こんにちは、貫洞です。
今更ですが、このブログは5月より1年間の毎日更新で文章力を上げようと取り組んでいる「たのしく文章筋トレ」的なブログです。現在、毎日更新は7ヶ月目まで来ました。ランニングに例えると、7ヶ月って続いている方かなーなんて思います。
7ヶ月毎日更新を続けた今、実際に「上がったなー」と体感するのは「書く速さ」です。ランニングも一時的にスピードがグッと上がる時期があるので、カラダ作りの段階なのかなと。
一時期は毎日更新が苦しかったですが、書く速さがグッと上がったことでかなり楽になりました。あと5ヶ月で何が変わるか、心の中で小さな炎が燃えています。できるなら、表現力や伝える力、自分らしい文章を手に入れたい…! 一年経ってもブログはやめないです。ただし、毎日更新の縛りは解くと思います。
さて、さて。
先日、美容院に行ってきました。ここでは一つ楽しみがあります。それは「雑誌」です。
普通に持ってきてもらうと「CLASSY」とか「OZ」みたいな本がわたしの前に並ぶんだけど(あと担当の美容師さんが「はいこれ」って旅の本を手渡してくれることもw わかってらっしゃるw)あえて、普段読まない雑誌をリクエストするんです。これがかなり楽しい。
今回は「MORE」と「ar」をリクエスト。若い子向けの雑誌でどんな言葉が使われているのか知りたかったんですよ。
■「MORE」は優等生
「MORE」はすぐ読み終わっちゃった。若い頃読んでた雑誌だし、今も変わってなくて、ターゲット層はいわゆる「中間よりちょい上層」。モテを意識することもあるけど、自分が幸せになることを大事にしてる。友達とのかかわり方とか、社会での流儀とかを、それとなく雑誌の中のメッセージ性として飛ばしてきてる。「働く女の子、ガンバレ!」っていう明るいメッセージ。若い頃はこれにかなり励まされたなー。オフィスで着こなす…みたいな記事は、オフィスに居たことがなかったので、おとぎ話のようだったけど。
わたしは工場の仕事→キャバクラの客引き→光ファイバー飛び込み営業というキャリアなので(これはキャリアなのか!?)オフィスは夢の国。おとぎの国だったのです。
恋の駆け引きって感覚もおとぎ話。好きな人にはお金と体使って落とすもんだという考えが根底にあったから、駆け引きっていう概念が新しかった。
■「ar」はエロい
「ar」自体、まじめに読んだの初めてだったんですけど、これ、すごいエロいんですよ。
「おフェロ女子」っていう言葉が誌面のあちこちに飛んでる。調べてみたら「おしゃれ×フェロモン女子」の意味らしい。着てる服も腹見せ尻見せ当たり前。乳は半分見せるものという前提で選ばれているのかというくらい、エロいです。試しに一冊買ってみても損はないと思います。表紙がすでにエロいでしょ? 「好物は可愛いエロ」って表紙に書いてあるしw
「SEXYとは直接的に人とつながること」
ローラがエロ可愛い服を着た写真に、独特のレトロなフォントでこんな素敵言葉。ページを繰っても繰っても新しい言葉ばかり。すげえ。雑誌すげえ。なんだこのパラダイスは! 雑誌作ってる人すげえ…。
ひとつひとつの言葉のつくりかたもすごい。かわいいとかカラフルとかエロいとか、言葉がぐいぐいこっちに刺さってくるの。書いてる人すごいよ。気迫が伝わってくる。ぶっちゃけ鳥肌立った。来月号は買おうと思ってる。
女性誌で性欲を前面に押し出したらこんなに面白くなるのかと生唾を飲みました。これ作ってる人はかなりリベラルな精神とはっちゃけた心を持ってるんだろうなー。すごく好き。
そんな感じで、正直「名文」や「面白い文章・キャッチコピー」を読みたいなら雑誌を読むのはいいと思う。限られた文字数での、ブログタイトルのつけ方がうまくなるんじゃないかな。
小説や映画だっていい。世の中には面白いものがあふれてる。ずっとこれらのものだけを読み続けたって人生は楽しめるって思う。
■ブログが面白い理由
それでも、ブログの方が瞬間的に人の心をぐっとつかんで激しく揺さぶる力があるとわたしは信じてます。それは、書き手に「タガを外す自由」が常にあるのがブログだからです。
もちろん、小説や商業誌でも狂気じみた、人の心を離さない文章があります。作家の独自性が色濃い作品、挑戦的な商業誌など。
ただ、一般的には、雑誌のコラムを読んでいると、なにかを守っている感じが伝わってくることがあります。あとは広告主に対する配慮を感じることも。あたりまえだけど雑誌はビジネスだから、広告主にとって良いモノと消費者にとって良いモノの間を上手に取らなきゃいけない。それでも毎号安定して面白い読み物をつくってる。これってすごいことなんだよね。
翻って、ブログ。
書き手の気分や体調も如実に表れるし、キレッキレのときとそうでないときの差が読み手にもわかる、玉石混合な世界。ただし、ものすごく自由。
たまに、「これ、タダで読んでいいのか!?」って思うすごい名文に出会う。あえて言及しないけど、ブコメで「しびれました」って書いてるときは心をわしづかみにされた時。そういうブログに出会うと、心底うれしいと思う。また、そういうひとのブログは定期的にキレッキレなものを放ってくるので、そうでない日の文章も読む。今日はお宝、出るかな、みたいな気持ちで読む。今日もしびれさせてって心の中で願っていたりする。好きなブログを読む気持ちは願いや祈りに近い。叶う日もあれば叶わない日もある。それでいい。
しびれるって感覚はおもしろくて、心の空間からほかのものをぜんぶ追い出してその文章で埋めつくされて、その世界にひたりきらないと「しびれる」にはならない。「しびれる」記事にはある種の魔力がある。変な表現だけど、文章に惚れてしまう。
小説は、文章に惚れているから読む。その人の文章で本が埋め尽くされているって、もう本自体宝物だよね。あんなエンタテインメントはないよ。わたしは本が好き。
そして、本と少しちがう観点で、ブログが好き。ブログには、勢いと人生とその人の積んできたものが如実に表れる。あと隠してるかもしれない性格もにじみ出る(笑)
わたしは本にもブログも、いろんな惚れ方をします。知識量に惚れる、表現力に惚れる、生き様に惚れる、仕掛けに惚れる、スタンスの取り方に惚れる。いろんな種類があるけど、最終的には文章からにじみ出る人格に惚れてしまうのです。刹那の恋も深い恋もあります。人に言わない恋もね。←ふつーに言えよw
これは誰の文章がどうこう、じゃなくて、ある種の偶発性を伴うものだと思っています。たくさん書いていればもちろん「しびれる」文章を書きあげる率も上がると思います。しかし、たった一本、いつもと違う系統の記事を書いた方の記事にビリビリにしびれてしまうこともあります。その人の身に起こった出来事を書いたブログなども、臨場感があってしびれます。たとえそれがどんな出来事であっても。
わたしはこの「しびれる」感覚が好きだから、ブログを続けられているのかもしれません。あとね、ほんとに不思議なんだけど、書いたことって大概叶うんですよ。毎日願っていることって大概叶う。ブログを書くことも、願いや祈りに似ている。
ブログを続けてたら、わたしも「しびれる」記事が書けるようになるかな。なりたいな。願いを書いた。よし多分叶う←超前向きw
以上、面白い雑誌の紹介とブログの良いところなどをごちゃごちゃ書いてみましたー。
それじゃあ、また明日!
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