接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

無事ライブ終了しました報告

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こんにちは、かんどーです。自分的に「圧倒的に無理……!」と思っていた代官山NOMADでのライブでしたが、無理なりにやってきました。

「他の出演者の方々みたいにカッコよくやりたい!」とか漠然と思ったところで、結局人それぞれの始めたきっかけ、そこからの経緯、それぞれの時間をかけて培った技量、持っている人柄などのすべてが掛け算になってそれを「人前に出す」という場であるので、そもそも「あんなふうにやりたい」というのが漠然としすぎているわけです。

今の自分が出せる掛け算を最大限出力するしかないです。

ぜんぶの能力が1しか無い場合でも、掛け算の結果の数字が1であるだけで、とりあえず当日ステージに上がることで「1」は担保されるわけです。最初からやらない、ひるんで休んでしまうと「1」は「0」になります。


わたしのように始めたばかりの人間が一番苦しむのは「掛け算が成立しない」ということです。「2」と「2」だったら足しても掛けても同じなんです。それがあと一歩進むことで「3」と「3」だったら、ちゃんと掛け算になって返ってくる。

わかりやすく書くと、

・楽曲の良さ
・声の良さ
・楽器の演奏力
・当日のパフォーマンス
・伝える力
・ルックス
・あふれるエナジー感(強そう、とかなんかヤバそう、とかです)

こういうものが掛け合わさって、最終的に一つの演目となってくるわけだと思います。楽器が完璧に弾きこなせて(少なくともその曲を演奏するのに必要な能力があって)、その楽曲を歌いこなせて、初めて掛け算が始まる、そんな気がしています。

「1」だとそこからのふくらみが少ないんですよね。そもそも「完成されたもの」を見に来ている状態だと「足りない」って感じることのほうが多くなってしまい、そこに「完成」を見ることはできない。


じゃあ、「完成」してから外に出た方がいいのではないか? 確かにそうです。わたしも本当はそうしたい。あと2年くらいは自宅で練習していたいです。2年後には絶対今よりずっと上手に弾ける確証がある!! でもそうしないのには理由があります。


「今」出演している方々がどういう空気を吸って生きているのか。
「今」ライブハウスを運営している方がどういうことを発信しているのか。
「今」ライブを観に来る方がどういうものの見方をしているのか。


そういうことすべてを体感できるのが、「ライブに出演する」ということです。そうしながら自宅で練習する方が圧倒的に早くて良いものができると考えます。


若い頃からやっておけばもっと吸収できたのに、とか若い頃ならもっとお客さんが来てくれたかもしれないのに、と言われるかもしれませんが、わたしは今で良かったと思っています。若い頃のわたしは友達なんて一人もいなかったし、友達がいないことを隠すことに必死で、誰でもいいから近くにきてくれと恐ろしい人間関係しか結べていませんでした。そして周りはみんな敵でした。

この人はわたしからお金を奪うだろう、この人はわたしを騙すだろう、この人はわたしを利用したいだけだろう、そう思って人と付き合っていました。だってアルバイトの面接さえ受からないし、せっかく受かってもロッカーのカギを壊されてお金を盗まれたりしてきたし、契約の変更と書いてある紙にハンコを押したら同じ時間働いてもお給料が下がったりしてきたからです。ずっとずっと騙されていたような暗黒の20代がありました。


今、やっと誰にも騙されないだけの自分が完成したのです。

だから、人を信用して、安心して友達になれるようになりました。人付き合い、という基本的なことを普通に楽しめるようになったのは、実はとっても最近のことなのです。


昔のわたしだったら、ライブハウスの人怖かったらどうしようとか、楽屋で無視されたらどうしようとか思ったはずです。実際、そういう気持ちのかけらがいつもわたしのなかにあるから、本当はいつだって怖い。

だけれど、いかなる状況になっても自分で自分を守ることができると信じられるようになってから、どんな場所も楽しもう! と開き直ることができるようになりました。だってよく考えたら、海外の知らない土地で一人で暮らすことより怖いことってそんなにないし、言語が伝わる時点で絶対に大丈夫。


何より、今が「1」であっても一生懸命やっていることが嘘でないのなら、いいじゃないか、表に出て行こうと覚悟が決まったのです。(実際問題、ライブハウスの人が冷たかったことも1度も無く、楽屋で無視とかも1度も無いです!   どこの都市伝説だよと思います。いやわたしの過去が酷すぎたのかもしれん……どんだけだよ)



話を戻します。「0」はどうやっても「1」にも「200」にもならないけど、「1」はふとしたことで増殖が始まるものだと思っています。そのふとした瞬間に立ち会うことが楽しいから、「1」をたくさんのところに仕掛けて毎日を生きている。

セブ島の「1」はどうなっているだろうか。
会社の「1」はどうなっているだろうか。
ギターの「1」はそろそろ「2」くらいにはなってくれないだろうか←NEW!


興味本位で始めたことに夢中になってしまう自分の性質が以前は嫌いでしたが、今は大好きです。39歳でギターを始めて40歳で初ライブしたって、まあ文字にすると痛いけど、何にも興味も持てず、一生懸命にもなれないよりずっと良いです。


長くなりましたが最後にひとつ。


人間は本気で願ったことの半分はかなうようにできているそうです。これは結構その通りで、実際に半分は叶います。しかしそれは「本気で願って、取り組んで、やれるように道筋を立てて行動したこと」のうち半分が叶うということです。

わたしの場合は、

・小説家になりたくて賞に応募し続ける→現状ダメ
・フィリピンにNPO法人を立ち上げる→現状頓挫している

・海外に移住して仕事をする→2018年に成功!
・英語が話せるようになる→2018年に成功!


このような成果になっています。半分は叶っています。そして今は叶っていない上記のふたつも、これから叶う可能性はあります。

ここに新たに

・自分が作った楽曲を最も美しい形で広い世界に出す

というのを加えているのが現状です。さて、今回のは叶うでしょうか? 実はこれすごいんですけど、本気で取り組むと、叶っても叶わなくてもそこそこの結果が得られるんですよ。英語がちょっと話せるようになったとか、海外で生活してみたかったとか、そういうのは叶って嬉しいことですけど、叶わなかったとしても具体的な行動をしている場合、それなりの知見が得られるのです。

わたしの場合は今でもNPO法人の立ち上げをあきらめていないし、小説家になれるかはわからないけれど、これまでに読んできた本の数は普通の人よりはるかに多いです。小説家になろうと思って本気で読んできたので、読書の深みもそこそこあります。

好きな本の話をしているだけで人と楽しめるくらいには本が好きです。今でも夢中になって読書をすることがあります。前よりは減っちゃったけど。


今日は久しぶりにいろいろ書きました。


明日はSMクラブの話とか、自転車でレースに出た話でもしましょうかね。



すべてが走馬燈のようだ。更新が途絶えたら死んだと思ってください。嘘です死にません。だって来月ASKAの台湾公演のライブチケットも取ってあるし、セブ島でやることもたくさんあるもの。

それらを消化し終わるまでは死にません。


少し先の飛行機とライブのチケットを取り続けることこそが、生きる力なのではないかと最近真面目に考えています。


それじゃあ、また明日。