接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

わたしがこんなブログを書いている理由を分析してみた

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こんにちは、かんどーです。


わたしは、ブコメで「よくこんな赤裸々に書けるな」「あけすけすぎる」というコメントをいただくことが多いです。良くも悪くも赤裸々で、あけすけ。わたしのブログはそういうブログです。


それで、どうしてこういう方向性に舵を取ったのかを自分なりに考えてみました。

 

答えが、見つかりました。



 

明け透けなエロ記事
過去の体験の開示

 


わたしがこれらを書くのは、今まで通りにやっていても何も変わらないと思ったからです。

 

 

わたしは元々、何の才能も無くて、人より劣る存在です。人より安い時給で人より長い時間働き、集中力が切れてミスをし、怒られたり嫌われたりしながらアルバイトを転々とし、貧困の汁をすすり生きてきました。たくさんチャレンジしましたが、ぜんぶのドアが目の前で閉まりました。


「あなたはウチにはいらないわ」


面接は落ちるのが当たり前。歌をやるようになってもオーディションは落ちるのが当たり前。そして、落ちた人には「なぜ落ちたか」の理由は開示されないのです。つまり、落ち続けている人は無限ループに陥る。

 

 




話をブログに戻します。


わたしは普通のことを普通に書いていても、続かないだろうと思いました。書いているうちに自分でつまらなくなるからです。

 

つまらなくしたくない。自分が楽しみたい。面接で落とされるくらいのことで落ち込みたくない。他者評価でなく、自己評価で続けたい。


そこでまず、わたしはどんなものを書きたいのか?   考えました。



「接客業にかかわる情報」
「わたししか経験してない人生の一コマ」
「性的なことを含めた恋の話」


こんな感じのことが書きたいなと思いました。これを実際に書くには、会社的にどうとか、人としてどうとか、アドセンス的にどうとか、いろんな審査の目に晒されることになるだろうと予想していました。

 

予想通り、アドセンスは停止され、会社からはひどく注意されました。でも、アドセンスは無くてもブログは書けるし、会社ブログでなく個人ブログに変えればほとんどの問題が解決するとわかりました。(この方向性を教えてくれた方には感謝しかありません)





そうして、どうにかこうにか、毎日楽しんで書くというところまでは来られました。

 

時には厳しい意見をもらうこともあります。接客業の人がマスクをすることについて書いたり、接客業をしているとほかのサービス業の人を厳しく見てしまう、という内容を書いたときには、かなりの批判ももらいました。

特に、少しでも愚痴っぽく書いてしまうと「嫌ならやめればいい」等の意見を書かれることが多いです。



でも、自分の書きたいことを書いて、いろんな意見がもらえている今の状態には、結構満足しているんです。これが、書きたくないことを書いていて批判されたら、とっくにやめてました。


今わたしは、わたしの書きたいことを書いている。


好きなことやってるんだから、自分の発言に責任持たなきゃと思ってます。






話を少し戻します。

わたしのブログでは、性的な描写もたまにあります。それは「自分が気持ちいいと思うことを書き残そう」と思ったからです。昔経験した恋愛やそれに付随する行為を、粘膜レベルで書きたい、書き残したいと思ったのです。

人は、粘膜の刺激にとても敏感にできています。粘膜のことを書くのは、みんなが好きな「カレー」の話をするのとおなじくらい自然にわたしのなかで導き出された最適解でした。


わたしの体感ですが。

触覚の記憶って、結構すぐに失われてしまうんです。ものすごく好きな人とエッチをして感動したとしても、その「触覚の記憶」は2週間くらいで薄れてきてしまう。「好きな人の声」や「顔」などの聴覚や視覚の記憶は、電話をしたり写真を見たりすることで再度自分の中にインプットできるんですけど、触覚だけは残りません。もう一度抱いてもらわないと。


このことに気づいたのは20代後半でした。当時わたしは携帯小説を書いていました。当時の文章は今よりもっと短く、簡潔でした。だけど、そのメモのようなログの中に一言、


「セックスしたら、膣の中に自分がいた」


と書いてありました。ああ、わたしにとってセックスって、本当の自分と向き合う大事な行為でもあったんだ。そして、セックスをした相手にしか見せない自分がいるんだ。


そう思えました。自分の中で勝手に再発見です。あのログを発見したときから、わたしは少しの快感でも、消えてしまう前に書き残そうとしました。思い出したときや、メモを発見したときに記事を書いています。書いておかないとまた忘れてしまうから。



 


そんな感じで、わたしのブログのスタイルが確立していきました。

ブログとは面白いもので、書いたことは自分の血肉として再度体をめぐります。つまり、今こうして書いていることが、自分の生き様に再度反映されていくのです。オフ会などで会ってみたら、ブログの中の人の雰囲気そのまんまでした、というのをたまに聞きますが、文章は血として再度その人を構築する要素になる、そう思います。





わたしは、自由になりたいという思いが人一倍強いです。


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自由を得られるならば、他のすべてを差し出してもかまわない…それがわたしの選んだ答えでした。ブログでお小遣いよりも、言葉を制約されないことの方がわたしには大事だった。



社長が一週間も休みを取って、あいつはダメな奴だと言われてもタイ一人旅がしたかった。

 

今いる友達の中では見つからなかったけど、虫を食べる仲間が欲しかったからブログで募集した。

 

あんなあけすけなブログを書いてあいつは汚い奴だと言われても過去のあけすけな話を書き残したかった。








…長くなりましたが、わたしのブログが今のスタイルなのは、こんな理由です。



みなさんが今のスタイルでブログを書くようになったのは、どんな理由やきっかけがありますか? 良ければいつか教えてください。



それじゃあ、また明日!




☆今日の過去記事☆

 

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