接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

生きてみてわかった、本当に必要なもの

こんにちは、かんどーです。
(もはや何と名乗って良いのやらよくわからない)

 

書くことがなくても、毎日一言何か書き残してみようと思います。

 

今日のテーマは「価値観の変遷」です。

 

私は苦学生であり、夜間短大に通いながら昼間はフルタイムで働いていました。

とにかくお金がなかったので、寝る時間をお金に換えて、ひたすら働きました。

 

この経験から私は、お金がなによりも大切なものだと思いました。

 

そして、営業マンを経て起業しました。

 

「雇われのままでは稼げる金額に上限がある」からです。

また、女性であることから、営業マンになるのも大変でした。

(面接のときに事務をやれとか言われて門前払いされる)

 

私の手持ちのカードでお金持ちになるには、起業するしかありませんでした。

 

予定通り、30歳で人材派遣会社を起業。

その後は自分も週5で現場に入りながら、会社経営。

2年目で年商1億を達成しました。

 

その後も売り上げは右肩上がりに伸びていきました。

 

私はやっと「月収80万くらいの生活」をすることができるようになりました。

家事は基本外注。

食事するお店は、1食5000円なら「安いな」と思うくらいの生活をしました。

 

 

完全に、狂っていたと思います。

 

というか、身の丈に合っていませんでした。

なので、結局その生活にすぐ飽きました。

 

同時期に仕事のストレスで胃を壊してしまい、外食もできなくなりました。

 

その頃から私は、定期的に海外に行くようになりました。

泊まるのは高級ホテルではなく、安いドミトリーでした。

 

ローカルなお店で安いご飯を食べて、何者でもない自分でいる時間を愛しました。

 

そんな生活を続けるうちに、私は「贅沢は私に合っていない」と思いました。

 

会社を譲渡し、代表取締役から抜けて小学校教員に。

吉祥寺近くの「久我山」という駅徒歩10分の、53000円のアパートに住みました。

1階でした。

 

教員の仕事で月に30万くらいもらっていたのですが、それでも「多い」と感じました。

毎月10万くらい貯まっていました。

 

 

その後紆余曲折あって、シナリオライターとして独立。

住居も大好きな西成に移しました。

 

そして今は、法人経営もしています。

 

ですが、前回の起業の時とまったく違うライフスタイルです。

 

一か月に使うお金は約18万円。

※家賃・固定費・旅行も含めてです

 

食費に至っては月18000円ほどです。

 

先日、ふと思い立って香川に旅行しましたが、往復の高速バスとホテル代を全部合わせても1万しませんでした。現地のうどん代を入れてやっと1万いくかな……という旅です。

 

私は家族のしがらみが何もありませんので、親への仕送りなどがありません。

また、家族を持っていないので、そこへの支出もありません。

 

なので、月18万もあれば充分な生活ができてしまうのです。

 

 

ふと考えます。

 

 

この先、会社がうまくいって、またお金がたくさん使える状態になったらどうしよう……と。

 

おそらく「どうもしない」と思います。

強いて言うなら今はちまちまと行っている投資を本格的にやり始めるでしょう。

 

そして、私より先に、会社に貢献してくれている人に分配したいです。

 

 

私に必要なのは「誰にも支配されずに働ける環境」これだけなのです。

 

たくさんお金が欲しいから起業するのは30代で卒業しました。

年商1億への道、5億への道も経験しました。

初年度と2年目が一番大変なことも知っています。

(知っているから、今多少きつくても頑張れています)

 

 

実際、今の私のスケジュールは、

 

月曜~金曜 法人業務を回しながら執筆

土日 執筆に集中

 

こんな感じで、特に休みというものを設けていません。

香川にいる時でさえ、ベンチを見つけたら必ず座ってメールや連絡のチェック。

だいたい何か来ているので、都度返信していました。

 

そういう生活ですが、私はこれをやりたくてやっているので、苦ではありません。

 

 

……とここまで書いてきましたが、私に必要なのは

「いつまでも動ける体」 これに尽きると思っています。

 

たくさんのお金は必要ないとわかりました。

生活レベルも今より上げる必要ありません。

 

ただ、私には後継者がまだいないので、今私が倒れると非常に大変なことになります。

 

なので、無理をしすぎず、自分が倒れない環境を作るのが一番大事だと思っています。

 

 

私は体力があるほうだと思っていますが、それでも更年期障害なのか何なのか、最近は頻脈で疲れやすくなったりしています。

 

病院で検査を受けても「異常なし」だったので、大病ではないと思いますが。

 

体調と上手く付き合いながら、会社経営を止めずに走り続けること。

これが最重要かなと思っています。

 

 

さて、今日は土曜日。

法人宛の連絡が来なくなりますので、執筆に集中します。

 

また明日、なにか書きたいことがあったら更新します。

 

 

それでは、また明日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごぶさたしております

はてなブログのみなさま、お元気ですか?

 

元あけすけビッチ、今は地味なシナリオライター兼経営者です。

 

2023年にシナリオライターのお仕事を始めて、それが2年ほどで軌道に乗ったので、法人化しました。今はライターさんを集めて、法人としてゲームの制作を請け負ったり、Vtuberさんのシチュエーションボイスなどを執筆したりしています。

 

お仕事の4割がライターとしての執筆で、6割が法人で受けている業務の進行管理です。

 

ありがたいことに、2025年は黒字決算にて終わることができました。

 

 

もちろん、業界的にはただの零細企業です。

 

しかしながら、高校生の時からオタクだった私が、紆余曲折を経て40代になって、オタク文化を「作る側」に回れているのは、本当にうれしいです。

 

アダルトゲームなども好きで、よくプレイしていたのですが、今はそんなゲームのシナリオに携わることが出来ています。ちょっと夢みたいな状態です。

 

 

住まいは西成で、5万円台の1Kのお部屋に一人で住んでいます。

いろんなことがありましたが、私は一人で心落ち着く部屋に住んでいる今が好きです。

 

ブログ全盛期と比べて変わったことと言えば。

人を愛さなくなりました。

 

愛という感情ではなく、信頼というものさしで人を見るようになりました。

 

信頼できる方とお仕事をして、信頼できる方とたまにお茶をしたり食事をする。

私は、性的な目で人を見ることがもうありません。

性的な目で見られることももう好みません。もうそのモードが私には備わっていない。

 

私ももう40代後半となりましたが、いい歳の取り方が出来ているのじゃないかと思います。

 

もっとめちゃくちゃだったり、早死にしていると思っていました。

 

 

正直、お酒もたばこもやらず、誰かに依存することもなく自分の生活を自分の会社で支えられている……という今の状態を「奇跡」だと思っています。

 

もともと起業家志向ではあったけれど、40代後半だと体力もそれほどないし、無理がきかないので不安でした。

 

もちろん、会社で受けているコンテンツ制作の業務が遅れたりすれば、体に鞭打って徹夜に近い状態で仕上げることもあります。3か月以上まともな休みが取れないこともよくあります。

 

そういう時は気力で乗り切っていますが、その後ガタガタに体の調子が不調になります。もう無理がきかないんだなー……と寂しく思いますが、経営視点て見れば「ここ一番!」という時にはちゃんと立っていられる状態だと思っています。

 

4月から会社に営業さんが一人入ってくれました。

 

この方に法人の業務をどんどん引き継いでいるので、私はクリエイターの活動を取り戻しつつあります。シナリオ制作会社において、代表者が執筆の第一線から退くのは、あまり良いことではないので、今はようやく「ここからもうひとがんばり」するところに来ています。

 

プライベートでは、2025年にバイオリンを習い始めました。

 

あとは、脚本の勉強のために……と観に行った「狂言」にハマってしまっていたり、文化的な生活になったなぁと思います。

 

年に1回はマラソン大会も走っています。

 

ブロガーだったころを思い出すと、あわただしいというか、よくあんなに生き急いでいられましたよね。今でも決断は非常に早いので、そのあたりは私らしいのですが、あそこまで破天荒ではなくなった気がします。

 

またなにか、書きたいことができたらブログでも再開しようかなと思っています。

 

あの頃のような「常に何かに憤っている」私ではなくなってしまいましたが、ブログを書く切り口がみつかったら、また書きます。

 

みなさまの人生が、健康で幸せに包まれていますように。

 

 

 

 

 

 

 

会社経営、もうすぐ1年たちます

こんにちは。
元々私のブログに読者登録してくださった人って……

・人の生き様

が見たかったんじゃないかな、と勝手に想像しております。


私は昨年、人生で2度目の起業をして、もうすぐ決算です。
無事、黒字です。

無借金経営ですが、年内に1つ、来年頭に1つ、新規事業を立ち上げます。

結構大変なのですよ。
無借金経営で新規事業を立ち上げるのは。


でもなんとかやれています。


毎月の月商、そして今回の記事では年商も報告しています。
本気で私のことを追ってくれる方は、月1000円で私の生きざまを追ってください。

正直、1000円以上の価値があると思います。

ci-en.dlsite.com

 

それでは、また!

1月7日に法人設立します!

 

いきなりすみません。こんばんは。

追ってくれている方のために書きます。

 

1月7日(火)にシナリオ会社を設立します。

 

融資が通ったらボイス収録スタジオ作ります。

あとはスナック経営もおいおい始めます。

 

またしばらく、本格的に社長業に専念します。

 

どうも私は会社経営が1番長続きするみたいなので、会社を設立すれば長く働けるのでは?   と思っての起業です。(もちろん他の理由や条件が整ったとか、諸々ありますが)

 

代表取締役の名刺が私には1番合っている気がします。誰かに使われるのではなく、自分で切り開いて行くのが楽しい。

 

その瞬間だけ「本当に生きてる」と思えるのです。

 

真実を突き止めるより、自分が本当に生きていると思える生き方をすることで、自分の中にある真実と向き合おうと思います。

 

起業の理由を一言で表すなら「こうするしか無かった」です。

 

他に私が本当に生きていると言える生き方が見つかりませんでした。誰かのために生きるタイプではないし、人との関係性で自分の位置を確認することも出来なかった。

 

会社だけは私に寄り添ってくれる。

一緒に人生を駆け抜けてくれる。

 

私をスケールアップさせてくれる。

視野を高くしてくれる。

周りの人を幸せにできる。

 

私は自分のために。そして周りを幸せにするために起業します。

 

手続きは大変だけど、頑張ります。

シナリオライターは向いているようで、どんな日でも1日7000文字書いてます。

 

何があっても書くので、本当に向いているんだと思います。

 

引き続き遠くから見守っていてください。

では、また。

三沢文也さんのKindle本「病まないメンタルの作り方」に星1をつけていない話

お久しぶりです!

Twitterに書くと荒れそうなので、こっちでこっそり書きます。読んでる人もういないだろうなぁ……。ブログのURLもタイトルも変えちゃったしねぇ。

ちなみに私がブログを一時的に消して、サーバーごと引っ越したので、当時のブコメも全部消えてます。なぜそこまでしなければいけなかったのか。理由は「教員としてフルネームを公開して働くことになった」からです。


今の保護者って、教員のフルネーム検索したりするらしいんですよ。

それで、教員やってる友人のアドバイスでブログを私の実名から検索できないように、ドメインも変えて一時的に見られない状態にしていたのです。

でももう今フリーランスなので。


タイトルの件ですが、もうめちゃくちゃなんですよ……。
そもそも、この本自体(kindleの自費出版本です)、私に対するトラウマで書いたらしいんです。。一行目から私への当てつけです。ええかげんにせえよww




見てのとおり、私は「サンプル」しか引用できません。
購入していないからです。

それなのに、「私がこの本に☆1の評価をつけたに違いない!」と疑いをかけられています。……そもそも、本を買ってない人ってレビュー書けないんじゃないんでしょうか?(詳しくなくてすみません)


ちなみに、三沢文也さん(青二才さん)が「トラウマを受けた」と言っているのは、私のことです。ご存知の方は少ないと思うのですが(というかいないだろw)、私と青二才さんは、あるブログ運営者の方の元でライターとして記事を書いていました。

ですので、ライター仲間であり、友達でもあったんです。


私は、友達にははっきりと意見を言う方です。その方が友達の人生が良くなると思っているから言うんです。私は三沢文也さんに、

・体重を落とした方がいい
・アルバイトをした方がいい
・一緒にシナリオライターになろう

この3点を強めに言いました。その結果、言葉の片隅から悪意を感じ取ってしまったらしく、縁を切られてしまいました。確かに強く言いましたが、三沢さんに良くなってほしいから助言したのです。

今回のkindle本にしたって、今は時間がないから読めないけれど、そのうち買って読もうと思っていました。おもしろかったらもちろん☆5でレビューも書くつもりでいました。

その矢先に「お前が☆1をつけたんだろう」みたいなことをツイートされてしまい、ショックです。。

ああもう誰もこんなん読んでないよな。書いてもしょうがないんだよな。。でも今動かしてる本アカウント(シナリオライターとして仕事を受注しているTwitterアカウント)は、荒らしたくないから、ここに吐き出すしかない。。

1000文字程度でしたが、書いて少しすっきりしました。

今の私は専業シナリオライターとしてなんとか食べていってます。本当にありがたいです。ブログで培った「毎日書く力」が別の方向で役に立ってくれました。

来年は法人作って、もっといっぱいお仕事しようと思ってます!

あの……いつも読んでくれてる方々のスター、全部見てます。
覚えてます。
ブログ全盛期に絡んでくれた方々、寄稿などでやり取りした方、全部覚えてますから……!!

あの頃応援してくれてありがとうございました。
今も、元気に文章を書いています。
あの時の応援が、今に繋がっていると思っています。

今度はもっと明るい話題を書きますね!

ああ、はしごたんとか元気にしてるかなぁ……!
はしごたん! 私、高知に住んでたけど今引っ越して大阪にいるよ!

それじゃあ、また!!

また法人を立ち上げることになりました!

お久しぶりです、かんどー……です。

昨年の7月からシナリオ執筆の勉強をしており、自分で同人サークルを作って作品を出しました。また、試しにシナリオ制作の案件を受けたりしていました。

最初はクラウドワークス経由だったりで、YouTubeのシナリオ制作やwebコンテンツ制作をしていたのですが、それだけだと食べていけないので、試行錯誤し。


音声作品(ボイスドラマのようなものです)のシナリオ制作と、ソーシャルゲームのシナリオ制作に絞って仕事を受けています。

これがなかなか性に合っていたようで、ここ数か月は他のアルバイトなどを一切せずに、シナリオ制作だけで生計が立つようになりました。また、お仕事も現状9月までみっちり入っている状態です。

個人様からの依頼と企業様からの依頼の両方をこなしています。
(ゲームは主に企業様からの依頼です)


そんなわけで……来年の1月に法人化することになりました。

前回は人材派遣の会社でしたので、どうしても人を雇うことが前提でしたが、今回は自分の食い扶持を自分で稼ぐ、マイクロ法人のような形になるかと思います。

現在の活動も応援してくださる方がいれば、ぜひ「音声作品」に触れてみてください! マンガや小説も面白いですけど、声優さんの演技によって物語が紡がれていく音声作品も、とっても面白いですよ……!

www.dlsite.com

 

これが私の作った作品です。このほかにも、依頼を受けてシナリオ制作した作品がちょうど今日発売になっています。

www.dlsite.com

 

この作品は音声作品が初めての方にも楽しみやすいかと思います!


ソーシャルゲームの方も、そこそこ有名ですし面白い作品なので名前を挙げたいのですが、こちらは「非公開案件」ということで、作品名を挙げることができません。残念ですが、ご縁あってプレイしていただけることを願うのみです。

Twitterアカウントも、完全にシナリオライターとして運営しておりますので、引き続き応援してくださる方はぜひフォローしてくださいませ!

 

twitter.com

 

ゴールデンウィークも返上でシナリオ制作しております!
毎日忙しいですが、物語を作るのは楽しいので頑張れています!

ブログ更新はあまり期待しないでください。。
Twitter更新するので精一杯なところがあります。

ともあれ、無事また適性に合った仕事が見つかってよかったですー。
今後ともよろしくお願いいたします。

幻の薬局

こんにちは。篠田です。
ちょっと長くなりそうなのでこちらに書きますね。

私、先週までタイのチェンマイというところにいたんです。久しぶりの海外旅行ということで、少々高揚しておりまして。それで、めったにないことなんですが、体調を崩してしまったんですね。具体的には、

 

・腹部膨満感
・吐き気
・初日だけ微熱、下痢

 

といった感じで、典型的な「水あたり」の症状でした。食べられないしお水を飲むのもつらい。夜になると微熱まで出ました。倦怠感もすごかった。ただ、水あたりなら悪いものを出し切ってしまえば治ると思っていました。なので日本から持っていった整腸剤などを飲んで休んでいました。

 

しかし、その状態が2日経っても治りませんでした。そろそろ治さないとと思い、ふらふらとホテルを出て、小さな薬局に入ったんです。よくある化粧品なども売っているドラッグストアとは違って、純粋に「薬」を売っている小さな薬局。微熱があったので少しふわふわしながら、お店に入りました。

中には女性の薬剤師さん(たぶん)が一人。

 

幸い英語も通じて、症状を詳しく聞いてくれて(下痢は何回? くらいまで細かく)、症状を緩和するための薬を2つと、抗菌剤(抗生物質)を1つ出してくれました。お会計は3種類の薬×10回分で200バーツ(800円)くらいでした。

 

その薬を飲んだ翌日、とりあえず動けるくらいまで元気になりました。たくさんは食べられないけれど、食事もできるようになりました。吐き気が止まったことでヤクルトなども飲めるようになり、水分も充分に取れるようになりました。

私はとても嬉しかったので、その薬剤師さんにお礼を言いに行こうと思いました。日本で買ったタオルハンカチで、使っていないものがあったので、それをプレゼントしようと思い、カバンに入れてホテルを出ました。

「大通りに出て、ここを曲がって……」

そんなに複雑な移動はしていませんでした。それなのに、お店がないのです。

シャッターが下りた状態の建物があるだけ。今日は定休日なのかなと思い、翌日も行ってみましたが、やっぱりお店はありませんでした。

薬は確かにありました。(飲み切ってしまいましたが)
夢を見ていた……とかでもないと思います。確かに私は自分の症状を拙い英語で一生懸命説明しましたし、その方が「これは朝と晩、これは朝昼晩」と説明してくれたのも覚えています。

結局、バンコクに移動する日まで、その薬局を発見することはできませんでした。

私は夢を見ていたのでしょうか?
とても簡単な道なので、間違えるということはないはずです。


8年前、初めてタイに来た時に、軽い心霊現象にあったことがあります。どうも、タイにいる「そういう方々」と波長が合いやすいのか、日本にいる時よりそういうことが多かったと記憶しています。

あの薬局は、たまたま週休3日とかで、たまたまシャッターが下りていただけなのでしょうか。それとも……


あの親切な女性薬剤師さんには、直接お礼を言いたいのですが……(なんならFacebookとかで繋がりたいと思ってました)

とりあえず、このことは書くだけ書いておいて、来年また来たときに思い出したら薬局を探そうと思います。スッキリしないので書き出しておきました。

あのお薬がなかったら、チェンマイにいる間、遊びに行けなかったと思うので、本当に感謝しているのです。あの冷静で優しい薬剤師さんに、また会えますように……。

 

短編小説「その光をたよりに」

 私は、アイドルだ。

 本名は綾子というどこか古臭い名前だけれど、アイドルのときは「あかり」になる。

 今から二年前、高校二年生のときに、地域密着型アイドルのメンバー募集に応募したのがきっかけだ。

 歌はうまい方だったしダンスも習っていたことがあった。オーディションはあっさり受かった。私のほかに五人受かって、六人組のアイドルグループになった。グループ名は地元の駅名「夢見が丘」をもじって「ゆめみ☆GA☆おか」に決まった。

 プロデューサーは三十六歳独身の石田さんという男の人。痩せ型体型で物腰が柔らかく、すぐにメンバーから「いっしー」と呼ばれるようになった。アイドルグループを作るのはこれが初めてで、手探りで始めたそうだ。

 地域の人たちとのつながりはあるから、活動場所はたくさんあると意気込んでいた。私たちを乗せた船はゆっくりと動き出した。

 

 レッスンは週に二回、一回四時間、公民館の一室を借りてやっていた。歌とダンスの先生が来てなかなか本格的だった。最初は基礎練習をやっていたけれど、ある時から有名アイドルの曲をカバーして練習するようになった。カバー曲が二曲仕上がったところで、いっしーはさっそくライブの予定を組んできた。私たちのデビューは、団地の小さなお祭りだった。

 メンバー六人お揃いのピンクのTシャツに、自前のショートパンツを履いて団地の段差をステージに見立てて歌って踊った。その次の週は老人ホームを訪問してライブをした。

 三か月目から、オリジナル曲を歌うようになった。地元の音楽専門学校の生徒から曲を公募して選び、歌詞はいっしーが書いた。「夢見る☆ミラクル」という、いかにもな曲だったが、サビの部分の「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」というところのメロディがとてもきれいで、メンバーみんなこの曲をすぐに大好きになった。

 

 オリジナル曲ができた頃から活動の幅が少し広がった。地元のお祭りでステージに立って歌った。有名アイドルグループの曲を三曲と「夢見る☆ミラクル」を歌った。地元で「ゆめみ☆GA☆おか」はちょっとだけ名前が知られてきた。「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」の部分だけは知っている、というお客さんもいて、一緒に歌ってくれるようになった。ステージのMCで、

「週末ヒロイン、ゆめみ☆GA☆おかです!」
 というお決まりのセリフをメンバー全員で声を合わせて何十回も言ってきた。

 

 グループ結成から一年が過ぎた頃、一波乱あった。

 メンバーが四人一気にやめてしまったのだ。一人は別のアイドルグループにスカウトされたらしい。いっしーの顔が曇っていた。残ったのは私と「ゆうか」の二人だった。

 追加でメンバー募集をかけるという話もあったのだが、いっしーは飄々と、

「あかり、ゆうか。しばらく二人でやってみようか」

 と笑った。私とゆうかは同い年で背格好も似ていた。雰囲気の似ている二人が残ったという感じだ。せっかくだし、とカメラマンを雇って本格的に二人の撮影をして、ホームページをリニューアルした。私とゆうかは、いよいよアイドルらしくなっていった。

 

 オリジナル曲は「夢見る☆ミラクル」を代表に、全部で六曲に増えていた。有名アイドルグループのカバーは二十曲できるようになっていた。二人でパフォーマンスをするようになったので、歌割り(誰がどこを歌うか)や振付を大きく変えたが、六人だった頃よりキレが出て、むしろ見映えがするようになった。

 もともと我の強い二人ではないから、ここは私が前に出て、ここはゆうかが出て、という出し引きがスムーズにできた。ステージの上では激しくダイナミックに動くけれど、ステージを降りると私とゆうかはすごく仲が良かった。

 いっしーは淡々と週末のライブ予定を決めてきた。地元のイベントとライブハウスでの活動が半々だった。ライブハウスは音響がよくてマイクの声がよく通る。後から動画を見ると、ライトを浴びて歌っている自分たちは、まぎれもなくアイドルなのだと実感した。

 

「歌の決めどころは、あかりに任せる」

 いっしーにそう言われたので、私はボイトレで声の通りを良くする特訓をしてもらった。短期間で一気に声が通るようになり、元々音感が良かったのか、コーラスを取ることもできるようになった。(これには自分でも驚いた)

 私は歌が前よりずっと好きになった。代表曲「夢見る☆ミラクル」も、いざ自分がメインで歌ってみると、テンションの高さをメロディに乗せやすくて私にぴったりの曲だった。「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」のところはゆうかと手を繋いでステージの上で回ったりジャンプしたりした。客席へ降りて行ってお客さんと手を繋いで回ったりジャンプすることもあった。このパフォーマンスは初めて来てくれた女性のお客さんにも大受けした。

 

 ゆうかも開眼していった。

「ゆうかは客席とのコミュニケーションが魅力だから、これまで通り自由にね!」

 いっしーの言う通りだった。ゆうかは客席との距離がとても近くて魅力的だ。歌もダンスも未経験からスタートしたゆうかはいつも全力で一生懸命で、粗削りだからこそ訴えかけるものがあった。何より性格が底抜けに明るくて表情が豊かだった。私が落ちサビ(曲が一瞬静かになってソロで歌うところ)を歌っているとき、片膝をついて天をあおぎ、全力で念を送るパフォーマンスをするゆうかの姿は神々しかった。(正直、私たちのパフォーマンスにおける落ちサビは、ゆうかの姿こそが見せ場なのである)

 

 ゆうかはいつも客席を巻き込んでくれる。客席に降りて行ってファンや他のお客さんと手をつないで回るパフォーマンスは、ゆうかがアドリブで発案したものだ。いつも来てくれるファンにはステージの上から指差しをしたりサービス満点だ。そんなゆうかに引っ張られて、私も客席へのサービスが上手にできるようになった。

 ライブもどんどん良くなっていった。私とゆうかがよくやるパフォーマンスは、曲の途中でお互いの手を繋いだりハグをすることだ。女の子同士が仲良くしている姿は、ファンから見て「可愛い」と思うものらしい。実際に仲が良いので呼吸がぴったり合っていた。

 

 そんな活動をゆうかと二人で一年続けた。アイドル生活は丸二年が経過した。私もゆうかも高校を卒業して、大学生になっていた。

 ライブのたびに来てくれるファン(オタとも言う)は常時二十人くらいいた。遠方の方やSNSで応援してくれる「在宅オタ」の方も含めると百人くらいのファンがいる状態で、適度な距離の近さと親しみやすさがあいまって、ファンが離れていかない状態になっていた。

 私はそのころから、もやもやと悩み始めた。毎日、忙しいのに退屈なのだ。

 いつも同じ曲、同じお客さん、同じようなライブハウス。全力でパフォーマンスしても返って来る反応は「良かったよ!」「今日も可愛かった!」といったもの。私は、「これ、私がやらなくても良いのではないか」と思い始めていた。声の通りが良くなってから、私は洋楽を歌うようになっていた。独特のリズムの取り方に体を慣れさせると気持ちが良い。オケ(録音してあるカラオケ)で歌うのではなく、生バンドで歌いたい。もっと高音も低音もある曲が歌いたいし、難しい音階や複雑なコード進行の曲が歌いたいと思っていた。「ゆめみ☆GA☆おか」の曲はみんな覚えやすいけれど簡単なのだ。

 

 私がもやもやしていることは、なんとなく周りに伝わっていった。一人になると辞めることばかり考えてしまう。ゆうかは初心を忘れずにずっと一生懸命やっている。ゆうかにとっては「ゆめみ☆GA☆おか」の活動こそが自己表現の手段になっているようだった。私はゆうかのテンションを下げたくなかったから、いっしーだけに私の気持ちを全部話した。

 いっしーは真顔になって私と向き合ってくれた。私の話を全部聞いて、もっと上を目指したい気持ちも理解してくれた。そうしてこう言った。

「あと三か月だけ、やってくれない? その間、あかりにできることを全力でやってみてほしい。それ以降は引き止めたりしないから」

 私は期間が限定されたことで、もやもやしていた気持ちが少しおさまった。その後のライブではゆうかと二人、今まで通りはじけることができた。

 

 一か月が過ぎたころ、新曲を一曲もらったのでそれを練習していた。ふだんはダンスの先生が振付をしているのだけれど、この曲はゆうかと二人で振り付けをすることにした。歌って踊ってみて、それまでの曲と少し違う気がしていた。なんというか、歌うのにコツがいるのだ。複雑なコード進行、階段を一段飛ばしで駆け上がるような不思議なメロディ、それなのに音から色彩を感じるような不思議な曲だった。複雑なAメロBメロを超えるとキャッチーなサビが来て盛り上がる。本当に素敵な曲だった。

 

 新曲をライブでお披露目する日が来た。いつもはオリジナル曲を三曲やって、MCをはさんで代表曲「夢見る☆ミラクル」で締めくくるのだが、この日は一曲目から「夢見る☆ミラクル」をやった。客席からはコールの嵐、みんなでジャンプしたり会場は大いに盛り上がった。「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」のメロディは、このまま永遠に続いてほしいくらい気持ちが良かった。続く二曲目、三曲目もステージと客席が一体となっていた。そしてラスト、新曲のお披露目となった。私は今日のライブ直前、いっしーに言われたことを思い出す。

「この曲、久しぶりに僕が歌詞も曲もつくったんだ。歌うの難しいでしょう。でも、あかりなら歌えると思ったんだよ」

 ステージの上なのにこんなにリラックスしているのはなぜなんだろう。あんな嬉しいことを言ってもらえたからかな。ゆうかと二人、手を繋いで新曲の立ち位置を確認し、ぴたりと動きを止める。

 会場のライトが一瞬落とされる。あたりは真っ暗になり、しんと静まる。私とゆうかは右手のひらで目元を隠すポーズをとって、曲が始まるのを待っている。左右のスピーカーから聴きなれたイントロが流れてくる。ここ一か月、毎日練習していた新曲だ。しかしこの曲をライブハウスの大音量で聴くのは初めてだった。イントロの音が粒になって降って来るような気がした。音の一つ一つが美しくて、イントロのメロディはせつない水色だった。音が色になって目の前に降って来る。こんな感覚は初めてだった。

 体にしみこんだダンスを音楽にあわせていく。音の粒と指先までしなる体の動きがリンクする。マイナーなメロディのAメロは悲しみのブルー。私とゆうかが交互に歌って、歌っていない方は切ないダンスで客席を歌の世界に引き込んでいく。体が思うように動く。声が思ったところへ飛ぶ。

 新曲は迷い悩んでいる主人公が、一体どこへ行けばいいの? と街をさまよう歌だ。

「♪どこへ行っても居場所なんてなくて 声も出せなかった」

 灰色の音の粒。

「♪誰を待っているわけでもない駅で 雨のにおい まだ降り続いて」

 水色の音のしずく。

「♪どこへ行っても何も変わらないなら 歌よ運んで私を」

 黄緑の音の流れ。

「♪強い力で連れて行って ここじゃない場所へ!」

 オレンジの力強い音。力強いゆうかの歌声はどんどん音量を増す気持ちのいいクレッシェンド。音の魔法で曲は一気にメジャーコードになり、世界が明るくなる。

「♪その光をたよりに 見つけにいこう 一緒にいこう」

 強い強い赤。きれいな音楽に気持ちよく私の声が乗っていく。音と世界がマーブル模様の異空間になっているのを感じる。

 

 ノリの良い新曲のメロディにお客さんも巻き込まれている。会場に音のシャワーが降っている。その美しい水のひとつに、今私はなっている。小さな美しい水のしずく。無限にあるものだけれど、ほんとうに美しいものはたったひとつ。ああ、その瞬間を胸に刻むために、私たちは生きているのかもしれない。

 落ちサビで私は新曲に込められた一番の命を歌う。ゆうかが私のほんの少し後ろで片膝をついたのがわかった。私は一瞬目を閉じて、美しい音に小さく澄んだ声を乗せていく。

「♪その光をたよりに 見つけにいこう 一緒にいこう」

 一拍の空白の後、転調してひとつキーが上がる。三回同じメロディを歌う。ゆうかと声を合わせて、客席のすみずみまでこの歌を行きわたらせるように。私は音楽の色と形と手触りを味わってしまった。この快楽はもしかしたらものすごい宝物かもしれない。

 客席からたくさんの手がこっちに向かって伸びている。世界が力強く揺れている。一瞬スポットライトが私を照らした。まぶしい光がまぶたを刺激して、目の奥がつんとした。言いたいことがたくさんあるのに何も言えない気持ちがあふれてきて切なくなる。だけど言いたいことはもう全部この音の中にあって、もうほかに何もいらないんだ。

 

 曲が終わり、ゆうかと二人繋いだ手を高く上にあげ、いつものように深くお辞儀をした。いつもはこのままステージ袖にはけるのだけれど、この日私はマイクを持ち、客席に向かって話し始めた。

「みなさん、最後まで聴いてくれてありがとうございます」

 突然のMCに客席は驚いていた。ゆうかも驚いていた。

「私たちは、これからもみなさんがいる限り、ずっとずっと歌い続けます。これからもよろしくお願いします!」

 客席が沸いた。ゆうかは私をぎゅっと抱きしめて、それから私の頬を軽くなでてくれた。自分でも気づかないうちに私は泣いていたらしい。ゆうかは私が辞めたがっていることに気づいていたと思う。だけど何も言わずにいつも通りに接してくれていた。私が結論を出すのを待ってくれていたのだ。ゆうかも泣いていた。客席の拍手はいつまでも鳴りやまなかった。

「あなたは誰かのために動いている方が、いいオーラが出ているよ」と言われた話

私はしばらく、自分のために生きていました。
「私が」どうなるか。「私が」カッコよく生きられているか。

そんなふうに思いながら人生を描いていた気がします。


最近、ふとした拍子に「誰かのためにがんばってみたい」と思える仕事を見つけました。その仕事はおそらく面接に通れば働けそうです。

その仕事に就く予定であることを、親しい友人に伝えたところ、


「あなたは自分のためじゃなく、誰かのために動いているときのほうが、いいオーラが出てるよ」


と言われたのです。


確かに、誰かのためにやろうとして行う仕事をするとき、私はとても献身的になります。その「誰か」が喜んでくれることが目的のすべてになります。

自分が楽しんで仕事をすることも大事だけれど、その仕事に就く「動機」って実はすごく大事なのではないかと思います。


そういうわけで、私はまだ来年の3月までは動けませんが、来年3月以降は誰かのために仕事をしていきたいと思います。

自分だけでない、「誰か」のしあわせのために。