接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

サラダを取り分けたくない人は人生ハードモードで良いなら一生やらなくて良いですよという話

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こんにちは、かんどーです。

先日Facebookの過去投稿を全部消して、しばらくまったく見なかったのですが、フィリピン在住の方とのやり取りでメッセンジャーを使っている際、ついうっかりタイムラインを見てしまいました。。(メッセンジャーアプリを消してしまったのでブラウザのFacebookから開いてしまったんです)


面倒なので引用しませんけど、ある記事が流れてきました。その記事とは、

「私は絶対に飲み会でサラダを取り分けない!」

というものでした。


それを読んで私ものすごい違和感があったんですよね。え? まだそんなことで意地張ってる人いるの? って。その問題もうとっくに終わってますよね? って。

いや、地方だとか場所によっていまだに女性差別があるのはわかっていますし、私自身女性だからということで大学に行かせてもらえませんでした。結婚適齢期に夫婦別姓のことを理由に結婚しなかった経験もあります。若いころは人一倍「女性差別」に対して敏感でした。


でも、今ってもうその時代じゃない。女性ががんばっていたら応援してくれるし(地域や場所によって頑張り方や見せ方の工夫は必要。それは社会に出たら男性も同じ)、むしろ同じことやっても女性の方が評価されることも多い。

だから思ったんですよね。サラダ取り分けたくない人は一生サラダ取り分けなくていいよって。全部私がやるから。仕事できる人はそういう変なところにこだわらず、場の最適解を見越して動けるから。

私がある趣味の飲み会に出たとき、仕事できる男性は誰よりも早くサラダ取り分けに走ってました。(私と手がぶつかって、私やるよ、いいよ俺やるよw みたいになった)もうこういうのってさっさと動ける人がやればいいことなんだよねと。

私は日本にいるとき、電車では座ります。困っている人が乗ってきたときさっと譲れる自信があるから座ります。古い考えの人に古い説教をされたら「なるほど、そういう考えでそうおっしゃってるんですね。理解しました」と返すだけで頭に残りもしないし。残しておいても役に立たないことは覚えないんです。

 

サラダも「誰が取り分ける」とかめんどくさいこと考える人が世の中にいるのなら私がやろうと思っています。私そんなことよりその場が楽しい方が嬉しいのですよ。限られた人生の限られた時間を共有しているんだから、サラダなんかより話に集中したいじゃないですか。極端な話ですけど、話を妨げるサラダを早く大皿からなくしたいからさっさと取り分けるんですよ。

 


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さて、私がジェンダー問題から自由になれたのは、あるきっかけがありました。正確に言うと「日本におけるジェンダー問題から自由になれた」ですね。

☆☆☆

私がまだ日本の携帯ショップで店員をしているころ、アフガニスタン国籍の女性がお店にやってきました。男性と一緒に来店し、彼女の名義の携帯をつくるのに隣にいる男性がほぼ指示を出しているようでした。

私は接客中は感情が顔に出ないので、二人を交互に見ながら接客していました。男性の方は日本語がわかる方だったので、通訳の方という形で女性と男性の両方に説明をしていきました。

私が女性だったので、男性は私が女性に操作案内をしても特に怒ったりしませんでした。言語はあなたがわかりやすいものに変えておきましょうか。英語で大丈夫ですか。ちょっと使ってみて不明なところがあったら声をかけてくださいね、と直接コミュニケーションを取る機会もあり、手続きはスムーズに進みました。

男性は途中で何度か席を外したのですが、そのたびに彼女がちょっとしたことを質問してきました。携帯のことですが、意思疎通しているのが嬉しくて私と彼女はずっと笑顔でした。

手続きが終わると、男性が「帰るぞ」のようなことを女性に言いました。女性は「はい」と返事をして席を立ちましたが、さっと私を振り返り、素早く握手をしてくれました。ありがとう、と言ってくれた彼女の顔が涙顔だったのが今でも印象に残っています。


その時からでした。


私は自分が受けてきた女性差別は、日本独自のものであると気付きました。そして世界はどうなっているんだ? と強く興味を持ったのです。調べるより動いて情報を得るタイプの私はアジアを旅している際、外国人と交流すると必ずジェンダー問題のことを尋ねました。すると、東南アジアでは「女性がよく働き、男性は働かない」ということがわかりました。そしてアフガニスタンの女性の例は、宗教的な理由であり、本当に女性には自由がないのだとわかりました。

なんだ、世界中でジェンダー問題って全然違うじゃないか!   と目からうろこが落ちました。女性の方が頑張っている国だってあるし、コテンパンに女性が生きづらい国もある。女性「差別」ではなく女性が「プライドを持って」その状況を選んでいることもある。

 

少しミニマムな実例を出すと、タイでは女性はあまりお酒を飲みません。それは宗教的な理由か? と質問したところ「酔って自分を失っている姿を人前に出すのは恥ずかしいでしょう。だからよほど特別な時にしかお酒は飲まないの。タイ人女性はそういう考えを持っているのよ」と答えてくれました。彼女はゲストハウスのオーナーをしており、英語ペラペラの元外資系勤務のエリートです。

先入観を捨てて人の話を聞いてみると、実は悪気が無かったり、特に差別ではなかったりすることがとても多いです。今私はフィリピンに来ていますが、屋台のオーナーは女性比率が非常に高く、また、企業において役職についている女性も多いです。


だから私が女性一人で屋台をやっていても特別視されません。日本人男性の方と一緒に仕事をしている時でも「男性の方がオーナーなの?」と聞かれたことはありません。「あなたがオーナー?」という聞かれ方をします。


余談ですが、日本で起業したときは、隣に専務(私より3つ年上の男性)がいるとみんな必ず専務と先に名刺交換をして、次に私と名刺交換をして「あれ! 社長はかんどーさんなんですね! 失礼しました!」というやり取りがありました。そのたびに「いえいえ、普通に考えたら彼が社長だと思いますw」と返していました。

金融機関でも「なぜ男性の役員がいるのにその人を社長にせず、あなたが社長をしているのか?」と質問されました。「いや、誰もやりたがらなかったんです。起業にあたり代表者は必須ですから私がすることにしました」と答えていましたw その後必ず「結婚はしているのか」「する予定はあるのか」と聞かれましたw 「会社が軌道に乗ったらそういうことも考える余裕が生まれると思いますが、今は会社のことで精一杯です(だから融資お願いします)」と答えていましたw


ジェンダー問題は誰かが問いかけを続けるものなのだと思います。まだ問いかけが必要であり、国によっては助けなければならない女性がいるのも事実です。

でも私はもうジェンダー問題から自由になってしまった。それより今考えなければならないのは教育の問題であると考えています。


何が言いたいかというと、サラダを取り分けたくない人はやらなくていいし、お茶を淹れたくなかったら淹れなくていいけど、今の時代頭のいい人ほどそういうの率先してやりますよ。そうして重要な仕事もサラダも、美味しいところを全部かっさらっていきます。

これを読んでいるあなたが男性であっても女性であっても、仕事で成功したいのであれば小さなことは気にせず、自分が動くことで場がスムーズに運ぶのなら自分の手を動かした方が良いです。サラダの取り分けなんて一瞬で終わるんだから、やってしまえばいい。「気の利く人」=「仕事のできる人」と思われて得をしますよ。

私はこれからも、気が付いたらお水やお茶を誰かに淹れてあげる人でありたいし、楽しい会食の場ではみんなのお皿にキレイに盛り付けてあげたいから取り分けは率先してすると思う。


余談ですが、屋台の仕事をしているとき隣の屋台の韓国人ジャンさんがよくコーヒーを淹れてくれます。自分がコーヒー飲むタイミングで私にも声かけてくれるんです。そういう自然なのっていいですよね。

気遣いを強要されるのは息苦しい。つまり、日本はまだまだ息苦しいのだろうなと思います。だったら息苦しくないように、余裕がある人がやっちゃえ! というのが私の考えで、今回の人生をエンジョイする私なりの秘訣。

私は女性であることが嬉しいとは思っていない。生理前が重くてとても苦しいから。だけど女性であるがゆえに社長業でもひときわ目立つことができて仕事も取りやすかったし、女性であるがゆえに一人でなんでもする、という当たり前のことで「すごいね」と言っていただける。

総じて私は、女性に産まれて良かったです。


ジェンダー問題は私が若くて一番頑張りがきく頃に私をひどく苦しめました。だけどその呪いは、アフガニスタンの女性との出会いでとけました。その後はもう苦しむことが無くなりました。もしかしてこれが不惑の40代というやつですか!?


最強ですみません。


また明日。


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