。小説であればアンソロジーに参加するとかそういうことだ。音楽でも1回限りであればだれかと一緒にやるかもしれない。

でも、基本は一人だ。

わたしは何をするときでも結局こう答えてきた。

「一人でやります」


わたしはこの世界でいちばんうつくしいのは、人の魂であると思っている。苦汁を味わい、色をなくした世界の中で、それでもうつくしいものをうつくしいと認め、理解し、ひねくれた自分をまっすぐに正して生きる姿はうつくしい。

最初からうつくしくて汚れていない人もいるかもしれない。めぐまれた環境で「ほらお金をあげるわ、うつくしいものを見てきなさい」とお金を出してもらえた人がいるかもしれない。わたしはこの汚れた世界に投げ出された一つの小さな命だから、本当はそういう人が大嫌いだ。恵まれたやつらなんてみんなどっかいっちまえと思っている。


しかしそういう自分も超越して、うつくしいものはうつくしいですねと言えるように自分を正している。ものすごく苦しい。生きているのが嫌になる。全部なくなってしまえばいいのにと思う。いますぐ世界が終わってしまえと毎日毎夜思う。


わたしをこの世界につなぎとめているのは間違いなく、仕事だ。わたしは仕事の才能が少しばかりあるらしく、仕事をしているとある程度何事も形になるのだ。お金の神様がわたしのことを好きなのかもしれない。いつまで愛してくれるかわからないけど。

そのわたしが、うつくしいかどうかで苦しむわたしをいつも支えている。

仕事なんて淡白なものだと思うかもしれないが、実は実生活の中にこそほんとうにうつくしいものが隠されているのだ。わたしはたくさんのうつくしいものに、美術館ではなく仕事で出会っている。わたしの心を動かしたのは、セブの人や車がひしめきあう市場でキャベツの芯をとって売るエリザベスの姿であり(※エリザベスは屋台のスタッフである)、携帯ショップの仕事で熱心なトークでお客さんをすっかり楽しませて販売する、うちのスタッフの姿であったりする。

 


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わたしは自分の住む世界が、わたしの仕事に関わってくれた人が、幸せであるようにと願っている。たぶん、この気持ちが純度が高いのだ。下手に曲を作ったり文章を書くより、ずっと純度の高いものがわたしのこの気持ちだから、仕事がわたしに「うつくしいもの」を返してくれるのだと思っている。


わたしは人間としてまだまだとても未熟だ。しかしひとつだけでも強みを持っているというのは良いもので、仕事をしている時間にわたしの魂が浄化されていく。


文章を書くことや、曲を作ることがどこまでいくかはまったくわからないけれど、うつくしいものをうつくしいと言えるうちはやってもいいと思っている。もしそう思えなくなったらわたしは休むと決めている。


とても長くなったけれど、わたしはこれからも文章を書いていこうと思う。音楽をやっている時期は少しお休みするかもしれないけれど。

だけどやっぱり文章は、わたしにとって自分を表現するとてもすてきなやり方だと思った。このブログは閉鎖した方がいいかと思ったこともあったけれど、強い思いがたくさんこめられているから、やっぱり消さずにとっておこうと思う。そして、続けて行こうと思っている。


長い長い文章を書いたけれど、これは序章。


これから11月25日(日)の文学フリマで販売する「ブログにかけない裏話」をしっかりテキストに落として、ブースに遊びにきてくれた方へ販売しようと思う。(内容は本当にえげつないと思うので、ネットに載せないと誓ってくれた方のみへの販売とする)


わたしはまだ枯れていないし、やめていない。これからだ。


日曜予定が無かったり、シェアハウスの居心地が悪かったりする人はみんな文学フリマに遊びに来てほしい。人恋しい人は事前に言っていただければ、握手やハグくらいなら対応する。メインは小説の販売なので、小説にも目を通して、気に入ったらぜひ手に取ってほしい。後悔させないクオリティだからわたしはそこに立つし、わたしの本を売るのだ。


これからも当ブログを、そしてわたしの活動すべてを見守ってくれたらうれしい。
わたしは死ぬまで新しいものを産み続ける。


2018年は初の海外移住を成し遂げた、わたしにとってとても大事な一年だった。
書き残したいことはまだまだたくさんある。


それじゃあ、また明日!