わたしは若いころ、どん底にいた。深い水のなかに沈められているような感覚。
浮上することを許されていなくて、その世界でしか生活することができなくて。
学校でもアルバイト先でも誰も口をきいてくれない世界だった。
わたしは、自分を切り売りするような仕事を始めた。
好きこのんで、それをしていた。
その仕事をすれば生活が豊かになるのを雑誌で見たからだ。
その仕事をすると「自分がすり減っていく」という表現をする人がいる。
でもわたしはその仕事をすればするほど、自分が増えていく気持ちがした。
一人の人にからだをひらくたび、またひとつ自分が増えていく。
誰かのこころの中に、わたしが住みついていく。
だからわたしはあの仕事が大好きだった。
そのうちに、ほかの仕事もするようになった。
世の中にはたくさんの偏見があった。
根回し、コネ、口裏、暗黙のルール、ぜんぶが暗い世界だった。
表向き、わたしは昼間の仕事に就いて「良い人になった」と思われた。
でも、世界は前よりにごってしまった。
人と人としてからだで向き合うあの仕事をしているとき、
わたしはいつだって仕事を通じて自分が増えていく感覚だった。
知らない誰かに抱かれるたびに、新しい自分が生まれた。
知らない誰かを一瞬で愛することができる技能は、天職だと言われた。
西成の商店街を歩いていると、カラオケ居酒屋がそこここにある。
お店の中から歌声が外へ漏れ聞こえる。
歌いなれているのか、上手な人が多い。
ある男の人は、声にアタックをかけてロックを歌っていた。
店内のお客さんもノリノリでこぶしを突き上げていた。
あるカウンターの中で、働いている女性がしっとりとバラードを歌っていた。
誰もが知っているメロディの中に、彼女の人生がにじんできこえた。
これほど歌を愛する町を、わたしはほかに知らない。
カラオケ居酒屋と呼ばれるこの形態のお店の存在は知っていたが、
それぞれのお店にカラーがあって本当に面白い。
そして、わたしはこの人たちの歌がとても好きだ。
歌って、こうやって歌うんだったな! と気づかせてくれた。
歌いたいから。
歌うと気持ちがいいから。
歌うと雰囲気がガラッと変わるから。
音楽があると世界が少し楽しくなるから。
思い出の歌を歌うと、あの人のことを思い出せるから。
わたしも、こういうあたたかい気持ちで音楽とふれあっていきたい。
ギターの練習を毎日するとか、発声練習を毎日やるとか、
そういうのも確かにわたしはしてしまうけれど、
いざ音楽が流れ始めたら、ただそこに身を任せていたい。
幸せな気持ち、あの頃の気持ち、人間として生きている無常感。
歌ってきっと、そういうすべてを、きゅっと詰め込んだ宝物のようなもの。
わたしは世の中を、ずーっとどん底から眺めてきた。
どん底から眺めた世の中は、上のほうがキラキラ輝いているような気がした。
生きていれば上の方に行けるのかなってずっと思ってた。
でも実際は、どん底から眺めていたほどきれいではなかった。
がっかりしたけど、これが人の世かとあきらめた。
ここ、西成にいるとずっとこういう深いことを考える。
人は想像しているよりずっと明るく、お店は健全に、19時頃にみんな閉まる。
カラオケ居酒屋だけは少し遅くまで営業しているので、必然、歌の町になる。
わたしは音楽がきらいで仕方がなかったけれど、
今回の西成滞在でまた一つ、自分なりにつかめるものがあった。
うまくやることより、楽しくやること。
その延長線上に技術力の向上やレパートリー増強があればいいだけ。
楽しくやろう。
いろんな思念が降ってくるのは、きっとここが飛田新地のすぐ近くだから。
お姉さんたちの思念がわたしを過去へと誘う。
戻ることはないけれど、思い出して少しせつなくなる。
西成の夜は、今夜も更けていく。