行動は人を作る。
環境は人を作る。
人は影響を受けながら人格を構成してゆく。
結構当たり前のことだが、これは本当。
公園のベンチに座ってお弁当食べるにしても、ゴミ箱の横で食べるのと、きれいな花が見えるところで食べるのでは全然違う。毎日積み重なると、その人の色が濁ったり澄み渡ったりする。
濁りは時に、強く人を惹き付けることがある。その濁りは何が原因なの? という好奇心と、濁りがあってもなお強いその人の魂に惹かれる。
生きていればいろんなことがあるだろう。
しかし、一つとして同じ命はない。それでも人は誰かと分かり合いたいと思うし、自分を肯定してもらえる場所が欲しいから、会社に所属したりコミュニティに帰属したりする。血族のつながりを大切にするのもそういう理由だと思う。
人は自分の行動を変えることで、確実に変わることができる。
しかし、それはあくまで動いた「結果」のものであって、コミュニティに所属し、そこで行ったことを「自分のすべて」であるように書き残すのは些か早計だと思う。「勉強しました」は意味のない報告だ。
「人命救助の講習を受けました」なんて報告は意味がない。日記として書くなら良いが、それ自体は「講習を受けた」というただの受動的できれいな事実。
本当に必要なのは「人が倒れていたのですが、人命救助の講習を受けていたので正しく一時対応ができました」ということだと思う。
上記は少し極端だけど、「英語を勉強しました」ではなく「英語で道案内ができました」の方が何倍もその人の輝きをあらわせる。
ブログにきれいなことだけを書くのは簡単だ。
毎日が充実しているように書いたり、自分がいかに有能な人間であるかを書いて見せる。わたしはネタがなくなるとすぐにそういう方向へ進んでしまう。やめたい。
いつも「潮時かな…」なんて思っている。はせおやさいさんのような日常はわたしには無理なんだ。わたしの備忘録はスカスカだ。
今日もスカスカなのにおつきあいいただき、ありがとうございました。
いつかまた面白い記事が書けるようにがんばります。
今は仕事その他が少し詰まっているので、ブログはこんな感じになっちゃうかもしれません。
それじゃあ、また明日!
★今日の過去記事★
わたしは旅に出るとリセットされる。
今年も充実しそう。
物議をかもしたエントリw 軽い気持ちで書いたんだけど…