接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

大阪、西成の町を歩きながら考えていたこと

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わたしは若いころ、どん底にいた。深い水のなかに沈められているような感覚。

浮上することを許されていなくて、その世界でしか生活することができなくて。

学校でもアルバイト先でも誰も口をきいてくれない世界だった。

 

 

わたしは、自分を切り売りするような仕事を始めた。

好きこのんで、それをしていた。

その仕事をすれば生活が豊かになるのを雑誌で見たからだ。

 

 

その仕事をすると「自分がすり減っていく」という表現をする人がいる。

でもわたしはその仕事をすればするほど、自分が増えていく気持ちがした。

一人の人にからだをひらくたび、またひとつ自分が増えていく。

誰かのこころの中に、わたしが住みついていく。

だからわたしはあの仕事が大好きだった。

 

 

そのうちに、ほかの仕事もするようになった。

世の中にはたくさんの偏見があった。

根回し、コネ、口裏、暗黙のルール、ぜんぶが暗い世界だった。

表向き、わたしは昼間の仕事に就いて「良い人になった」と思われた。

でも、世界は前よりにごってしまった。

 

 

人と人としてからだで向き合うあの仕事をしているとき、

わたしはいつだって仕事を通じて自分が増えていく感覚だった。

知らない誰かに抱かれるたびに、新しい自分が生まれた。

知らない誰かを一瞬で愛することができる技能は、天職だと言われた。

 

 

西成の商店街を歩いていると、カラオケ居酒屋がそこここにある。

お店の中から歌声が外へ漏れ聞こえる。

歌いなれているのか、上手な人が多い。

ある男の人は、声にアタックをかけてロックを歌っていた。

店内のお客さんもノリノリでこぶしを突き上げていた。

あるカウンターの中で、働いている女性がしっとりとバラードを歌っていた。

誰もが知っているメロディの中に、彼女の人生がにじんできこえた。

 

 

これほど歌を愛する町を、わたしはほかに知らない。

カラオケ居酒屋と呼ばれるこの形態のお店の存在は知っていたが、

それぞれのお店にカラーがあって本当に面白い。

 

そして、わたしはこの人たちの歌がとても好きだ。

 

歌って、こうやって歌うんだったな! と気づかせてくれた。

歌いたいから。

歌うと気持ちがいいから。

歌うと雰囲気がガラッと変わるから。

音楽があると世界が少し楽しくなるから。 

思い出の歌を歌うと、あの人のことを思い出せるから。

 

 

わたしも、こういうあたたかい気持ちで音楽とふれあっていきたい。

 

 

ギターの練習を毎日するとか、発声練習を毎日やるとか、

そういうのも確かにわたしはしてしまうけれど、

いざ音楽が流れ始めたら、ただそこに身を任せていたい。

幸せな気持ち、あの頃の気持ち、人間として生きている無常感。

 

歌ってきっと、そういうすべてを、きゅっと詰め込んだ宝物のようなもの。

 

 

わたしは世の中を、ずーっとどん底から眺めてきた。

どん底から眺めた世の中は、上のほうがキラキラ輝いているような気がした。

生きていれば上の方に行けるのかなってずっと思ってた。

でも実際は、どん底から眺めていたほどきれいではなかった。

がっかりしたけど、これが人の世かとあきらめた。

 

 

ここ、西成にいるとずっとこういう深いことを考える。

人は想像しているよりずっと明るく、お店は健全に、19時頃にみんな閉まる。

カラオケ居酒屋だけは少し遅くまで営業しているので、必然、歌の町になる。

 

 

わたしは音楽がきらいで仕方がなかったけれど、

今回の西成滞在でまた一つ、自分なりにつかめるものがあった。

 

 

うまくやることより、楽しくやること。

 

 

その延長線上に技術力の向上やレパートリー増強があればいいだけ。

楽しくやろう。

 

 

いろんな思念が降ってくるのは、きっとここが飛田新地のすぐ近くだから。

お姉さんたちの思念がわたしを過去へと誘う。

戻ることはないけれど、思い出して少しせつなくなる。

 

 

西成の夜は、今夜も更けていく。