もう、何年前のことだろうか。
いつものように携帯ショップで仕事をしているときに、声をかけられた。
「ねえ、私わからないことがあるの、教えてくださらない?」
はい、何でも聞いてください! と接客体勢に入った。五十代くらいの女性だった。
最初はガラケーのプランについての質問だった。しかし、わたしはその人のカバンに入っているガラケーの外装をチラっと見てすぐわかった。フォルムや色味で、ほんの一部しか見えなくてもわたしはどこの機種かわかる。
他社のガラケーだった。
なぜ、キャリアショップであるわたしの勤務店へ来たのか。単純に間違えたのか。あまり否定から入りたくないので、質問に答えながら、さりげなく「当社○○のサービスですと」などの言葉を混ぜてみる。うまくいけば乗り換えの相談に持ち込めるかもしれない。わたしはいつも通り丁寧に接した。
「何で最近はスマホばかり安くするの?」
急にそんな質問が来た。
「そうですねえ、ガラケーの利用者様にももっと優遇してほしいですよね」
そう答えた。っていうかそう答えるしか無い。わたしたち販売で店頭に立っている者に、販売価格を決める権限は無い。決められた価格をお客様に伝える仕事だ。だから、この質問には「会社が決めたことですから」が正解なのだが、人によってはこの答えを嫌がる。だからあえて、目の前のお客に寄り添うようにして「そうですよね」と受け止めた。
「あなた、自分が決めてるわけじゃないから、別にいいだろうって思ったでしょう?! そういうの、気に入らないのよ! 謝りなさい!」
急に烈火のごとく目の前の五十代女性が怒り出した。この怒り方は少しおかしい。あらかじめここで怒ると決めていたような怒り方だなと感じた。
わたしは心の中で3秒数えた。
「お客様、わたくし何か変なことを申し上げましたでしょうか」
「あなた、変よ! こうして目の前でお客様が困ったり怒ったりしてるっていうのに、涼しい顔して! 頭がおかしいんじゃないの!? 頭がおかしいからそうやって人の痛みがわからないんだわ!」
「お困りだったこと、理解していますよ」
「じゃああなた、〇〇の社員なの? 答えなさいよ!」
「派遣会社から来て、研修を受けてここで仕事をしていますよ」
「派遣! ほら! そうじゃない、あなた自分の会社じゃないから一生懸命になれないのよ! 普通目の前で人が怒ったら、あらあらどうしようって、泣きそうな顔したりするものでしょ? あなた頭がおかしいんじゃないの?」
「派遣でも直雇用でも、仕事は一生懸命やるものだと思ってやっていますよ」
正直このくらいの絡まれはしょっちゅうなので、顔色が変わらないのは仕方ないのである。一時期は一日5件くらいこういう案件を受けていたので、いちいち感情が反応などしないのだ。あー怒ってますねーくらいの感じで、適切な対応を考える。
そもそもスタッフがいちいち泣いてたら携帯直してあげられない。
感情の一部が麻痺しているような感覚があるが、仕事中はこのくらい麻痺させていないと、自分を守り切れない。自動で感情のスイッチオフだ。
そのお客はまだ帰らなかった。わたしの顔をじっと見た。
「あなた、顎に傷があるじゃない。何か悪いことでもしたのね。育ちが悪くて、学校もろくなところ行ってらっしゃらないんでしょ。だからそんな冷たい顔ができるんだわ」
あー、これ警察呼ぶ案件だなと思い、ここで対応を変えました。(確かにわたしには、よーく見るとわかる程度ですが顎に傷があります。仕事中は見えないように、お化粧で一生懸命隠してます)
「知りません」
「…今、知りませんって言ったわね!? 仕事で来ているのに、知らないってどういうこと? 勉強不足なんじゃないの!? 接客中に知りませんなんて、絶対言っちゃいけないって、研修で習わなかったの!?」
「……質問は携帯のことじゃなかったでしょ、それに今は携帯の話してません。個人的に、初対面の人間に学歴や過去のことを問いただすって、おかしいでしょ」
「携帯の操作を聞きに来たのよ!!」
「それには全部答えました。全部解消したじゃないですか。わたしの顔に傷があろうが、過去に何してようが、今やれることは全部させていただいたので、これ以上話すのはやめましょう」
わたしはくるっと踵を返し、店内に入った。
もしもそのお客が追いかけてきたら、上長に相談して警察を呼んでもらおうと思った。しかし、外で怒鳴り続けるだけで店内へは入ってこなかった。
石でも投げてくるかと思っていたが、その人は近くにあった自転車置き場の自転車を蹴り倒して、道につばを吐いて去っていった。
こういうことがあると、人間に対してがっかりするとともに、感情のスイッチをオフにできるようになっていて良かったなと思う。
もしかしたら、あの手の人は「ごめんなさい」「申し訳ありません」を何回か言えば消える悪霊なのかもしれない。だけど、これは本当に申し訳ないのだが、わたしの「申し訳ありません」はそんなに軽く使いたくないのだ。
本当に悪いと思ったときにだけ、きちんと使いたい。それに法的なことになったとき、謝罪をしたという事実は「自分に否があることを認めた」とみなされる。外国に行ったら確実にそうなる。わたしは軽く謝るより、目の前の事実に誠実に向き合うことで自分の接客スタイルを完成させたいと思っている。
「I'm sorry for waiting」
のように、お待たせしてすみません、などの謝罪はけっこう使う。ただ、意味もなく謝りなさいよと言われて謝るのは、ちょっと違う。
正直、この手の人を相手にするときは、謝罪を連発してしまった方が早いことは百も承知だ。しかし、わたしがそれをすることで、次のお店でまたこの人が同じことをすると思うと、わたしのところでこの負の連鎖を止めたいと思っている。
正義感強すぎ、と言われるかもしれないが、この人を対応した後数年たつが、未だにそのスタイルは変わっていない。
しかし、顔の傷にまで言及されたのはこの時だけかもしれない。
わたしの顔の傷について聞きたいなら、わたしのブログを読んでください。結構細かく書いてあるから。(もちろんこんなこと接客中には言わんけど)
この傷はわたしの生きてきた軌跡なので、そんなに軽々しく「悪いことをしたのね」と言って良いものではなかったよ。
でももしかしたら、この傷がわたしを守ってくれているのかもしれない。どんなことが起きても、 わたしは「あの時以上につらいことはないだろう、乗り切ろう」と思えるのだ。
顔に傷がついたあのとき、わたしはどん底だった。毎日が濁っていた。愛など存在しないと思っていた。でも今は違う。たくさんの愛を人に与えることができる。とても良い状態だ。普通にお店に来てくれたら(わたしは携帯ショップの販売員です)、ざっくばらんに楽しく、親身になって話を聞くし、時には小声で販売につながらないアドバイスをしてしまうこともある。だって人間だもの。
ガツガツ販売だけをするスタイルではなくなったけど、その分「おお、いいこと聞いた!」「助かった!」「来て良かった!」と言っていただけることが増えた。そういうお客様は、まわりまわってわたしから買ってくれると思っている。
人間不信になりたくないから、強くなった。
接客業なんて簡単な仕事と笑うかもしれない。誰にでもできる仕事、面接に行けば受かる仕事と思っているかもしれない。だけどそれは「入ってからがとても大変」だということです。
起業するにしても、接客・カスタマー対応が発生する仕事であれば、そこをしっかりやらないとダメになっていく。最後は人と人なのだ。
「なんとなく感じがいい」
そんなふうに感じられる場所に、人は集まっていく。わたしはそういう場所に身を置きたくて、そういう場所がつくりたくて生きている。
エッチな記事もまた更新します。
それじゃあ、また明日!
文:貫洞沙織