こんにちは、破壊的なスピードで人生を駆け抜けている、かんどーです。昨日はアユタヤをバイクで駆け抜けた記事を書きましたが、今日は思い出に思いを巡らせる記事を書きます。
旅ブログは書いていて楽しいですが、旅をしていると時折、どうしようもない孤独に襲われて、幼い日の不自由だった自分をよく思い出します。
あの頃の自分は確かに、不幸だった。
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わたしは今、車を持っている。
理由は、今住んでいる場所がそこそこに郊外だからだ。東京まで通勤することもできるけれど、ちょっと遠い。休日に買い物に行くなら、車で大型書店や大型ユニクロに行って、駐車場完備のコメダコーヒーに寄って帰る。書店内や店内しか歩かないのでとても楽だ。移動は車というプライバシーの保たれた空間なのがいい。
車があると、世界は一気に広がるとともに、近くなる。日本地図が縮小されて手に入ったような気持ちになる。たとえばわたしは埼玉に住んでいるけれど、ライブにいくとき、あえて埼玉の大宮ソニックシティをはずして、群馬のホールコンサートのチケットを取ったことがある。会場のキャパが小さいので、アーティストが近くに見えるのである。同じ要領で、山梨や長野も視野に入る。東京の会場はめったに取らない。(武道館公演とかなら仕方ないけど)
さて、わたしが高校生のとき、家が暴力的に駅から遠かったことがある。
高校生なので免許はまだ取れない。自転車通学も考えたが、坂が多くつらいので結局徒歩になった。駅までは徒歩35分かかった。
35分歩くことくらい、単発で考えればどうということはない。しかし週5日、アルバイト含めると週7日毎日歩くことを考えると、この距離が暴力的に体にダメージを与えてくる。
寝ても寝ても疲れが取れない。朝は家を出るのが憂鬱で、雨の日は泣きたくなる。帰りの電車を降りて駅に降り立つと、これから35分歩くのかとため息が出る。天気一つですべてのやる気をそがれるような毎日だった。そこに不幸があることを確かに認識したのはそのときだった。死にたい、自死したいということを意識し始めたのもそのときだ。
回避不可能な疲労の連続は人を人生の奴隷にする。一縷の望みというものがないと人は頑張れないのだ。
わたしはその現状を変えるべく、原付の免許を取りたいと言ったが、危ないからダメという親の一声でダメになった。わたしは自転車の取り回しも致命的に下手ですぐバタンと横に倒れてしまうので、確かに事故るだろうと思う。しかし、どうにかしなければならないレベルで暴力的に家が駅から遠かった。バスもなかった。
どういう理由なのかわからないが、わたしの家はお小遣いが少なく設定されており、高校生になったらアルバイトをして自分で稼ぐよう言われた。早朝のコンビニバイトと放課後のケーキ屋のアルバイト、長期休暇の際は短期アルバイトで調理や製菓をしていた。長期休暇の際は月20万、学校のあるときは月7万稼いでいた。
わたしはお金の使い方が致命的にへたくそだったので、お金が貯まることは無かった。穴の開いたポケットにお金を入れているような、無意味な時間と消費が続いた。あんな時間を過ごすなら勉強でもしていた方がずっと良かったのにと今では思う。わたしが親ならさっさと小遣いを3万程度与えてしまって、バイトはさせないかもしれない。
親の自分が月3万を稼ぎ出すことはやり方次第でどうにかなるが、子どもの未来への投資として「すすんで勉強してくれる子ども」になってくれたら一番楽だからだ。
あの時わたしの親は、なぜあんなにアルバイトを推奨したのだろうか……いまだにわからない。結局大人になってからの人格は、子どもの頃とはずいぶん変わったので、教育が人生に与える影響は、時として大きい。もちろん大人になってからでも変わることはできるけれど。
しかし、もしも大人になってからなりたい職業がたまたま「大卒資格」がないとダメな場合を考えると、やはり大卒にしておいたほうが幾分良い。
わたしは幸い、起業や新規事業立ち上げ、訪問販売などが「得意」なので大卒資格は必要なかった。本当にラッキーだった。
話を戻すと、家が駅から暴力的に遠いのは、人生のやる気を著しく削ぐ。特に移動手段のない世代が「そこに住むしかない」という経験をすると、生涯「駅の近くに住みたい」という呪いがかけられてしまう。
そしてわたしは未だ、呪われ続けている。
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あなたは暴力的な〇〇を受け続けたせいで、何かの呪いにかかっていませんか? その呪い、何のせいなのかをはっきりさせると、少しすっきりしますよ。「お題:わたしにかかっている呪い」で記事でも書いたらすっきりするかもしれません。
それじゃあ、また明日!