接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

音楽も文章も、すぐにこぼれおちてしまう形のないもの

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最近毎日ギターを弾いている。毎日することを決めておくのはとても気持ちがいい。何一つ思い通りにいかない人生、一つくらい、毎日自分の決めた時間に好きなことをさせてほしいと思う。

 

 

正直、帰宅して育児とか絶対無理だと思った。やっている人はマジですごいと思う。だって、仕事で疲れて、明日も仕事に行くためには自分をトータル的にケアしなければならなくて、わたしはそれが間に合わなくて薬飲まなきゃ無理なレベルになっている。

 

それを、帰宅してドア開けたとたん「おなかすいたー!」とか子どもに飛びつかれても、マジで困る。わたしは食事より横になりたい。頭をからっぽにしたい。だからたいてい帰宅したらシャワーを浴びてさっさと横になる。(最近は帰宅したらギターを1時間半ほど弾いてからシャワーをあびてさっさと寝ている)

 

わたしは自分の食事とか、正直どうでもいい。これから飲食やる人間がこれってどうなのと思うが、わたしは人の好むものを提供することに興味があるのであって、自分自身は食道楽ではない。おいしいものは好きだが、なくても死なない。疲れていたら食べるより寝たい。

 

 

さて、音楽も文章も、とてもはかないものであると最近よく思う。

 

頭の中にふっと浮かんだメロディも文章も、書き留めておかないとすぐに頭の中から消えてしまう。わたしはこれが消したくないから、家庭を持たないのかなと今思った。たぶんそうだ。物理的自由ではなくて、精神的な軽さ、自分の世界に入る自由だ。これをどうしても手放したくない。今こうして書いている時間も、精神的自由の極みだ。この時間が大好きだ。

 

 

人間がつくるものは、形あるものと形ないものにわかれる。どうも人間というやつは、形のないものを(たとえば空間だとか)じょうずに表現する人を上に見て、形のある実業を下に見てくるような気がしている。商品が実際に人の手から手へ動く実業を馬鹿にしている人が一定数いる。

 

わたしはどちらの気持ちもわかる。わたし自身は実業で食べているし、得意なのは実業だ。しかし、帰宅してお金にもならないのにギターを弾く自分もまた、ここにいる。お金にならない文章を毎日打ち続けている。冗談抜きで、もう2年半以上、毎日5千文字くらい文章を書いているのだ。しかし誰も評価はしてくれない。「誤字脱字が無いね」と褒められたことくらいかな。。ええ、そうっすね、ありがとうございます。。

 

一体どこで眠れば心から落ち着いて眠れるのだろうか。
心に溜まった澱を、誰に話せば救われるのだろうか。

 

最近、神などいないのではないかと思い始めている。わたしの信じていた輪廻も神様も、ぜんぶただの偶像で、徳など積んでも意味がないのではないかと思い始めている。人に親切にするのも、自分を犠牲にするのも、やめてしまおうかと思っている。

 

自己犠牲などちっとも美しくない。ただの偽善でかっこつけで、自己犠牲マウントで人に偉そうな顔をしているだけだ。そんな奴の言うことなど薄っぺらで中身なんて無い。

 

今、心の中の階段を下りている気持ちがする。確実に、近づいている。あの黒い物体の手触りを確かめたとき、わたしはどこかへ行ってしまうのではないかと思っている。

 

わたしはとても薄情なやつなので、自分に対しても結構簡単に突き落としてしまうところがある。堕ちたいなら堕ちればいい。堕ちきった先にしか救いはないし、堕ちきった先がほんとうの終わりであったとしても、それはそれなのである。