はじめに
わたしはADHDであると診断されている。別にこれは特別なものじゃない。ちょっとした思考の癖、行動をパターン化したがったり破天荒だったりする、ほんとうにちょっとしたものだと思っている。
診察は、最低半年待ちの専門医にみてもらって診断してもらった。もう、薬漬けにされる病院には行きたくなかったし、リタリンは強すぎたし、「わかるわー、ハーブティー飲んで深呼吸しなさい」とか言われる役立たずの医者にかかりたくなかったからだ。
自慢じゃないが、わたしが通っている先生は名医だ。
ちょっとびっくりするくらい、わたしも手のひらでころころ転がされて、言うことをきいているうちにADHDである自分をうまく動かせるようになってきている。カウンセリングだけではない。処方もバツグンにいい。
わたしの破天荒さは正直度を超している。この病院にかかる前は、生理前のたびに自死しようとしていて正直大変だった。いつも高いビルを見て「次の生理前あそこ行って飛べるか試してみよ」くらい生きることにネガティブだった。ネガティブにならなければ生きていられないくらい、人生がつまらなかった。
しかし名医は最初の何回かの通院でわたしの性質をつかみ、今ではあいさつ代わりに、
「どうだ、変な男とつきあってないか。君はかわいいから気をつけろよ」
「どうだ、運動して気分よく生きられてるか」
「どうだ、海外は楽しかったか」
こんな感じの会話を投げかけてきた。どれもわたしの顔をぱっと見て瞬時に判断しているのだと思う。
この先生は、薬の処方も正直ばっちり合っている。以前紹介した「サイレース」は、強すぎるからあまり飲むなよと言われており、今は一応少量の処方をされているが、飲むときは先生に電話をしてから飲むことになっている。(先生は診察中でも短い電話に出て患者に薬を飲んでいいよ、だめ、などと返答する人である)
この先生の診察を受けるようになって変わったのは、わたしがこの先生の態度を上手にまねることができるようになったことだ。わたしは本気で「この人いいな」と思うとまねをするところがある。この先生のいいところは、一歩引くことができることだ。
「ごめんな」
わたしが初めてこの先生の診察を受けたとき、半年以上待ってやっと診察を受けることができた。そもそも、自分が発達障害ではないかとうたがっている状態はかなり不健全であるので、早く診断を下してほしい、今助けてほしいと思っていることが多い。
それでも初診までは、半年以上待たされた。
半年間、苦悩に苦悩を重ね、何度も死にたくなってやっと診察室にたどり着いたとき、わたしはもうボロボロであった。何の薬も効かないじゃないか! 眠くなったり太ったりするだけでちっとも効かないじゃないか! 本当に困ったとき、国は助けてくれないじゃないか! 人生なんてちっとも楽しくないじゃないか! と怒りを溜めこんだ状態で診察室のドアを開けた。
小柄で落ち着いた先生が、緑のセーターを着てそこにいた。白衣じゃないんだ…と思ったのを今でもよく覚えている。開口一番、先生はこう言った。
「君、僕の診察受けるのに半年以上待っててくれたんだってな。来てくれてありがとうな。待たせてごめんな。つらかったな」
わたしはそれまでため込んでいた怒りがどこかへ飛んでいった気持ちになった。
ああ、この先生なら……信用して話をしてもいいかもしれない。
この日は初診で、テストを受けた。子ども時代のこともすべて話して(教室をウロウロ歩き回っていたこととか、悪ふざけで丸一日隠れていて捜索願を出されたこととか)、軽く言われた。
「君はADHDだな。うん。でも頑張って生きてきたな。君はうまくやれば大丈夫」
診断と「大丈夫」が同時に降ってきた。承認と未来の保障と診断、頭の中が一気に整理された。そうかわたし、ADHDなんだ。でも頑張ってきたんだ。これからうまくやっていけば大丈夫になるんだ。そう思った。
診察は月に一度のペースで続いた。
わたしの仕事が続いているかを聞いて、わたしの生活が破綻していないかを確認してくれた。当時派遣会社で働いていたので、この部分を気にしてくれたのは嬉しかった。世界中で誰一人わたしの生活を気にしてくれる人がいなかったので、本当に救われた。
「お金なくなったら風俗やるからいいっすよ」
とわたしが言うと先生は
「君がいいなら止めないけど、怖い人もいるし、病気もあるから、先生は君にその仕事してほしくないなあ」
「水商売もなあ、君、性格的には向いてるんだろうけどアルコール依存症になっちゃいそうだから怖いなあ」
「なんとか営業の仕事、うまく行くといいな」
そんなふうに言ってくれていました。自分でも営業の仕事で食べていきたいと思っていたので、先生が応援してくれたのは心強かった。
診察は時に、待ち時間がとても長いことがある。そういうとき、わたしは気分が悪くなったり、途中で帰ってしまったりした。(ものすごく気が短いので待てないのである)
しかし先生は次の診察のとき必ず、
「ごめんな、前回待たせすぎちゃって、君を怒らせちゃったな」
と言ってくれる。これが何回かあって、わたしは先生に「ごめんな」と言わせたくないのでなるべくおとなしく待つようになった。
そして、最近になってわたしは先生の「ごめんな」がものすごく強力であることに気づけた。わたしは人の気持ちをうまく察することができなくて、人の気分を害してしまうことがよくある。
「あなた〇〇でしょー」と決めつけてしまったり、上から目線なことを言ってしまったり、空気が読めないことがよくあるのだ。そんなとき、わたしは場の空気が悪くなる一瞬前に「ごめんねぇ」と言っている。
軽く、明るく、だけどきちんと反省して言うようにしている。
たったこれだけなんだけど、これができるようになって、人との縁が長続きするようになった。謝罪をする、というほど重くない。わたしのなかで「ごめんな」は魔法の言葉だから、呪文のようなものなのだ。
「あなたに失礼なこと言っちゃった。でもわたしあなたとの関係を終わらせたくない」
という願いを込めた呪文なのである。
意地を張り過ぎても疲れるだけ。ちょっと気楽に生きましょ。こんなわたしにしてくれたのは、あの精神科医なのである。
今度海外に行ったら、先生にお土産の一つも買って帰ろうかな。今まで何もあげたことがなかったから。ふふ、なんだかわたし、元気になったみたい。いろんなことがあったけど、生きてきて良かったな。
それじゃあ、また明日。