私はしばらく、自分のために生きていました。
「私が」どうなるか。「私が」カッコよく生きられているか。
そんなふうに思いながら人生を描いていた気がします。
最近、ふとした拍子に「誰かのためにがんばってみたい」と思える仕事を見つけました。その仕事はおそらく面接に通れば働けそうです。
その仕事に就く予定であることを、親しい友人に伝えたところ、
「あなたは自分のためじゃなく、誰かのために動いているときのほうが、いいオーラが出てるよ」
と言われたのです。
確かに、誰かのためにやろうとして行う仕事をするとき、私はとても献身的になります。その「誰か」が喜んでくれることが目的のすべてになります。
自分が楽しんで仕事をすることも大事だけれど、その仕事に就く「動機」って実はすごく大事なのではないかと思います。
そういうわけで、私はまだ来年の3月までは動けませんが、来年3月以降は誰かのために仕事をしていきたいと思います。
自分だけでない、「誰か」のしあわせのために。
ピピピピピの人が亡くなったらしい
少しだけ話題が古いかもだが、こういうのに話題が古いも何も無いと思うので書く。
ピピピピピの人が亡くなった。
こんな悲しい最後があるだろうか。
寒かっただろうし、疲れていただろう。
常に躁転する自分のコントロールにほとほと疲れ果てていたのかもしれない。
助けてくれる人はいたと思う。
けれど、それでも足りなかった。。
生前、私はこの人にヌード写真を送り付けたことがある。返信は「笑笑笑」だった。
軽口を叩くには最高の相手だったこともある。
もちろん、ここ数年は一切の連絡を取っていない。(Twitterでウザ絡みを仕掛けたことはある)
こんな迷惑ブロガーに言及されてもどうかと思うだろうが、、、
まだ知らない人が居たら、一緒に黙祷してほしい。
ただ、それだけなんだ。
大阪でグルメを堪能しまくった話!
こんにちは、大阪でグルメを楽しむのが好き、私です。
今回は大阪で食べたものを列記する形で、どれがおいしかったとか書いていこうと思います。
頭を使わずに読めるブログをお探しの方には、私のブログがおすすめですw
まずはたこ焼きから!!
この日は土日だったので、「はなだこ」の行列がディズニーランドになってましたw これは無理だと思い、なんばの「わなか」にでも行こうかと思いましたが、なんばも混んでそうだったので、穴場を狙うことに。
梅田の「たこ焼きマーケット」に来ました!
梅田に真っ赤な観覧車があるじゃないですか。あれのふもとにあります!
このモニュメントが目印です!
屋台みたいに有名店がズラッと並んでいて、イスもたくさんあるので、土日でも食べやすい場所だと思います! ここ、意外と混んでないですね。すごくいい!!
なんばで食べておいしかったので甲賀流をリピートしましたが……なんばで食べた方が美味しい気がしました……! 生地そのものが違う気さえします!!
おそらく、本店以外のお店でも味が安定してるお店を選んだ方が良いと思います。そうなると、ここでは「会津屋」あたりが無難ということになりそうです。私は会津屋さん食べすぎちゃって最近少し飽きてるんですが汗
さて、お次はカレー!!
大阪でカレー? ええ、そうなんです。
「大阪カレー」なんて言葉もあるくらい、大阪はカレー激戦区!
これは「インディアンカレー」という、大阪カレーの代表選手です!
これ、めちゃくちゃ美味しいですよ!! 私のはごはん少な目ですが、それはさておき。ルウがものすごくフルーティーなんです!!
そして、辛さが後から追いかけてくるようなカレーなんです!!
この、マイルドなんだけど、辛い!! というカレーこそが「大阪カレー」なんですよね。素晴らしい!!
次回大阪へ行ったら、マドラスカレーとかも食べてきますのでお楽しみに!!
お次はフレンチです。
以前もブログに書いたフレンチおでんの「赤白(こうはく)」!!
こんな感じで、1000円も出せばシャンパンと2品のフレンチが食べられます!!
もうね、やっぱり特筆すべきはこの大根!!
この大根がすごいんです!! 「ポルチーニ大根」っていう名前なんですけど。
たっぷりと、フレンチらしいポルチーニソースがかかっています。中身はダシを吸い込んで、やわらかく煮込まれた大根です!!
断面図もお見せしましょう、こんな感じです!!
火がしっかりと通っていて、スプーンですくって食べられるくらいやわらかい大根です!! それにたっぷりのソースをつけて、すくいながら食べるんですが。
もうこれ食べているだけで至福!!
私、これをおかわりしたこともありますw 美味しすぎてがまんできなかったw
そして、ほかにもいろいろ頼みたいので、今回選んだのは……
「長芋のレモンマスタードマリネ」
シャクシャクとした歯ごたえが心地いい長芋に、香草とレモンマスタードソースがかかっています。これもシャンパンのおともにすごく良い!! 素晴らしい前菜です。
おなかいっぱいになってしまう前に、メインを頼んでいきます。
「タコときのこのガーリックパセリバター ブルゴーニュ風」
これも大根と一緒で、ソースが素晴らしかった……!!!
バゲットを頼んで、つけながら食べたら美味しいと思いますが、私はお腹パンパンになりたくなかったので、スプーンでがんばってすくって食べました!!
「赤白(こうはく)」は本当に美味しいです。
15時~16時の間に行くようにすると、並ばなくても食べられます。
ちょっと中途半端な時間になってしまうので、お昼をカフェめしとかにすればちょうどいいと思います。それか、朝しっかり食べて、お昼は抜いた状態で15時頃に行くと、お腹もすいてちょうどいいですね。
さて、また別の日。
この日は出かけていて、帰りが遅くなり、ホテルに何か持ち帰って夕食食べたいなと思っていました。
ちょうど天王寺駅を通るので、どうかな……と立ち寄ってみたら!!
551の豚まん、行列が少なかったのでさっと並んで買ってきました!!
551 蓬莱の豚まん!!
豚まん1個だと夕飯には少し足りないので……
シウマイを買いました!! 6個入り!!
これが……食べてみると想像以上のボリュームで!!
3個くらいで充分! という感じでしたが、せっかくなので満腹になるまで551を堪能しました!!
カラシをつけて食べると、豚肉の風味がふくよかにひろがって、もう最高~!!
フレンチおでんもおいしかったけど、今回のMVPをひとつ挙げるなら、このシウマイかな!?
そのくらいシウマイ美味しかったです……!! 最高でした!!
次回大阪に行った時も、上記のメニューは食べたいと思っています。
たこ焼きは、朝イチで並んでもいいから「はなだこ」さんを食べたいなと思っています。まだ人生で1度しか食べたことがないので、もう一度食べたいです。
結構食いしん坊な私の旅は続く……
一人ディズニーシーしてきましたが余裕でした!
こんにちは、一人ディズニーシーにチャレンジしてきましたが、余裕でした!!
入園から帰るまで、約8時間ディズニーにいましたが、何をするにも一人なのでとにかく身軽! 気楽! 急に予定変更しても誰にも怒られないし……すごくリラックスして楽しめました!!
私のディズニーシー一日記録は、すごく要約すると……
・インディジョーンズ(ジェットコースター)
・レイジングスピリッツ(回転ジェットコースター)
・タートルトーク(対話型アトラクション)
・ニモ(客席が動くアトラクション)
上記のアトラクションを楽しみました。
あとは、ジャンボリを一緒に踊ったり、ビッグバンドビートでショーを観たりしました。そんなこんなで8時間あっという間に過ぎてしまい……夜までいると疲労で死にそうだったので、夕方には帰りましたとさ!
食べ物は、
・ガーリックシュリンプポップコーン
・チュロス
を食べました! パークではあんまり食べてないけど、入園前に朝食食べて、帰りにおそば食べて帰りましたから、特に足りないとかは思いませんでした。おやつだけパークで食べようと思ってた感じです。
1枚くらい写真のせときますか! アヒルです!!(紹介の仕方よ……)
この日は午前中だけ少し雨が降ってて、でもすぐやんでくれたので、遊ぶには絶好の日でした!!
いやもう本当に楽しかった……。。
この旅行では、大急ぎで関東の予定をこなして、すぐ大阪に夜行バスで移動。大阪では少しのんびりと過ごして、グルメを楽しんだ旅でした。
次の記事では、大阪のグルメを書きますね!!
それじゃあ、また明日!!
ドトールのツナチェダーチーズ、復活!!
ドトール大好き、私です。
1番好きなメニュー「ツナチェダーチーズ」が2022年9月に販売中止となり、もうこの人生どうしようかと思い悩んでおりましたが……
このたび、無事復活いたしました!!
素敵なお味は前のまま!
(正確には、作り方が少し変わったそうですが……)
このツナチェダーチーズは、旅先で食べたものです。大阪の天王寺というところで食べました。
11月は、月の半分くらい旅に出てまして……その大半を大阪で過ごしていました。
旅レポはまた書けたら書きますが、今回かなりのグルメ旅!! 戻ったらまたジム通いの日々なので、もうこの際思いっきりグルメ旅しちゃおう、と!
551のシウマイと豚まんも、テイクアウトして食べました! ホテルのお部屋で、チンしてから食べました。
この食べ方でも充分おいしいので、また大阪に来たら「夜食に551」はまたやろうと思います!!
この日はお昼がインディアンカレー、夜食が551という、とても大阪らしい1日でした!
おいしすぎて泣けますね。。
大阪は食べ物がおいしいので、とにかく好きです!!
また何か書きますね。
それじゃあ、また明日!!
2023年の手帳を9月末に入手した話
こんにちは、趣味は手帳に旅の予定を書き込むことです、私です。
新しい手帳を買いました。
9月末にはもう買って、置いてありました。それをそろそろ開けて、使う用意をしているところです。(これから年末までは2冊持ちすることになります)
赤いのが2022年、黄色が2023年です。
さすがに1年フルで使い倒すと、手帳がくたびれてきますね。
赤い手帳は、旅の予定がなくなったり、新たにプチ旅を記入したりで、ハードに頑張ってくれたと思います。
12月に完全入れ替えするので、それまでは赤をメインで使いますが、少し先の予定などは黄色に書き込みます。
手帳は早めに買っておくと、余裕を持って新年を迎えられる気がして良いです。
古い手帳に書いた、メモしたことでよいことは新しい方に写したり、今はちょこちょこと作業しています。
空き時間のお楽しみ、といったところです。
それじゃあ、また明日!
【健康】自作のプロテインサラダをよく食べている話
こんにちは、週4回のジム通いが板についてきた私です。
ジムに通っているといっても、ほとんどがダンスなどのスタジオプログラム目的で行っています。その前後に筋トレを行っている感じ。
筋トレだけだと、1時間もしないで終わってしまうので、スタジオプログラムで1時間程度楽しんだり、汗をかいて、その前後で筋トレをしてカラダを引き締める計算です!
問題になるのがその後の食事です。
がつがつとカツ丼を食べてしまってはあまり意味がないと思いますので、私は帰宅したらプロテインサラダを食べるようにしています。
こういうのです。
市販のカット野菜に、ツナをのせたもの。
ファミレスに行った場合でも似たようなメニューがありますので、外食でも応用可能です。ジムの後って、運動した直後だから空腹感はそんなになくて、でも栄養補給はしないといけない状態です。なのでこういうものを食べています。
カロリーは低めだけど、タンパク質がきちんととれる食べ物です。
なんというか、私の日々はこういう淡白な感じですw
刻々と時間が過ぎていくような感じを味わっています。
時間に置いていかれそうな虚無感があります。
それでもジムに通ったり前を向いて生きていこうと思います。
全体的に今年のブログは停滞感と焦燥感がすごいと思いますが、お付き合いいただければ嬉しいです。いつも読んでくださる方々に感謝です。
それじゃあ、また明日!
古くて価値のあるものを手元に残すことより、新しいものを見つけたい性格です
ちょっと価値観が変。私です。
幸せそうな人を見ていると、古くからの縁を大切にしていたり、価値のあるものは手元にずっと置いておく人が多いように見受けられます。
私はそれができなくて。
絶対価値があるとわかっていても、ずっとそれを持ち歩いて暮らすことが好きじゃないので、とにかく手放したくなります。
そして身軽になって小さな部屋に住み、そこでしばらく暮らしている時間の方が大事なのです。
今はやりの3畳の物件とか大好物です。
3畳ロフト付きは私にとって超「帰りたい部屋」です。
いやむしろこれでいいです。
潔いよね~!!
でもこの部屋でたいていのことは完結するんだから本当にすごい。
この写真は大阪・西成のホテルみかどの部屋なんですけど。
この部屋にいると幸せを感じられます。
本当に幸せ……。
また次にここへ泊まりに行くのが楽しみで仕方ないです。
……というわけで、モノを手放さずに持っていることは私には不可能です。特にかさばるものが難しいです。食器とか家具とかそういうのが難しいですね。
日用品とか畳めるものは手元に置いておくことも多いです。
いろいろですね。
やっぱり身軽でいたい性質なのかな……と思います。
この年齢になっても家族を持たなかったことが何よりの表れです。
ああ、狭い部屋に住みたい。。
それじゃあ、また明日!
アルコール依存症の生活がものすごく辛かった話~後編~
こんにちは、私です。
昨日から書いている「アルコール依存症の生活がものすごく辛かった話」の続きです。これで完結します。長文です。
アルコール依存症で苦しんでいる方、何かしらの依存症で苦しんでいる方は、フラッシュバックしてしまう可能性がありますのでブラウザバックをお願いします。
それでは、昨日の続きです。改行しますね。
◼︎バイク事故で死にかける
その後もアルコールを飲んで過食する癖は、ひどくなるばかりでした。
焼酎1.8リットルのペットボトルは、3日しかもたなくなりました。まずビールを飲んで、それから焼酎をガブガブ飲むのです。まともな意識があるのは焼酎2杯目くらいまで。そして、まともな意識を飛ばしたくて飲んでいたので、最初の3杯はほぼイッキ状態で流し込んでいました。
いい具合にわけがわからなくなったところで過食。夜中にコンビニに行ってロールケーキ、サンドイッチ、ポテチ、チョコ、菓子パンなどを買い込み、満足するまで食べてから寝る生活でした。
そして翌朝、自分の食べた量に驚愕し、カロリー計算して青ざめるのです。毎日毎日がこの繰り返し。
その日の朝は特に前夜の過食がひどかったらしく、起きたら胃もたれがひどい。相当な量を食べてしまっただろうと思い、わたしは焦りました。なんとかしないと。そうだ、食べた分を帳消しにしてくれるサプリを買いに行こう、ドラッグストアに行こう。たっぷり寝た後だったので、わたしは原付にまたがり、少し飛ばし気味にドラッグストアへと向かいました。
原付は通勤にも使っていたので乗りなれていました。しかし過食のせいか気持ちが悪い。頭がふらふらする。なんでこんなに毎日、体調が悪いんだろう。
スピードを少し上げると、顔に当たる風が気持ちよくて、少し気持ちが紛れました。そのまま一本の長い直線を走り続けていると、ふいに涙がこぼれました。
(なんでこんな生活になっちゃったんだろう…みんなでご飯を食べたり、おしゃれなバーに行ったり、そういうふうに食べたり飲んだり、したかったな…)
風に吹かれて流れる涙。初めて自分の本音と向き合えた瞬間だったかもしれません。気心の知れた友達がいればすぐに気づかせてくれたのかもしれません。でもわたしは、ずっと一人でこの秘密を抱えていました。
疲れ切った心に、ひとすじの光を射してくれたのは、自分で運転する原付で感じた、風だったのです。
風は、わたしの心のおかしな部分を全部ふわっと撫でていきました。ここはおかしいよ、これもおかしいよ…心の中に風が吹きわたってきます。ああ…生きなおしたい…わたしは全身で風を感じていました。瞬間、気が抜けたのでしょうか。
ガツン! ドン! ガシャ…
一瞬の不注意で、わたしは転倒してしまいました。縁石に乗り上げ、タイヤが滑って転倒。地面に叩きつけられました。原付で転んだのは初めてでした。ハーフのヘルメットだったので、顎が地面にたたきつけられ、顔のかたちが変わっている気がしました。痛みより驚きと、頬に伝わる地面の冷たさがリアルでした。
近所の人が何人か集まってきました。心配して救急車を呼ぼうとしてくれました。わたしに意識があることを確認すると、ある女性が
「お仕事行く途中だったのかしら?」
と聞いてきました。いえ…わたしは過食したからカロリーをカットしてくれるサプリを買いに行こうとしていただけです…そう思った瞬間、理由を言いたくない、逃げたい、消えたいと思いました。
わたしは手をついて体を起こし、ズキンズキンと痛む膝を確認しました。骨は折れていないようでした。アゴがなんかひどいことになってるみたいだったけど、ティッシュを貼り付けて止血。明らかに肉の形が変わっているのが手触りでわかりました。それでもその場にいたくなくて、誰にも見られたくなくて、原付を起こし、無理やりエンジンをかけ、今来た道を自宅まで引き返しました。
階段が上れないくらい、全身が痛みました。腕も、足も、顔も、ものすごい痛みで動かせません。それでも何とか5階までよじ上り、部屋に入ると床に倒れこんで、数時間眠りました。眠ったら、このひどい現実のうちいくつかは夢であってくれるかもしれない…そんな風に思ったのです。
ひとり、目を覚ましましたが、痛みと腫れはひどくなっており、すべてが現実でした。外は真昼の明るさ、晩秋だけど気温はあたたかく、生ぬるいすきま風が、床を這うように流れ込んできました。体が鉛のように重く、あちこちから降ってくる痛みが不安をかき立てました。一番傷が深いのは顎だということは確かでした。
姿見の鏡の前に立つと、擦り傷だらけの顔と手、薄手のダウンジャケットは破れ、黒いパンツは砂ぼこりで汚れていました。そして、顎は横にパックリと開いて、血の塊ができていました。
病院に行かないとどうにもならないと思い、自力でタクシーを呼び、総合病院へ向かいました。
◼︎優しい病院
この病院が良かった。応急処置をしてくれた先生は無口でしたが名医のようで、顔に傷が残りにくい縫い方をしてくれました。2つに割れた顎は、ひとつにもどりました。輪郭もそこまで崩れてない。先生は縫い終わると、ふうっと天を仰ぎ、「お酒、結構飲んでるのかな。答えなくてもいいから、体を大事にしなさいよ」と言うと処置室を出ていきました。
その後の問診を担当してくれた先生も、なぜバイクで転倒したのか、わたしが口ごもるとそれ以上追求しないでくれました。
病院には、しばらくの間毎日通いました。消毒、ガーゼ交換、縫合の手当てのためです。
ガーゼを交換する時はものすごい痛みでしたが、医師も看護師さんも、痛みの伴う治療中も明るく明るく接してくれました。たった一人で暮らしてきたわたしにとって、近所の病院に居場所ができたのは、すごく嬉しいことでした。
「きついかも知れないけど、そんなヒョロヒョロじゃ体がまいっちゃうよ。すこーしでいいから何か食べてね」
「あなた運いいねえ、応急処置すごくきれいに縫ってあるから、多分傷ほとんど残らないよ。○○先生、ムスッとしてるけど、あなた女の子だからね。一生懸命やってくれたのがわかるよ。あなたお化粧上手そうだし、顔は大丈夫だよ」
わたしのアルコール依存性も、過食も、見た目を気にしすぎていることも、会話の中ですぐにわかったようで、お医者さんも、看護師さんも、受付の方までもが、ただただ優しかったんです。ひとりで暮らしていることも気遣ってくれました。特にいつもガーゼを換えてくれた若い男性医師は(○○先生の応急処置きれいだよ、といった先生です)、いつもこぼれんばかりの笑顔で「痛いか! がんばれ!」とまるで芸人さんのようにテンション高めに励ましてくれました。わたしは痛いのに、いつしか笑っていました。
人がこんなにも優しいということ、仕事をしている人が美しいということ、人は人を変えられるということに、だんだん気づいていきました。
(この人たちは、毎日こんなにたくさんの人を勇気づける仕事をしてる。わたしはお金と自己顕示欲のためにしか生きていなかったけど、こんな世界があるんだ…)
わたしはこの病院で、それぞれがそれぞれの仕事でしっかりと咲いていることを肌で感じました。この感動は、当時は言葉にならなかった。
「元気な体さえあれば、人間何だってできる。自分を苦しめる生き方じゃなくて、人を助ける生き方がしたい」
大体、こんなことを考えていました。普通の人が学生時代に学び終えているであろうことを、26歳にしてこの病院で学んだのです。その思いは、どんどん昇華していきました。
「今回の人生は、自分にできることを精一杯やって人の役に立つ仕事をして生きよう。そして次の人生では、わたしは絶対医者になるんだ」
こう決意したんです。わたしは来世、きっと医者になります。どんな国に生まれても、絶対にあきらめずに、医者としてたくさんの人を助けたいと思っています。
今回の人生でこれから医者を目指したら、恩返しする前に人生が終わってしまう。だから次の人生で医者になろう…なぜかわたしは、すんなりとこの理論でもって自分を前に進めることができたのです。
「傷に悪いから、お酒はだめよ」
初日に病院の人に言われて、ビールも焼酎もすべて、流しに捨てました。(あると飲んでしまうからです)ものすごく久しぶりに、お酒無しで眠る生活を、取り戻しました。傷が治ってからも、お酒を買おうとは思いませんでした。
怪我が治った頃、わたしは断酒会に参加しました。飲まない生活を守りたかったのです。お酒に依存しなくなってからは、ランニングや筋トレにハマりました。依存じゃなく、ハマる。楽しむ。生き方がくるっと前向きになりました。
…わたしがアルコール依存症の闇から抜け出すまでの話は、これでおしまいです。
何年か飲まない生活をしたあと、わたしはお酒を頑なに飲まないスタイルをやめました。普通に何杯か飲んだこともあります。
再飲酒なんて…と顔をしかめる人もいるかも知れません。でも、これがわたしのアルコール依存症発症から現在までの、本当の話です。
アルコール依存症は、飲まずにいられない! という心の闇です。依存物質を断つことで健全な精神を取り戻せたら、そのあとはそれを必要以上に怖がらないことが、わたしなりの「回復」でした。
追記すると、さらにその後の人生でわたしは胃を壊します。今現在も胃弱体質で、小食だし、お酒はビールコップ一杯しか飲めません。人生ってうまくできているなぁと思います。きっともう、一生分のお酒を飲んじゃったんでしょうね。
実は今でも、顎の傷は消えてない(よく見るとわかる)し、傷がうずくこともよくある。だけど、この傷がしっかり隠れるファンデーションを見つけた。素顔のわたしには傷があるけど、傷のある顔も今では好き。
わたしはもう、お酒がこわくありません。
長文にお付き合いいただいて、ありがとうございました。それじゃあ、また明日!
アルコール依存症の生活がものすごくつらかった話~前編~
こんにちは、私です。
今日はちょっと重いお話です。心が弱っている方や、今現在アルコール依存症に悩んでいる方は読むのをお控えください。わたし自身、大丈夫だと思って書きましたが、最後まで書き終えた後でどっと当時の感情が押し寄せてきました。
※先に書いておくと、今現在は身体的な事情で、酒量は「ビールコップ一杯」が限度です。身体的に受け付けなくなったので、精神的にアルコールに依存することはまずなくなりました。変な話ですが、体を壊して心が自由になった、みたいな状態です。
改行しますね。
かれこれ、○年くらい前の話です。
25歳くらいの頃。わたしはアルコール依存症でした。発症してから克服するまでの話を書きます。長いので2回に分けて書きます。
◼︎拒食症からアルコール依存症へ
当時の仕事はクラブシンガーでした。人前に出るのだから見た目は大事。また、クラブのオーナーは「太ったシンガーはクビにする」ということで有名だったので、わたしは太らないように必死でした。まあ、芸能関係はみんなそうだと思うんだけど。
最初は、軽い拒食症の症状でした。ダイエットで見た目を整えたい、ただそれだけだったんです。でも、わたしはストイック過ぎました。
行き過ぎたカロリー計算、やりすぎの運動、興味のほとんどがダイエットに行きました。ダイエット専門誌を何冊も買い、食事日記もつけていました。
そのうち、ストイックな生活が板についたのか、食べなくても大丈夫になっていきました。もちろん体重はどんどん落ちていきます。60キロから48キロまで落とせました。恐れていた食欲(リバウンド)も無い。わたしは自分の意志でダイエットに成功したのだと思い、そんな自分を誇りにさえ思っていました。
しかし、そんなに甘くはありませんでした。
行き過ぎたダイエットの果て、わたしは「食欲」を忘れるために「お酒」を飲むようになりました。
◼︎アルコール依存症、発症はとても小さな変化
最初はたいした量ではありませんでした。ビールを2缶とか、そんな感じでした。ビール2缶はアルコール依存症とは思えないですよね。そこが、落とし穴だったんです。
まず、飲まずに眠ることができなくなりました。眠る前のビール2缶が、何よりの楽しみになってしまったのです。他に楽しみを用意しなかったのがいけなかったのですが、当時はダイエット一辺倒の生活で、エアロビクスの時間、ボイトレの時間、アルバイトの時間と目まぐるしく動いているうちに、自分の生き方に息がつまるような気持ちになったんです。そんな生活で唯一お酒が、わたしの孤独を満たし、心を解放させてくれるものだったのです。
お酒は、全能感をくれました。高揚感、なんでもできるという思い込み、自分はすごいという思い込み、そしてのどにくる刺激。
当時のわたしは「朝は野菜スープ、昼はサンドイッチ、夜は野菜スープとご飯少し」みたいな生活でしたので、食事が楽しみでもなんでもなかったのです。寝る前のビールが何よりの楽しみ、そんな生活でした。おなかがふくれる感じも良かったのだと思います。
■やがて強いお酒がほしくなりました
最初はビール2缶でした。これは本当です。この生活を1か月、2か月続けた頃でしょうか。ビールを飲み終えた後、なんとも言えない「物足りなさ」を感じはじめました。もっと酔わないと眠れない。そんな風に思いました。
それまでビールを買っていたスーパーで、焼酎も買うようになりました。200ml入りの小さなやつです。ダイエットをしていたので、甘いお酒はダメと決めていました。雑誌などで「焼酎は太らない」と書いてあったのを読み、焼酎に決めました。
それまではビール2本だったのを、最初の1本だけビールにし、次はウーロン茶と焼酎をハーフ&ハーフで割ったものを飲むようになりました。さっぱりしていておいしかったし、ビール2本の時より酔えました。
ここから、わたしの運命は急転直下しました。
焼酎は大きなパックで買うほど安いのです。毎日飲むのなら、200mlの小さなパックより、700ml入りの瓶を買って来たほうが、毎日買い物に行かなくていいし楽なのです。いわゆる普通の大きさのジンロとかですね。これが、徐々にペースアップ。2日で700mlの瓶を一本飲み切ってしまうようになりました。これではお金が足りないし、2日に一度重い瓶を買うのも面倒。
わたしは、とうとう禁断の、1.8リットルのペットボトルに入った焼酎を買ってくるようになりました。(4リットルのペットボトルは、重すぎて原付で運べなかったのです)
これは週に1〜2回程度の買い出しで済みましたが、買うお店をくるくる変えていました。おなじスーパーで買うと、アル中だと思われるから、恥ずかしかったのです。愛車の原付に1.8リットルの焼酎を乗せ、自宅までせっせと運びました。フックに引っ掛けた状態で、足の間に置いて運んでいた記憶があります。
1.8リットルの焼酎を買うようになってから、わたしの生活はお酒中心に回り始めました。「思いっきり飲みたい、早く飲みたい」そればかりを考えるようになりました。仕事が早く終わった日は19時頃から酔いつぶれるまで、4~5時間一人で飲んでいる。味を変えるために芋焼酎にも手を出しました。何の記録も残っていませんが、「ちくしょう、ちくしょう」と自分の学歴のなさを悔んだり、人と比べて自分が出来ないことが悔しくて泣いたり、クラブシンガーの仕事で歌う歌をただぼーっと聴いていたりしました。
また、クラブの仕事の日は夜遅くなるので「早くお酒飲みたいなあ…」と思うようになっていました。ステージ中は飲めないので、余計飲みたくなりました。そのころになると、毎日ジンロ一本分くらい(焼酎700mlくらい)は飲んでいました。
■おつまみがほしくなる→バカ食い
そりゃそうだ…と言われればそれまでなのですが、このくらい飲むようになると、おつまみも大事になってくるんです。お酒だけ飲むより、いかのくんせい一つ口に入れるだけで味と満足感が全然違うから。魚の缶詰なんかもいい。
やっぱり太りたくなかったわたしは「太らないおつまみ」などの本をかたっぱしから買ってきて、魚肉ソーセージやらするめやら茎わかめやら、そういうものをたくさん買いだめして、晩酌のときに広げるようになりました。外見を整えていても、中身はくたびれたオッサンみたいな生活してました。
この、酔った状態でのおつまみがどれほどキケンかは、お酒を飲む人ならわかると思います。どれだけ食べたか認識しづらく、また、酔いつぶれる直前にすごくお腹がすくのです。
この、酔いつぶれる直前にバカ食い(過食)するようになるのに、時間はかかりませんでした。わたしは、アルコールを飲んで過食するようになりました。
朝起きると、食べた記憶のないカップ麺の容器やスナック菓子の空き箱、袋などがゴミ箱にあるのです。毎朝、これを確認してはカロリー計算をし、その日食べていいカロリーから引いていました。
昼間は何も食べられない計算になりました。何も、食べなくなりました。完全に、生活がお酒の支配下に置かれました。
◼︎頼めなかったピザ
ある日、わたしは飲んでも飲んでも眠れずに、ベロンベロンの状態で朝を迎えてしまいました。10時になったとき、わたしはものすごくピザが食べたくなりました。10時なら、もう注文ができるピザ屋がありました。チラシに載っているピザを食い入るように見て、こっちがいいか、それともこっち…と考えているだけでよだれが出てきました。
ダイエットを始めてから、ピザなんて一度も食べていなかったからです。ピザは、2ちゃんねるで太っている人を表す隠語でもあり、怖くて食べられなかったのです。
厚切りベーコンの乗ってるこれ…それとも照り焼きチキンマヨネーズ…考えながら携帯でピザ屋の電話番号をダイヤルしているところで意識が途切れました。ジンロ2瓶分ほどのお酒が、急に回ってきたのでしょう。
目が覚めて、しまった! ピザを食べてしまった! と跳ね起きましたが、ピザは食べていませんでした。電話番号がきちんと押せておらず、頼めていなかったのです。わたしは安堵しました。
そろそろ、ダメかもしれない…
自分でもそう感じていました。なにかが終わる、そんな予感がありました。クラブシンガーの仕事も、キャバクラの客引きの仕事もなんとかやれている。太らずになんとかやれている。でも、実際の生活は、誰とも食事にも行かず、一人でお酒を飲むことだけが楽しみの、哀しいものでした。友達もおらず、声をかけてくる男の人は体が目当て。
破滅の予感を感じながら、わたしは粛々と「その日」が来るのを待っていました。
後編に続く(それじゃあ、また明日!)