接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【便所飯】わたしの給食の思い出

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今週のお題「給食」


こんにちは、ネタ切れブロガーのかんどーです。禁断のお題に手を出してしまいました。


給食のことをかんがえるとき、否が応にも思い出してしまう出来事があります。


それは、ヤンキーから受けたいじめです。


わたしは学生時代太っていました。まるまると太っている…というよりは、少しぽっちゃりしている、という感じ。いわゆる「モサッとした」子どもだったのです。服の着こなしなんかもおしゃれじゃなくて、とにかくダサかった。

小学校の頃のいじめはあっけらかんと殴ったり蹴ったりモノを隠されたりした。体に痛みを与えるいじめだった。

それが、中学校へ上がるといじめの質が変わった。体でなく心を痛めつける陰湿なやり方に変わったのだ。



書き始めたらきりがないくらいいろんな種類のいじめを受けたのだけれど、今日のお題は「給食」だから、給食のことだけを書きますね。





わたしが中学生の頃、わたしたちのクラスは六人でひとつの「班」をつくって行動していた。掃除当番も「班」。なにかの代表を決めるのも「班」の意見をもって個の意見としていた。その学校は超男尊女卑であったので、女でしかも声の大きくないわたしの意見は無いに等しかった。

それでも、男子に上手に自分の意見を吹き込んでクラスをコントロールする女子はいた。しかしほとんどの女子は、男子の作る流れに乗っていく、いわゆる昭和なクラスだった。

わたしはふつうに給食を食べていた。拒食症でも過食症でもなく、「普通に食べる」という食べ方しか知らない時期だった。食欲をコントロールするという概念自体が無かった。今思えば動物のように、与えられた時間に餌を食べる人間だったのだ。


ある「班」になったとき、事件は起きた。


その班には、ヤンキーが一人混ざっていた。学校に来なかったり、人にいやなことをするヤンキーだった。彼を知るまでわたしは「ビーバップハイスクール」などの知識でヤンキーが好きだったが、彼を知ってからヤンキーが大嫌いになった。ヤンキーを見ると胃の中のものをすべて吐きたくなるくらい嫌いになった。

ヤンキーは給食の時間にもヤンキー然としていないと気が済まないらしかった。とにかく人を不快にさせる言動をしていないと生きていかれないらしい。

「班」は男子3人女子3人の計6人で構成されるのだが、女子3人のうち2人はいわゆる、仲良し2人組だったのだ。給食の時間も移動の時間も、わたしは仲良し2人とは必要な会話以外しなかった。仲良しは仲良くしていればいいし、わたしは一人で良かった。

ヤンキーは、わたしが一人でいることを「いじめられとう」と大げさに騒ぎ立てるところから始めた。そして「いじめとらんよ!」と仲良し2人組がわたしを仲間に入れるフリをするのを見て笑った。(当時九州住みのため博多弁です)わたしはよくその流れがわからず、無理に2人としゃべろうとはしなかった。

「もっと私たちとしゃべりぃよ!」

女子2人もヤンキーの攻撃がうざいらしく、わたしを攻撃するようになってきた。しゃべれというが、仲良くもないのに話すことなんてなかった。そのうち、給食の時間女子3人は無言を貫くようになった。仲良し2人にとってヤンキーに攻撃されるよりは黙っていようと決めたのだろう。

会話の無い女子3人に対し、ヤンキーは退屈になったらしい。


「かんどーの食いよるところば、観察しちゃろう」


何を思ったか、ヤンキーはわたしが給食を食べる一挙手一投足を観察することに決めたようだった。それが何を示すことなのか、わたしには最初わからなかった。


しかし、続けられているうちに効いてきた。


見られながら食べることは、拷問に近いくらいいやなことだったのだ。「○○から先に食いよる」「しるこ食った」「ひもじかったとやろうな」のような様々な言葉が降り注ぐ。観察されていることが、とにかく気持ちが悪かった。



ある日、わたしは食べることをやめた。



ばかばかしい。こんなやつらを楽しませるために誰が食べるか。何が「いただきます」だ。こんな場所で何もいただかねーよ。心を石のように固くしたわたしは、「ごちそうさまでした」までの約20分間、ただじっと宙を見てスプーンでなにか一皿をつつく動きをくりかえした。20分の間に、わたしの給食はこなごなになり、ぐちゃぐちゃになり、食べ物の様相ではなくなっていた。それをぜんぶ残飯として捨てる。その瞬間はとてもすっきりした。何も見るものがなくてさぞ退屈だったろう。お前たちに提供するエンタメは無い!



わたしの体重はみるみるうちに落ちていった。成長期に食べないのは本当に体に悪い。このためかどうかわからないが、わたしの生理は高校生になるまで来なかった。そして、イライラすると食行動に異常をきたすようにもなった。



中学生のわたしにとって、ずっと給食を食べないことはかなりきつかった。しかし、絶対に給食を食べたくなかった。見られているところでものを食べることが、受け入れられなかった。


わたしは、朝食のご飯をサランラップにつつんで、制服のポケットに入れて学校へ行くようになった。これを、3時限目や4時限目のときにトイレで食べるのだ。そうすれば部活動の時間までなんとか持つ。

トイレで食事をするのがおかしいことだというのは気づいていた。しかし、それ以外に方法が見つからなかった。一人になれる場所はトイレだけだったから。


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便所飯なんて言葉が生まれるずっと前に、わたしの便所飯は始まっていた。トイレで立ったまま、米だけのおにぎりを飲み込む。運が悪いとトイレが汚れていることがあった。そんなときわたしは泣きそうになったが、生きるためと思ってトイレをさっと清掃し、おにぎりを飲み込んだ。


そのうち、おにぎりの具にこだわるようになった。成長期のため体が栄養を欲する。そして、給食の時間ずっと平気な顔をして食べ物を突き崩すためには、ある程度食欲が満たされていないといけなかった。


鮭や明太子を入れたおにぎりがうれしかった。朝食のとき、明太子が古くなりそうだと焼き明太子になっている。そういう日はいつもと食感が違うのでうれしい。トイレで食べるおにぎりが、一日の楽しみだった。



その生活は長くは続かなかった。

わたしはまた転校した。新しい学校では、ジロジロと人を見るような暇なヤンキーはいなかった。あの学校は風紀の悪い学校だったんだな…と後になってわかった。



その後は給食など、食にかかわることでのいじめは無かったが、無視や仲間外れは頻繁に起こった。そのたびに人に対して無関心になっていった。オナニーばかりしていた。友達がいない自分に慣れてしまっていた。



その後10年以上経ってわたしは拒食症と過食症を併発した。



異常な食行動は、大元をたどれば、あの中学校での便所飯が起因しているのではないかと思っている。食欲を無理に我慢することは本当に良くない。人にジロジロ見られると「おい! 喧嘩売ってんのか!」と食ってかかっていた時期もあった。見られることが何より嫌で、特に食べ物屋でジロジロ見られて我を忘れ、物を投げつける等のもめごとを起こしたことも何度かあった。幸いわずかに残った理性で、刃物や陶器の類を投げつけることはなかったので、前科などは無い。しかしわたしの中に魔物がいるのは事実だ。今は魔物が眠っている。この眠りのままわたしなど死んでしまえばいいとよく思う。



そして、嫌な後遺症はあと2つ残っている。


1つは、外食のときに人の目線がこっちを向くような場所の場合、うまく食べられないことだ。自分たちがテーブルを囲むのは構わない。他人が座るテーブルがこっちを見ているようなかたちになっていると、見られているのではないかと気になってうまく食べられない。

図解するとこういうことだ。


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こういう配置の座席だとまず食べられない。カウンターだけのお店とかは大丈夫。あとは完全に仲間内の貸し切り状態も大丈夫。上記の配置だけダメ。この配置だと泣きそうになる。「具合が悪い」と言って帰宅してしまうことがほとんど。

そもそも飲食店として上記のつくりは欠陥なので、そういうお店の場合は途中で帰宅したことが残念なほど美味しいこともない。だから遠慮なく帰る。そして、自分が開催する食事会のときはなるべく下見をしてから行くようにしている。下見段階では、変な話5分で帰っても人に迷惑がかからない。




嫌な後遺症の2つ目は、ショックなことがあったりすると、すぐに「食べない」という行動に反射的に出てしまうこと。「いやなことがあったのは、わたしが胃にものを入れたからだ」という思考が成立してしまうのだ。

明らかに間違った思考なのだけど、わたしの「空腹信仰」は根深い。嫌なことがあると空腹になって本を読んだり映画を見たりしている。嫌なことがあったから何か食べよう…という気持ちにはならない。


3年前胃を壊したときは本当にヤバかったのだけれど、胃にものを入れないで生活するのが平気だったので、気持ちの面で負けることはなかった。変な屈強さが備わった。




今はほとんどこういった食行動に悩まされることはないし、そもそも嫌な場所で食事をしないので大丈夫。しかし、海外へ行った時が一番気楽にものを食べられる。わたしは海外へ行くとたくさん食べる。めずらしいもの、日本にないものを特に食べる。誰の目も気にせず自由に食べる。誰かがこっちを見ていたらニコッと笑って親指立てて「おいしい!」と現地の言葉で言う。食べることはしあわせなこと。そういう思いを上書きして刷り込んでいく。あの頃の自分になんて負けないように。



長くなりましたが、わたしの給食の思い出は以上です。


それじゃあ、また明日!


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