接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【黒歴史注意!】日暮里「馬賊」の坦々つけ麺の思い出

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2018年の記事の復刻版です。わたしの黒歴史vol.2です!
暑い日が続きますが、たまには人の黒歴史でものぞき見していきませんか。
では、いきます!


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今日の記事は、昨日の記事の続きです。わたしの黒歴史をただ語るだけ。 

 

 

 

 

たまたま見えたスカイツリー。なんだか素晴らしい角度から切り取れた気がする。こんな日はいいことがありそうだね。でも今日の記事も重いよ。覚悟ができた人だけ続きを読んでください。



 

 

 

★★★

 

(昨日の続き) 

 

当時わたしは20代半ばであった。わたしは、ヌードモデルの仕事がとても面白かった。「与えられた仕事」ではなく当事者として真剣に取り組んでいた。

 

特に、I さんが主催する「ある性癖に特化したサイト」のメインモデルとしての活動を始めてからは、仕事として真剣に取り組みつつ、写真を通して自己表現をする面白さもわかってきた。

 

それまでの人生で、どこへ行ってもぞんざいに扱われてきたわたしにとって、わたしを大切に扱ってくれるヌードモデルの事務所も、お客様も、Iさんも大好きだった。わたしはお客様やIさんの前で裸になるたびに、自分が好きになっていった。

 

 

……同時進行で、ダイエットのし過ぎによるアルコール依存症も始まっていたのだけれど、この時はまだ、自己表現の楽しさのほうが上回っていた。

 

Iさんとの撮影は回数を重ね、互いの熱量が増していくのがわかった。

 

裸の写真を撮影するのだから、Iさんにも興奮はあるとわかっていた。Iさんはよく言っていた。「俺が美しいと思わないものを世に出しても仕方がない」と。つまり、Iさんがわたしを撮ってくれるということは、Iさんにとってわたしは美しいということになる。



Iさんとの会話は、撮影を重ねるたびに深くなっていった。



最初こそ、当たらず障らずの会話に徹していたが、互いの生い立ちやアイデンティティ、何にこだわって生きているのかを本気で話した。お互い、「こんなこと恋人にも話さないよ」と言いながら、しっかりと目を合わせて話した。

 

Iさんは当時40代後半で、わたしより20歳くらい年上だった。それでも、共通の話題になると年齢などまったく関係なく、互いを尊重しあって会話ができていた。

 

 

撮影の際は真剣にシャッターを切るIさんをずっと見ていた。わたしは自己表現をしながら、同時にIさんの求めるものになろうとしていた。自己表現と仕事を結びつけるとかなり危険なのだけれど、当時のわたしはそれをやっていた。

 

わたしのからだはどんどん磨かれていった。撮影にたえうる体。どの角度から撮っても美しく見える体。胸のラインは保ったまま、ウエストをきちんとくびれさせて、適度な筋肉でしなやかに見える体を作っていた。「9割努力で作った体」と言ってもいい。だってわたしは自分の体で自己表現をするのだから、そのくらい当然だと思っていた。

 

撮影には毎回テーマがあって、その裏側にあるものをIさんと二人でつかみとっていく。多くを語らなくてもわかりあえる。ただのエロサイトではなく、そこに芸術性を加えていく。Iさんがやろうとしていることに、わたしは完全に賛同していた。

 

 

……わたしとIさんが恋仲になるのに時間はかからなかった。

 

 

ただ、Iさんの体の中心とわたしのからだの中心をつなぐだけ。たったそれだけのことに時間をかけたお互いが可笑しかったし、一緒にいる時間が愛おしかった。Iさんとわたしは、カメラマンとモデルの関係を超えた。

 

しかしわたしは未熟で、この後とても些細なことでIさんを傷つけた。謝れなかった。生理前に八つ当たりをした。それでもIさんはわたしを許し、待ってくれた。だけどそんな姿を見ているのがもう嫌だった。

 

 

とてもあっけなく、わたしたちは恋仲を解消した。

 

 

付き合っていたのは半年くらいだった。今でもIさんがわたしを見るときの鋭い眼差しを、昨日のことのように思い出せる。Iさんは、間違いなく素晴らしいカメラマンだった。素晴らしい人だった。おいしいお店をたくさん教えてくれた。

 

撮影の仕事は継続した。サイトも継続した。やがてわたしたちの心が離れるように、わたしはサイトのメインモデルを張ることを辞退し、たくさんのモデルを使ったサイトに変化していった。その変化はとても自然に行われたので、見ていた人も気づかなかったと思う。

 

わたしは、事務所にもきちんと挨拶をして、ヌードモデルの仕事をやめた。

 

 

 

……Iさんが教えてくれたお店の中で、わたしが一番おいしいと思ったのは、浅草と日暮里にあるラーメン屋「馬賊」であった。

 

一度Iさんに連れて行ってもらったきり、道を思い出せず、一度も行けなかった。そのうちにわたし自身、「馬賊」の存在を忘れていた。

 

 

 

2年ほど時が流れた。

 

 

 

わたしはクラブシンガーの仕事とコンビニバイトで食いつないでいたが、たくさんつらいことがあって、クラブシンガーをやめていた。CDもテレビも全部捨てて、何もない部屋でぽつんと座っている毎日だった。ダイエットのし過ぎでアル中になり、バイクで転倒した。アル中を治さないと死ぬと思ったので、断酒会に参加して酒を断った。本を読むことだけが心の救いだった。



歌うことをやめたわたしは、くそ真面目に働いていることがばかばかしくなり、人生捨て鉢になってまた後ろ暗い仕事の求人を眺めていた。

 

すると。

 

山手線の地味な駅の近くにあるアロマエステの求人が目に留まった。

 

「マッサージのみ、裸なし、ノルマなし」

 

つまり、手コキのみのサービスということだろう。わたしは即応募した。アロマエステのお店は、女の子のレベルが高い。わたしは2年のブランクを埋めるように身なりを整え、とにかくきれいにして面接に行った。

 

面接は厳しかった。

 

顔やスタイルがギリギリであったのだろう。下着姿で写真を撮ってみて、それで決めるとのことだった。わたしは自前で、撮影に耐えうる下着を持ってきていたのでそれに着替え、撮影に挑んだ。

 

 

久しぶりにカメラの前に立つと、自然に体が動いた。自分が一番輝ける角度、ポーズ、表情、目つき。カメラを見るのではなく、カメラの先にいる「お客さん」を見る。わたしの写真を見てわたしを選んでもらうために。絶対、会って後悔させない。わたしは妖艶にほほえんだ。

 

「……モデルとかやってた?」

 

アロマエステの店長はわたしに聞いてきた。わたしはありのままを答え、お客さんに最高のサービスがしたいから採用してくださいと一礼した。

 

店長はそのままわたしを講習に連れて行った。講習では、マッサージを教えてくれる。一日である程度覚えなければ採用されないらしく、かなり厳しかった。首、肩、腰、お尻、足をマッサージしていく。マッサージの仕事は未経験なので、手つきはおぼつかないし、とにかく疲れた。しかしお客さんに喜んでもらうためと思い、必死で覚えた。

 

その後の手を使った性感マッサージについては、問題なくクリアした。

 

わたしは採用された。事務所に戻ると宣材写真ができあがっており、源氏名を決めた。オプションサービスの対応可否を答え(ほとんどOKにした)、出勤日を決めた。

 

 

アロマエステの仕事は、容赦なく厳しかった。指名がもらえなければフリー客を回してもらえない。わたしは年長のほうだったので、最初が命だった。とにかく回してもらったお客様を絶対に本指名で戻せるよう丁寧に接客する。(再来店してもらう)お店のスタッフさんに丁寧に対応し、感謝の気持ちを忘れない。自分もマッサージに通い、どこを押されたら気持ちが良いか研究する。

 

お客様が多い日は、準備や化粧直しを最短時間で終わらせ、お客様を待たせずにすぐ次の接客に入る。休憩したいとかわがままを言わない。とにかくお店が潤滑に回るように頑張る。

 

本気でやれば、どの世界でも人は味方をしてくれる。

 

わたしは約2か月で、本指名で出勤時間のほとんどが埋まるようになった。本指名のお客様は、月1~2回のペースで通ってくれる。多い方だと、毎週通ってくれる方もいた。体を使う仕事でとても疲れるのだと言っていた。

 

わたしは心を込めてマッサージをし、お店のルールで許されている限りのスキンシップをした。お客様が少しルールの壁を超えそうなときも、あなたのことが大好きだから、ちょっとそれは堪忍して、とお願いした。

 

仕事がきついと思ったこともあった。だけどお客様はわたしに会うのを楽しみにしてくれたし、スタッフのみんなもわたしがお客さんを大切にしていることを理解してくれて、わたしのお客さんと仲良く接してくれたり、助け合えた。

 

 

そんな折。

 

わたしは、通勤で日暮里の駅を使うと楽だと気付いた。うまくバスが通っていたのである。日暮里の駅を使った通勤ルートを気に入ったわたしは、のんびりバス通勤をしていた。

 

すると。

 

日暮里の駅前に「馬賊」というラーメン屋があるのを見つけた。「馬賊」……どこかで聞いたことがあるその名前にわたしは小さく悲鳴をあげた。あの、カメラマンのIさんが教えてくれた超絶おいしいラーメン屋ではないか。

 

 

食べるしか無いではないか。

 

 

わたしは仕事が終わったある日の夜、「馬賊」日暮里店に一人で入った。店内はかなり混みあっていたが、円卓を相席で囲む形であったため、すぐに座ることができた。一人で来ているお客さんも多い。中国人と思わしき店員さんがオーダーを取りにきてくれた。わたしはメニューも見ずに答えた。

 

「担々つけ麺と餃子を」

 

2年経っていたが、あの日頼んだメニューを忘れることはなかった。メニュー表に載っていない「坦々つけ麺」。そして餃子だ。待ちわびたあの味だ。

 

 

運ばれてきたのは、2年前とまったく変わらない、担々つけ麺であった。

 

※実際の「馬賊」の担々つけ麺

 



 

 

ああ……! これだ……!

 

これでもかと入れてあるすりゴマのきいたつけ汁。つけ汁の中にはきざみネギときざみチャーシューが入っている。麺はシコシコと腰の強い太麺。店内で手打ちしている。この麺がものすごくうまいのだ。この麺をつけ汁まで引っ張っていくのだが、手打ちのためとても長い! 右手を高くのばして、なんとか麺を皿からすくいあげ、つけ汁へと運んでいく。

 

茶色く光る魅惑のつけ汁の味は、担々麺のおいしさを凝縮した味。濃い味だが、まったくくどさを感じない。ただただ食欲をそそるゴマの風味と強いラーメンつゆの味と、少しだけピリッとする辛味が混沌としているのだ。

 

「……うまい」

 

女の子である自分も何もかも捨てて、ただつぶやいた。魂がうまいと言っている。ダイエットなど知ったことか。これだけうまいものを悪いと言うのなら、この世に神などいない。美も正義だが、うまいということもまた、正義なのだ。

 

 

餃子が運ばれてきても、しばらく坦々つけ麺を食べ続けた。量が多いはずなのに、ちっとも嫌な満腹感が来ないのだ。つけ汁と麺のバランスがわたしの中で最高なのだった。

 

餃子も大ぶりでとてもおいしい。香ばしく焼けた皮、ひき肉、ラー油と酢、少しのしょうゆ。からっぽだった体に命が入る気持ちがした。

 

 

食べている間じゅう、アロマエステのお客さんやスタッフさんの優しい言葉がよみがえった。



「ダイエットとかしてるの? もししてるなら、ちょっとお肉がついたって構わないから、元気でいられるようにちゃんと食べてね」


「いつも仕事頑張ってくれてありがとう。今日も忙しくて、休憩時間あげられなくてごめんね。帰りにおいしいものでも食べて帰ってね。今度みんなで飲みに行こう」

 

スタッフさんだって休憩していないのをわかっている。わたしは大丈夫だ。


お客さんが優しくそう言ってくれるのは、わたしが疲れ切ってお店を辞めてしまうことが嫌だと思ってくれているからだ。わたしは負けないし、辞めない。

 

 

坦々つけ麺と餃子を、しっかりと体のなかにおさめると、力がみなぎった。ふう、と呼吸し、会計をした。

 

この日からわたしは、日暮里駅前の「馬賊」に定期的に通った。アロマエステの仕事をしている約1年半、2~3週に1度のペースで通っていた。

 

 

アロマエステの仕事はその後、円満退職した。 

 

 

だけど、今でもわたしは日暮里の「馬賊」にたまに行く。浅草に行く用事があれば、浅草のほうに行くこともある。年に一度は絶対に「馬賊」の坦々つけ麺を食べないと、わたしの中の何かが暴れだすのである。

 

わたしはふだん、食べ物にそうそうこだわらない。ちょっとあればそれでいいという淡白な食べ方をする。誰かにそれちょうだいと言われたらあげてしまう。わたしはまた別の時に食べればいいと思っている。

 

しかし、この坦々つけ麺だけは特別なのである。

 

もし誰かと食べに行っても、食べている間、わたしはきっと無言だ。ただ麺の太さを目で確認したり、つけ汁の中にあるきざみチャーシューをつまみ上げてニンマリする。そうして店内に響き渡る麺打ちの音を聞き、ヌードモデルの仕事と、アロマエステの仕事を思い出し、あの頃の自分に思いをはせる。

 

 

「……あの頃わたし、仕事めっちゃ頑張ってたよなあ」

 

 

馬賊」の 坦々つけ麺は、甘美な勝利の味だ。わたしが自分の中のいろんな弱さに打ち勝ち、仕事で自己実現を成し遂げる! という強い意志を持ったとき、わたしのそばにあった食べ物だ。

 

 

迷い、悩み、自分の生き方を確認したいとき。

 

 

わたしは「馬賊」の坦々つけ麺を味わい、胃袋にすっと収めてくる。そうすると力がわいてくるのだ。「わたし、頑張れば大体のこと乗り越えられるじゃん。今までもずっとそうしてきたし」とプラスに考えられる。

 

 

ポニーテールは振り向かないし、坦々つけ麺は、裏切らない。

 

 

日暮里と浅草にある「馬賊」の坦々つけ麺は、いつもわたしを励ましてくれる。そうして、たくさんの思い出をわたしの胸の中いっぱいに広げてくれる。

 

 

わたしもいつか、誰かの心の中でそんなふうに誰かを励ましてくれる、強くてやさしい食べ物をつくりたい。

 

飲食店を始めたばかりのわたしだけど、今、ふっとそんなふうに思った。この思いをセブの屋台にしっかり持ち帰って、いい仕事をしたいと思う。

 

 

※文中の「馬賊」は実在するお店です。2022年7月現在、浅草、日暮里両方とも営業中です。著者は個人的に、このお店を自信をもっておすすめします! 「坦々つけ麺」、と口頭で注文すれば写真と同じものが出てきます。もしメンマやチャーシュー、ゆで卵がのったものが良ければ「馬賊つけ麺」というのを注文してください。坦々つけ麺の、麺の上に具がたくさん載ったものが出てきます! 著者は毎回、坦々つけ麺です。

 

 

それじゃあ、また明日!