こんにちは。かんどーです。
ブログでいっぱい稼いだり、稼いだことをブログに書いてさらに稼げる仕組みを考えている人たちがいます。
わたしには、あの方々が見えている景色や地図が見えないし、ほんとうに、対岸にいるように遠く感じます。
最初は少なからず「アドセンスでお小遣い」に憧れていたし、ブログで得られる金額が一定ラインを越えたらそれだけで生活できる…とか考えたりもしました。でも、その「目標」に対する「みちすじ」を考えていて、ワクワクしなかったんです。
ここからは、バカが独りごと言ってると思ってください。
わたしは、文章を書くことで何をつかもうとしているのか、最近になってやっと見えてきた気がします。ニュース記事や新たな発見のあるレポートも読みますが、心に残るのはやっぱり「小説」なんですよね。
小説が好き、という感情がどんどん深まって困ります。読みたいのに時間が足りないのです。本屋さんへ行くと楽しくて1時間なんてあっという間です。3日に一度は本屋さんへ行きます。好きなのです。映画も頭の中で文章にしてしまうし、食べたものや肌の感じも文章にして感覚を残したい欲求に駆られる。
本の世界は明確に言うと出版の世界であり、その世界が非常に厳しい世界であることは知っています。でも今は、電子書籍という形もできて、出版というもののハードル自体は下がってくれました。強く願い、原稿を書けば出版はできる状態になったのです。
わたしは本を出すことに強くあこがれました。自分の体験したことや見聞きしたことを質感たっぷりに書き出す作業の楽しさ、実在しない人物がまるで実在するかのようにくっきりと命を浮かび上がらせる瞬間の興奮、人と人が交差することで起こる奇跡や人の心の変化、成長、堕落、悲しみ、希望、それらのすべてを本の中で表現することができる。
こんな素敵なことがほかにあるだろうか?
わたしは人前で歌を歌っていた時期がある。きっと何も伝えられなかったと思うけど、わたしは歌はきれいなものではないと思っていた。努力で声帯を鍛え、歌の世界の中で起こるさまざまな喜びや悲しみを表現するのだけれど、最終的には「心の奥底のよどんだ澱」が伝播してくれたらいいなと思いながらいつも歌っていた。
ギャラのことでもめてクラブシンガーをやめた、と以前ブログに書いたけれど、実際は、心の奥底と向き合う作業がつらくなりすぎたというのも関係している。そして、音楽関係者との人間関係一つでいろんなことが決まってしまう世界は、わたしに合わなかった。
オナニーをするときは、体中の細胞にアクセスして感覚を研ぎ澄ますようになった。快感を緻密に記憶して反芻することで、何度も気持ち良くなれることを知った。文章を書く前に比べて格段に感度が上がった。できるなら媚薬を大量摂取して、失神するほどのセックスがしたい。
花や骨董品は、こちらが心を開いてさえいれば、話しかけてくる。素敵なものには素敵な理由がある。そういう時間をかけてゆっくりと過ごさなければ得られない世界にいたい。
効率よく稼ぐことは素晴らしいことだとわかっているけれど、うまくそうなれない。そうなれない自分が自分らしくいられる場所が、書いている時間、パソコンと向き合っている時間だった。
わたしは、好きに書きたい。好きなことを、好きな頻度で、好きなように書いていきたい。憧れている人の文体はうつるし、まだまだ自分の文章なんて書けていない。オリジナリティという武器が一体いつ手に入るのか、文章を書く世界では明確に「何文字書いたらあなたはレベルが上がりますよ」とかそういうのも無い。筋トレやマラソンは明確に努力に比例して力がついたものだけれど、文章の世界では何一つ指標が無い。
そして、つい指標にしてしまうのが、周りの反応。だってこれしかないのだから。自分がどのくらい成長できたかを周りの反応に求めてしまい、結果として周囲に迎合した文章を書く。弱いわたしはいつもこの迎合を断ち切ろうと必死だ。
そんな状態だけれど、ある瞬間すごく「書きやすくなった」と感じた。それは、アドセンスをとめられたとき。
それまでは「この言葉は使っちゃダメかな」と自分で止めてしまっていたものを、止めなくてよくなった。そうしたら体が軽くなったみたいにすらーっと書けるようになった。あの瞬間が気持ちよかった。月に数千円は手放して全然いい、と思った。
そして、これがもし月に数万円、数十万円だったとしても、同じようにわたしは手放すだろうと思った。本業があるからとかそういう問題じゃない。少しでもいやだと思いながら好きなことをするのはものすごくストレスだ。今書いている文章だって、もし最後に健康器具を勧めなければならずに書いているとしたら、もう書くのをやめたい。何の目的もないのにただ自分の中から湧いてくることを言葉にするから、たのしいのだ。
ブログ飯の方々は研究熱心で社会性も高く、能力も非常に高い人たちの集まりだと思う。文章も整っていたり魅力的な人も多い。
それでも、わたしがあこがれるのは、なぜか何も持たない、ただの自分が何も求めずに「書きたいことを書く」世界だ。
仕事の時間など、ほかの世界にいるときはどんなことを我慢してもかまわない。書く時間があればいい。書き続けていたいと願う。神社へ行ったら必ず「書き続けたい」と願うくらい書くことが好きだ。誰の目も気にしないで。その強さを得るために、今日もただ、文章を書く。
ここまで書いただけで、わたしはなぜか興奮している。
やっぱり今日も、書くことはものすごく楽しい。
そして、こういう記事を書いている時に限ってまたアフィリエイトやりませんかと連絡が来る。不思議なものです。
それじゃあ、また明日!
☆今日の過去記事☆