こんばんは! かんどーです!
今日は素敵な寄稿をいただいたのでそちらを掲載します。セブ島でリアル友達になった「はなちゃん」という方です。リアルでとても感じが良くて、でもきっと変態なんだろうなと思って福岡まで会いに行って親睦を深めました。そんな、元ナースのはなちゃんの記事をどうぞ!
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かんどーさんのブログを読まれているみなさん、こんにちは。
私は、看護師をやめて海外へ飛び出し、ワーホリやフィリピン留学で2年間海外滞在した、はなです。現在は、ライター、ブロガーとして生計を立てられるように頑張っています。
今回は、海外で知り合ったかんどーさんと、自分じゃ書けないようなブログ記事を寄稿し合おうという企画をしました。私は自分のブログにあまり書いていない看護師ネタをお話しようと思ってます。
看護師の仕事で一般的に言われていることといえば、
- 患者さんの命を守ること
- 医師がスムーズに治療できるようサポートすること
- 患者さんや家族が病気に対する不安を軽減できるよう支援すること
です。
実際の仕事は、点滴や注射をしたり、毎日の生活を助けたり(入浴を介助するなど)のイメージが強いでしょう。私も、看護師をしていたと人に話すと「えっ!注射とかしてたの?」とよく言われます。しかし、実際に病棟で働く看護師は、患者さんができるだけよい状態で治療に臨めるよう、そして病院を出て次のステージ(自宅へ戻る、施設へ移る)へいけるよう日々働いています。
この記事では、私が外科病棟で働いていたときに出会った患者さんの事例を元に、看護師やそのほかの医療スタッフの関わりについて紹介します。看護師がどんな気持ちで患者さんと関わっているのか知ってもらうきっかけにしてもらえると幸いです。
私が外科病棟で出会った食道がんの患者さん(70代男性)
4年ほど前、総合病院の外科病棟で働いていたころの話をします。
患者である山田さん(仮名)は70歳男性。
数年前からものを飲み込むのに違和感を感じ、次第に固形物を食べるのが難しくなってきました。病院へ行って検査をし、そこで食道がんの診断を受けます。手術が必要と言われましたがなかなか踏み切れず、数ヶ月は高カロリーのジュースなどを飲みながら生活していました。いよいよ、医師から手術をしないと取り返しがつかなくなる恐れがあると言われ、手術目的で入院されました。
山田さんの性格は、一言でいうと頑固。他人の言うことをあまり聞き入れずいつも無表情、笑顔は全く見せない方でした。
ちなみに当時の私は、食道がんの患者さんを見るのは初めてです。
手術は成功。ICUで10日ほど生活し、外科病棟へ
食道がんの手術はかなり大掛かりです。この患者さんの場合は、食道の一部を切りとり、胃と繋げる手術が行われました。手術後はICUへ入室し、身の回りの世話は全て看護師がしていたようです。病状が安定して約10日後、私が勤務する外科病棟へ移動してきました。
食道がんの手術後は、「食べたくない。いや、食べるのが怖い」
全身の状態が落ち着いてきたので、主治医から「口から食事を食べる訓練をしてよい」との許可が出ました。しかし、山田さんの言い分はこうでした。
「食べたくない。一生胃ろう(胃に開けた小さな穴。ここから直接栄養を入れることができる)でいいから。」
私は、なぜだろうと思いました。せっかく手術をして、全身状態も回復して口から食事できるようになったのに、食べたくないんだろうと。それなら手術した意味ってなんだったんだろう?と。
私だけでなく、周りの看護師もそれはどうにかしたいと考えていました。
「山田さんが口から食事を食べられるようになるにはどうすればいいか?」
ある日、ベテラン看護師が、山田さんになぜ食事をとりたくないのか聞きにいきました。長い沈黙の後、山田さんはこう答えたそうです。
「今まで高カロリーのドリンクばかり飲んでいて、ものは食べていなかった。手術が成功したとはいうけど、本当によくなったのか?本当に元気なときのように食べ物を飲み込めるか?食べるのが不安。食べるのが怖い」
確かに山田さんは、口の中にたまった唾液は飲み込まずに全てティッシュに吐き出していました。自分の唾液を飲み込むのもままならない山田さんにとって、水を飲み込む、ましてや食べ物を食べることは相当の勇気が必要だったのでしょう。
主治医は、山田さんが問題なく飲み込みができることをテレビに映し映像として見てもらった
それを聞いたベテラン看護師は、主治医へ相談しました。山田さんの主治医は、とても患者さん思いの医師。医師は、山田さんが飲み物を飲み込めるようになったことを映像で見せようと考えたのです。
医師は山田さんの飲み込み検査を行い、口から食べたものが胃に入って行く様子をテレビに映し出し、山田さんに見てもらいました。
(この飲み込み検査は医療用語でいうと、VF:嚥下造影検査)
医師「山田さん、手術で悪い部分は切り取って、食べ物が通る道は繋がっていますよ。これで今まで通りものを食べても大丈夫ですよ。」
山田さんは少し納得されました。その日から、少しずつ口に飲み物を含むようになりました。しかし「飲み込める」こと受け入れるのにはまだまだ時間が必要です。
ジュースを湿らせた綿棒、ポカリスエットを入れたスポイトを使い、山田さんに水分を取ってもらうようにしました。はじめはほとんど飲み込む気がなかった山田さんも、毎日促すうちに少しずつ受け入れていきました。
飲み込みだけでなく、歩く練習も必要
山田さんは、手術が終わってからの約10日間、ほとんどベッドに寝たきりで生活していました。もちろん手術の後は体の回復が第一優先ですので、寝たきりになります。しかし、家に帰るというゴールが見えている山田さんは、自分の力で立って歩けるようにならないといけません。
このときの山田さんは、身の回りの世話を全て人にやってもらう生活でしたので排泄でさえもベッド上でされていました。そんな山田さんにトイレまで歩くよう促すのは一筋縄では行きません。頑固な山田さんは毎日「疲れた」「動きたくない」といい、なかなかベッド上以外で排泄をする気にならないようでした。
山田さんに退院後の生活をイメージししてもらい、歩きたいという気持ちを引き出す
そんな時、山田さんはテレビで春の高校野球を見ていました。私が「山田さん、野球好きなんですか?」と聞くと「そう」との答え。趣味の話なら自分から話してくれるかもしれないと思いいろいろ質問してみました。学生時代の部活の話、好きなスポーツの話、そして家に帰ったらどんなことをしたいかを聞きました。
話をするうちに山田さんは元野球部だということがわかりました。野球部出身の男性看護師にも協力してもらい、山田さんの好きなこと、今後やりたいことを聞きだしながら、「やりたいことをするためには、歩く訓練が必要だ」と山田さん自身に考えてもらえるようにしました。すると、山田さんに私たちの気持ちが伝わったのか、ベッドから離れる気持ちになったようでした。
毎日リハビリに来られていた理学療法士の方の関わりもあり、毎日少しずつ歩く距離を増やしていきました。
健康体の私たちは毎日何気なくベッドから起き上がってトイレに行きます。しかしこれには多くの動作が必要です。
寝た状態から頭と上半身を起こす、ベッドに座る、ベッドから足を下ろして立つ、足を片足ずつ前に出して歩く、トイレのドアを開けて中に入り、ズボンを下ろし排泄する。
数日間寝たきりの生活を送っていた患者さんにとって、この動作の1つひとつが負担となり、ときには命がけなのでは?という感覚になります。そんな時、看護師は、1つひとつの動作を見守り、危険がないようにそして、出来ないことよりできることに目を向けながら援助する必要があります。
食べたくないなら、とびきり好きな食べ物を用意する
毎日少しずつ働きかけることによって、山田さんは少しずつベッドから離れる気持ちを持ち始めたようで、ベッド横の簡易トイレへ座ることができるようになりました。
飲み込みの訓練に関して、リハビリ用の食事としていて山田さんに出されていたのは、すき焼きやシチュー風味のゼリー、そして普通の食事をミキサーで流動食にしたもの。山田さんはそれらを少しずつ口に含むようになっていましたが、食べられる量はほんの少しでした。
よくよく山田さんの話を聞くと、「食事が美味しくない」と考えていることがわかりました。そこで、何が食べたいか聞いてみました。山田さんの答えは「半熟卵」。
1日に何百人もの食事を用意する病院の調理室では、1人の好みに合わせて食事を出すのは大変です。しかし、随分前から山田さんの状況を知っていた栄養士は「毎日は厳しいけど、週1に1度でよければ要望に添いますよ」と言ってくれました。
週に1回の半熟卵が食べられる日を楽しみにしながら、毎日少しずつ食事をしていった結果、山田さんは食事できる量が少しずつ増え、見事胃ろうに頼らずに口から食べ物を摂取できるようになりました。
食事できる量が増えるにつれ、やせ細っていた山田さんの顔も肉付きがよくなりました。そして、ときどき笑ったり、自分の話をしたりくれるようになりました。1日中ベッド上で生活していた山田さんでしたが、調子がいいときは看護師やリハビリスタッフ付き添いのもと、車椅子で部屋の外に出るようになりました。
そういうシーンを見るのが、看護師のやりがいです。
私が知らぬ間に回復病棟、そしてリハビリ専門病院へ転院
山田さんの食が進むようになってよかったなと思っていたとき、私は連休がありしばらく病院に行きませんでした。そしてしばらくして出勤したときには、山田さんは病棟にいませんでした。
他のスタッフへ聞くと、退院前の人ばかりが入室するほかの病棟に引っ越したようです。そしてその数日後、家族に付き添われ、自宅近くのリハビリ病院へ転院されました。あんなに歩くのを渋っていた山田さんでしたが、歩行器を使いながらであれば歩けるくらいまで回復したとカルテに書いてありました。
人って、窮地に陥ったときでも生きる力が備わっているのだなと感動したことを覚えています。
この事例で関わった医療職種
この山田さんの事例に出てきた医療職種をまとめて見てみましょう。
ベテラン看護師:山田さんがなぜ口から食事をしたがらないのか、話を聞いて原因を探った
主治医:山田さんの飲み込みが医学的に問題のないことを映像を用いて見せ、本人に納得してもらうようにした
男性看護師:山田さんの趣味の話をしながら退院後の生活をイメージしてもらい、リハビリが進むように働きかけた
理学療法士:リハビリを通して、山田さんが歩けるようになるよう援助した
栄養士:山田さんの好みの食事を出せるように手配した
そのほかにも、山田さんに食事を持って行くとき「今日もたくさん食べてね」と笑顔で声をかけていた看護助手さんや、転院先の病院を探したソーシャルワーカーなど、多くの職種が関わっています。
看護師の仕事は、注射や点滴だけではない。そして病院はさまざまなスタッフの協力があってこそ成り立つ場所。
この記事で私が伝えたかったことは、看護師の仕事は患者さんや家族から見える場面だけではないということです。患者さんの話を聞いて、病気が少しでもよくなるような関わりを考えるのはもちろん、看護師同士での話し合い(カンファレンスという)もあります。ほかにも看護記録の記載、医師からの指示受け、新しいスタッフへの指導など、病院の外からでは見えない様々な仕事があります。
そして、医療の世界は1人のスタッフでは成り立ちません。病気を治療する医師の力は大きいものです。加えて、その後のケアをしたり、患者さん自身の思いを聞きながら退院までサポートしたりするには、多くの医療スタッフが関わっています。どのポジションが欠けても患者さんを支えることはできないのです。
毎日健康な生活を送っていると病院について考えることはないと思いますが、カゼなどで病院に行くことがあれば周りのスタッフを見てみてください。きっと、患者さんが元気になるのを支えようと頑張ってます。
ちゃっかり私のブログとTwitterを紹介!
この記事を読んで私に興味が湧いた方は、ぜひブログを読みに来てください^^
ブログ:
かんどーさん、寄稿する機会をいただきありがとうございました!
これからも記事楽しみにしてます^^
そしてまたセブで会いましょう〜
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超素敵な記事をありがとうございました!
この記事にインスパイアされて小説が書けたので、それは本にまとめて文学フリマで売ろうと思いますw 私とはなちゃんは、ふざけていることが多いですが、根がまじめというところで一致しているんですよね(反対意見は認めません)。
私もはなちゃんのブログに寄稿したので、明日はそれを紹介しまーす!
以上、交換寄稿企画で「元看護師はなさんの、一番印象的な看護」をお送りしました!
それじゃあ、また明日!