こんにちは。お久しぶりの更新になります。
最近、web上のツールから少し離れて、目の前の手に触れるものに一生懸命に接するようにしていました。具体的に言うと、本屋さんに行って欲しい本を買って貪るように読んだり、ジョギングやロードバイクなどの運動を「追い込む」レベルまでやったりしていました。
効果は絶大で、目に飛び込んでくる情報の質がグンと上がりました。質が上がった、というよりは「自分を取り戻した」という感じでしょうか? SNSを始めとするコミュニケーションツールにがんじがらめになって、仕事もプライベートも常に「ON」モードになっている時、無意識に人は「情報と情報の関連性」を見つけようとしてしまうものと思います。
「このお店、○○さんも△△さんも話題にしていたな!」「このビジネスモデルは、うちの会社の新規事業に絡めても面白いかも知れない」
…こんな風な関連付け思考で、日々を生きていると思います。これ自体はとても良いことですし、情報収集をする上で、自分の仕事や周りの人と関連付けをしていくことで世界は広がって行く、今はそんな時代だと思います。
ただ、私はこの「関連付け思考」自体にかなり疲れてしまっていました。自分の会社も5年目に入り、ここで一度「何事にも関連付けない素のままの自分」として生活がしたかったのです。
効果はてきめんでした。会社経営者としての自分がいつも見ているニュースはIT、通信、雇用関連のものが多いのですが、一人の人間として解き放たれた時に強く関心を持ったのは
・世界を脅かしている病気(エボラ出血熱等)について
・コンプレックスについて
・「生きづらさ」について
主にこの3つでした。
エボラ出血熱については衝撃的な病気で、すぐに情報を追いました。その致死率の高さに驚き、現地の生活がどれだけ脅かされているのか、想像しただけで苦しくなりました。日本ではせいぜいインフルエンザや重い食中毒などが伝染する程度ですが、アフリカでは即、死に至る重度の感染症が広がっている現実。食い止めようと現地入りした医師たちにまで感染しています。この病気は一体何が原因で発生したのでしょうか? 人為的なものを想像してしまい、ニュースを追ってしまう日々です。
次に、「生きづらさ」「コンプレックス」についてですが、先日テレビで「クローズアップ現代」という番組を観ておりました。その回は「男性の生きづらさ」がテーマになっていました。この番組はほぼ全部見ておりますが、女性の貧困や若者の貧困等、社会問題を一人の人間にまでクローズアップして見せてくれる所が非常に面白いです。
番組では「男性の生きづらさ」について「男らしくあらねばならない」「生活を支え、かつイクメンでなくてはならない」等のジレンマに悩む男性が出演していました。中には、専業主婦の妻がいるのに、連日の残業を終えた後も家事を手伝ったり、育児にものすごく積極的に参加して「こうしなければならないと思っている」と口では言いながらも、ものすごく辛そうな男性もいました。
…そんなに仕事が激務なら、家事や育児は奥さんに任せちゃえばいいのに。
私はそんな風に思いましたが、どうやらそんなに簡単な話ではないようです。人間は結局いつの時代も、その世論や風潮に合わせて「こうあらねばならない」と自分をがんじがらめにしてしまい、自分で自分の人生をつまらないもの、辛いものにしてしまっているのだと感じました。
かく言う私も「学歴が無いと出世できない」と思い悩み、仕事をするのがバカバカしくなって無気力で自堕落になっていた時期があります。「英語が話せないとバカだと思われる」と自分を追い込み、寝る時間を削って勉強するも、なかなか上達しない英語力に死にたくなった事もありました。(今考えると本当に馬鹿です)
翻って「生きづらさ」は、世間の中で価値ある存在であろうと他者の目を意識するから起こるのであって、自分の原点に立ち返って、自分が本当に大事にしたいものだけを厳選していけば、実はそんなに生きづらくない、という気づきにたどり着けるのではないかと思います。
私は起業後3年間、誰かに「もっと社長らしく振舞え!」と言われるたびに「はい、ごめんなさい」と自分を戒め、反省してきました。それが自分をものすごく苦しめている事に気づいたのは、胃をめちゃくちゃに壊した時でした。食べものを全く受け付けなくなった体と向き合った時「無理をしていたんだ」と気付くことができました。
それ以来、「社長らしく振舞え!」と言われても「今はこれが精いっぱいなので…」と応じています。そうするようになってから、生きづらさからかなり解放された気がします。現場では自分の全部を使ってお客様に向き合えばいいだけですし、10年以上続けている接客、営業に関しては元々「性に合っている」からやっている事なので、信じてやり続けるだけです。
「好きだからやり続ける」というのも実は辛いのです。一時期好きな事を仕事にしていた時、好きな事であるだけに上を目指し過ぎてしまい、やはり自分を追いこんでしまいました。これは勝手な自論ですが、仕事は「性に合っている」「得意だと思う」くらいの事を、愚直に続けて行くのが実は良いのではないかと思います。「好き」を仕事にするのは理想ですが、そういう人はえてして他人の痛みに鈍感になってしまったり、冷静になりきれない事がある、そんな気がしています。
まったくまとまらないので今回はこのあたりで締めますが、生きづらさを感じるのは至極当然の事であり、また真面目であるがゆえの事だと思います。真面目な人に「不真面目になれ」と言っても無理なのが歯がゆいところではありますが、人生には休息も必要、そして可能ならば一度、全ての情報をシャットダウンして、本当に自分の興味のあることは何なのか、自分はどう考えているのかを見つめ直すのも良いと思います。
何となく自分の上を流れていく雲のような「○○主義」や「概念」や「自分のありたい姿」がクリアになるかもしれません。
人間は必ず死ぬ生き物です。その瞬間に後悔しない生き方をしていきたいですね。