こんにちは。
最近、わたしのことを「エロい人」「ちょいちょい挟んでくる下ネタがうざい人」だと思ってる方、増えてきたんじゃないでしょうか?
リアルだと真面目にしてないといけないから、ネットでだけ下ネタを言っているんだろうな、と思われているかもしれません。
実はわたし、リアルの会話ではネットの何倍も下ネタ連発します。
「最近ヤってる~?」
「まーたまたエッチなこと考えてたんでしょ!」
「今日一日エロい目で追わせていただきます!」
このくらい言ってしまいます。仕事だとアウトになるのでギリギリ(オフサイド?w)を狙っていますが、プライベートではほぼオール下ネタ。相手の趣味より性癖を先に聞きます。
ところで、人はどうして下ネタを言うのか考えたこと、ありますか?
わたしが下ネタを言うようになったのはごく最近です。ここ2年くらいでしょうか。ある程度年を重ねて生きやすくなってきた頃です。
直接的な原因は、ある集団とのかかわりが多くなったことです。その人たちはとても上手に下ネタを言って場を沸かせるので、伝染してしまったのです。そしてわたしはどんどんその集団が好きになり、下ネタレベルも集団の中で高い方になってしまいました。(心当たりのある集団の方はスルーしてください)
ただ、いくら周りが下ネタを言っていても、自分は言わないという選択もできました。誰かのネタに笑っていればいいんです。それでも充分楽しい。
なのに、わたしは自分から新たな下ネタの境地を切り開く道を選びました。
念のために言っておくと、わたしは実技の方はてんでダメなんです。誘い方もムードが無いし、寝技の力加減がうまくない。情緒がないんです。あげく、疲れているときは本マグロです。いや、むしろ腐りかけのヅケマグロ……救えねーな。
マグロ
それでですね、どうして下ネタを言うか、なんですが、
1.自分の位置をあえて下げて心理的負荷を減らす
2.心を開けない自分を「開く」ためのひとつのスイッチ
3.「人間同士」という最大の共有を誘っている
簡単に言うとこんな理由で言ってます。
要は、さびしいんですよ。
1.自分の位置をあえて下げて心理的負荷を減らす
わたしは起業して「社長」と呼ばれるようになりましたが、楽しいのなんてせいぜい2年でした。そこから先はただ肩書きが重いだけ。社長の友達なんて一人もできないし、そういう集まりに出ても浮くばかりで馴染めない。
こんなつらいことばっかりの「社長」なんて、本当は今すぐ辞めたい。でも、今それはできない。だからせめて誰かと話している時は、社長っていう色眼鏡は無しで向き合って欲しい。そのために自分の位置をあえて下げるような下ネタを言って、社長としての自分<人間としての自分 であろうとしているのです。
2.心を開けない自分を「開く」ためのひとつのスイッチ
人は仕事上の役割、コミュニティ内での役割と、どうしても演じ分けているように感じました。それが何だか嫌で、もっと自然に人と関わったり、心を開いた会話がしたくなったのです。下ネタはその点とても良かった。本当のことじゃないと新鮮なネタとして提供できないですから、自然に本当のことを話す。そうしているうちに「本音を言う」ができるようになってきました。言っちゃいけないことも言っちゃうようになったけどね…
3.「人間同士」という最大の共有を誘っている
そして、下ネタは人類共通の話題です。
人類共通の話題ですから、言い方次第では自分のアイデンティティを表現する手段になるし、相手との共感も深いところでできたりします。それがうれしい。
こういう理由です。ブログで下ネタを書くのもほとんど同じ理由かもしれません。
格好つけない、飾らない、本当の自分で、本音を言えるようになりたい
きっかけは本当に純粋な思いなんです。もっと素直に書きたい、もっと自分らしい言葉で書きたい、嘘を書きたくない、本音を書きたい、格好つけてない自分として書きたい、自分にしか書けない言葉を見つけたい、自分らしい自分でいたい。
たったこれだけの本能的な願いを叶えるために、わたしは下ネタスイッチをONにしたのです。
効果はなかなか絶大でした(笑)
それまで書けなかった黒歴史的な過去もさらーっと書けるようになったし、過去は過去で今は今と割り切れるようにもなりました。書けない言葉(NGワード)は少ない方が書きやすいんだなと思いました。
って、自己正当化にしか見えないですよね← 2,000文字も使って自己正当化…! 何してんの自分!
話は戻りますけど、下ネタを言える状態って、かなり心がリラックスしてるんですよね。その状態が好きだというのもあります。
下ネタだけじゃなく、言いたいこといいたい。
我慢し続けて体に負担もかけてきただけに、もう我慢しないで生きていきたい!
楽しく生きたいよね!
それじゃあ、また明日ー!
☆今日の過去記事☆