接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

寸前で見つけた光

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こんにちは。

もしもわたしが会社を経営していなかったとして、もしもわたしが有益な情報を何一つ持っていなかったとして、それでも付き合いを続けたい、という人はいったいこの世の中に何人いるでしょうか?

わたしの感覚では、5人居ないと思います。

わたしは、周りの人をあまり大切にしません。刹那的過ぎると自分でも思っていますが、自分にも他人にも、刃のように厳しい要求を突き付けてしまう為、あんまりいい上司にも先輩にもなれません。ごめんね。



しばらく現場仕事を続けて平和だった日々が、また少し回り始めました。こういうのを人は転機と呼んで大切にするのでしょうが、わたしにとっては突然のスコールのようなものにしか感じられず、今現在のわたしのビジネスモチベーションの低さを自分で目の当たりにした、悲しい週でした。

人が自分に優しくないのは、わたしが人に優しくないから。因果応報であることは十分理解しています。それでも、優しくない人にばかり連続で会い続けると、精神的に異常をきたすほどの影響があるのだと、思い知りました。


さあ、わたしのまわりのみなさん、あと一歩ですよ!

あと一歩追い詰めればわたしは沈みます!

討ち取ってください!


…残念なことに、わたしを討ち取っても誰にも評価されないでしょうけど。。そして、わたし自身がこの状況をどう打破していくのかを楽しんでしまっているので、ここにこんなことを書くのも挑発するようで申し訳ないです。



…と長々と書いてきたわけですが。

今日、たった一つ伝えたかったことは、タイトルの通り。
実は今日、あまりに何もかもがうまく行かないので死のうと思っていました。※正確にいうと、現世への執着が0の状態で生活していた…という方が正しいです。積極的に「この方法で死のう!」とまでは行っていません。

そんな時に、わたしの閉ざされた(自分で人をキライになって閉ざしているんですけど)世界の中に2人だけいる友達のうち、1人と会ってきたのです。友達を表現するならば、「寸前で見つけた光」まさにこれでした。

刹那的に生きるわたしにとって、目の前の友達の姿は「初めて会った時と比べて少し老けたなぁ」「この人、いくつになっても少年のような姿だけど、ある時を境におじいちゃんになっちゃうんだろうなぁ」と、過去と未来を考える事ができました。刹那的人間にとって、過去や未来を考えることはほぼ皆無に等しく、この友達がいなかったらそんな単純な事実にさえ気づけなかったと思うのです。


今日はその友達と、もう一人共通の知人が同席している状態でした。不思議なことに、その方とも自然に話すことができて、その場はとても深く、有意義な場でした。こういう人達に囲まれて生きて行きたい、そう思わされるような場でした。


ある人はセクシャルマイノリティ(他にもあるかも。天才ぽいから)。ある人はアスペルガー症候群、わたしはADHDです。3人とも、社会に出たら少しだけ、不適合な部分があります。歳をとってやわらぐ種類のものもあれば、やわらがない種類のものもあります。でも、みんな自分が「人と違う」ことに気づいていて、どうやって折り合いをつけようかと考え続けています。わたしもそうです。


わたしは人の顔と名前が覚えられません。

どんなに良い接客をしても、翌日、再来店(リピーター)のお客様を覚えていないことがよくあるので、なかなか一流のサービスマンになれません。営業でも、一度会ったことがあるかどうかを思い出せなくてよく困ります。失敗の数は数えきれないです。何枚ももらってしまった名刺は、苦い思い出です。

わたしは片付けることができません。

しかたがないので、生きるために必要なもの以外は部屋に持ち込んだ時点で捨てます。いただいた食べ物などは、部屋に持ち込まずに玄関先で食べてしまって、ごみとして捨てることもあるくらい徹底しています。傍から見たら狂人でしょう。普通に持って帰って箱を空けて、冷蔵庫にしまうとか、棚にしまうとかすればいいのに。

でも、ダメなのです。

わたしにとって「棚」とは空にするための目的しかもっておらず、棚に入っているものは「発作」が起きたときに空にします。これは絶対です。どんなに好きだったものでも、その発作の瞬間に「これはいらない」と判断したら0.00001秒でゴミ袋行き。



さて、こんな感じでかなり取り乱した状態ではございますが、明日はきっといつも通りの接客業をして来ると思います。それがわたしだからです。今日は、寸前の光を見つけたことで、一日だけ寿命が延びたと思いました。刹那的な人間は、衝動で死んでしまいますから、この「寸前の光」が降りてくるかどうかにすべてがかかっています。ある時は虹でした。ある時は気持ちのいい風でした。今日は友達の姿でした。


普通じゃないですが、これからもよろしくお願いします。

発達障害ですが自分を高評価していきたい、貫洞です。
読んでいただいてありがとうございました。