接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【超黒歴史!】ヌードモデルを頑張っていた頃の話

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今日の記事は2018年の記事を復活させたものです。
黒歴史自分語りになりますが、お読みいただければ幸いです。

この黒歴史語りは明日まで続きます。
明日への架け橋です。(サイモン&ガーファンクル


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こんにちは、私です。

 

 

一言ことわっておきますが、今日の記事は食レポではありません。東京は浅草、田原町駅から徒歩5分のおいしいラーメン屋さんを紹介はしますが、ほとんどがわたしの黒歴史語りとなります。ラーメンの話だけが読みたい方は「浅草   馬賊」で検索してほかの記事を読まれることをおすすめします。

 

一応最初に紹介だけしておきます。「馬賊」の「担々つけ麺」。

 



 

 

 

★★★

 

 

わたしは23歳頃からダイエット病にかかっていた。痩せなくてはならない、痩せたらその体型を維持しなければならない。綺麗にならなければならない。痩せていることは何より素晴らしい……

 

 

ガム一粒のカロリーまで計算していた。自宅では野菜スープばかり食べていた。外食は敵だった。お酒のカロリーはエンプティカロリーと言われて、そのまま脂肪になるわけではないけれど、お酒を飲むとたくさん食べてしまうことがわかっていたから、お酒も飲むのをやめていた。(結局このあとアル中になったんだけど)

 

 

わたしは24歳から26歳までの間、クラブシンガーをしていた。しかしその仕事だけではお金が足りなかったので、いつも後ろ暗い、人に言えない仕事を同時進行でしていた。24歳から26歳までの間は、ヌードモデルの仕事をしていた。自分の裸を個室でお客さんに撮影してもらう仕事だ。

 

その仕事は、東京の某下町にある雑居ビルの一室が事務所になっていた。事務所の奥にふた部屋の撮影部屋があった。片方の部屋はソファがあって普通の女の子の部屋というイメージ、もう片方のお部屋は、少々エロティックで、ベッドが置いてあり、無機質なイメージであった。

 

わたしは当然だがモデルの経験などなかった。

 

しかし持ち前の貪欲さで、先輩モデルさんにポーズや表情のつくりかたを教えてもらい、事務所の社長にも可愛がってもらえるよう努力し、レギュラーモデルとして週2〜3回、撮影の仕事を頂き続けていた。社長は努力を評価するタイプの人であったので、わたしのやり方は非常に効果的であったわけである。

 

一度出勤すると1万〜3万くらいいただけたので、ここの収入だけで20万円くらいになっていた。クラブシンガーの仕事もギャラは出たので、わたしは月25万円くらいで生活することができた。ヌードモデルの仕事は、体のメンテナンスさえしっかりしておけば、自宅に仕事を持ち帰ることもないし、拘束時間は1日2〜3時間と、とても短い。歌の練習に集中できるからと、わたしはその生活を続けていた。

 

 

ヌードモデルの仕事は幅広かった。一般的な、ニコッと笑ってだんだん服を脱いでいく……というのを求めてくれるお客様もいたが、長期にわたって指名をいただけるのは、かなり極端な性癖を持ったお客様だった。以前どこかで書いたが、野外露出の性癖をを持ったお客様とはかなり長く続いた。

 

そのお客様は事務所の超常連であったため、お客様の車での外出が可能だった。ちょっとマニアックな緑色の外車でやってきて、お金を支払い、モデルを乗せると休日のオフィス街だとか、人気のない河原などへ行き、コートの下は素っ裸で車を降りる。お客様の年齢はたぶん40歳手前だったと思う。わたしは車を降りると周りを見渡し、誰もいないタイミングでコートをストンと真下に落とす。お客様はカメラのシャッターをカシャカシャと慌ただしく切る。素っ裸の状態で笑う。あるときはすぐ真横を車が通った。わたしはその瞬間、えも言われぬ興奮で自分の中心がうずき、潤うのを感じながら撮影に応じていた。

 

性器だけをアップで撮り続けるお客様もいた。そのお客様は、一通り撮り終えると次のモデルを撮り始める(笑)ある意味モデルの中で「共通の話題」になるお客様であった。

 

さて、とてもラッキーなことに、その事務所はとてもアットホームな事務所であった。性器だけを撮り続けるお客様をはじめ、社長と仲の良いお客様を集めて、時折鍋パーティが開かれた。場所は事務所。常連のお客様と、モデル数人が集まって鍋を囲む。社長がいるからモデルも安心だし、まだ自分を撮影していないお客様への営業にもなる。わたしはその鍋パーティーはなるべく参加して顔を売った。努力しなければ絶対に自分の容姿で成功はありえないとわかっていたから。

 

 

成果は予想より早く出た。

 

その事務所に一件の依頼が入ったのだ。それは、とある性癖の専門サイトをつくるから、そのメインモデルを紹介してほしいというもの。サイトを作る人は自ら写真を撮るとのことで、事務所に来て何人か撮影していた。その中にわたしも入れてもらえたのだ。

 

一週間ほどして、わたしの携帯が鳴った。サイトの専属モデルがわたしに決まったから、今度から定期で仕事が入るよ、とのことだった。そのサイトの撮影だけで最初は撮りだめをするから、週一で仕事が入ると言われた。

 

カメラマン兼サイト作成の方は、Iさんといった。Iさんは当時40代後半、わたしより20歳以上年上だった。Iさんはサイトの方向性やターゲット層、マネタイズの方法に至るまで詳しく話してくれた。わたしはそういう話がものすごく面白かったので、Iさんの話をよく聞いたし、自分のこともたくさん話した。

 

撮影が始まると、わたしはIさんの要望に応えられるよう、全力で取り組んだ。Iさんとの撮影はいつも真剣勝負だった。ダイエットはさらに強化された。

 

サイトがオープンするまでに、わたし一人での撮影に加え、ほかのモデルを交えた撮影、男優さんをお呼びしての撮影と、様々な人との出会いもあった。どんな時でもIさんは上手に現場を作り、うまく緊張を解いていく。

※男優を呼ぶ、とありますが、AVではありません

 

サイトがオープンしたときにはモデル数人を集めてお祝いをしたし、それ以外にも、撮影の後にはIさんと食事に行くことが増えていった。

 

 

ある日、午前中から男優ありの撮影をした。その日の撮影は順調に終わり、 14時頃には浅草近くで「お昼ご飯でも一緒に食べて解散しよう」という話になった。Iさんはいつもごちそうしてくれる。わたしも男優さんも、楽しみにしてついて行った。

 

Iさんはわたしに、痩せすぎは良くないからちゃんと食べるようにとよく言っていた。しかしわたしは、Iさんとの食事は行くけれど、ほかの時はかなり節制していた。Iさんとの食事は、唯一わたしが1人前をちゃんと食べる食事と言っても良かった。

 

 

着いたのは、浅草駅からほど近いところにある中華料理屋のような店であった。店名は「馬賊」。

 

馬賊では、麺を打つ人がものすごい音(バシン!   ドン!   ドン!   という音)を立てて麺を打っていることであった。

 

Iさんは「餃子と……坦々つけ麺を」と注文した。わたしと男優さんは、Iさんがオススメならばと、Iさんにならって坦々つけ麺をオーダーした。

 

 

坦々つけ麺が運ばれてきた。

 

 

麺が普通のラーメンより太い。つけ汁はゴマがたっぷりで、茶色くテラテラと光っている。刻みチャーシューがたっぷり入ったつけ汁に麺を通すと、信じられないほどよく絡んだ。

 

「ツル……シコ……」

 

 

その美味しさに、わたしは虜となった。

 

 

その日は何を話したか覚えていない。坦々つけ麺が美味しかったことしか覚えていないのだ。

 

 

その後わたしは、もう一度食べたいと思い、浅草まで電車で来て、「馬賊」を探したが、何度来ても見つからない。わたしは「馬賊」をあきらめた。当時のわたしはダイエットのし過ぎで頭がおかしくなっており、美味しいと思ったものを探し求める気持ちは常人の比ではなかった。完全に、完全に、おかしかった。

 

 

★★★

 

 

……このあと紆余曲折あってわたしは念願の「馬賊」に再訪できることになるのだが、長くなったので続きは明日書きます。Iさんとその後どうなったかも書きますね!(みんな大体想像つくだろ)

 

 

 

さてさて、時は現代。

 

 

わたしが今でも水着姿とかを晒すのに抵抗がないのは、あのモデル経験があったからだと思う。撮り方次第でいくらでもきれいに写ることを知っているから。体の角度、光の入り方、表情。たぶんわたしは素の自分以上に写真の方がキレイだと思っている。

 

 



 

 

最後になるが、今回登場した「馬賊」は、浅草本店と日暮里店がある。わたしは両方行ったことがあるが、どちらも淀みなくウマい。安心して行ってほしい。

 

文中にも書いてあるが、店内は麺打ちの音がかなり大きい。気になる人は耳栓を持って行った方が良い。(そこまでじゃないとわたしは思うけど一応)

 

馬賊、浅草店の様子。ぐるり取り囲んでいるのは、待ち客ではなく、麺を打つ音に魅せられている観光客や通行人である。

 

ランチタイム前に、早めに行ったため、実際並んでいたのは数名であった。しかし常にお客さんがおり、浅草、日暮里どちらも盛況である。

 

 

 

 また、わたしが文中で頼んでいる「坦々つけ麺」は、普通に「坦々つけ麺を」と言えば出てくる。以前は裏メニューだったのだが、いつからか表メニューになっていた。(頼む人が多かったのだと思う!)

 

坦々つけ麺。

 



 

 

これが最高にウマい。

 

 

 

文中にもあるとおり、ここのつけ麺だけは、体調関係なくわたしの胃袋にきちんと収まる。たぶんこれはわたしにとって特別な食べ物なのだと思う。 

 

見事なる完食。

 

 

 

 

明日はこの続きをまた更新したい。わたしの黒歴史を、また一つ語ってみたいと思う。いろいろ語ることで、わたしはそぎ落とされ、最後に残った果実が何であるのかを確かめたいのだ。(はしごたんに向けて言い訳を書いた)

 

 

それじゃあ、また明日!