手短に書きます。
承認欲求。はてなにきてこの言葉の意味と、これがあることによって人がどうなっているかを身をもって体感しています。そして、わたしはこれがすごく強くて同時にこれを忌み嫌っているという複雑な感情に悩まされています。
たくさんの人が読んでくれるのはうれしいです。実際、当初想定していたよりたくさんの人にブログを読んでもらえていて、これは本当にうれしい。
でも、「あの人のほうが読まれている」とかそういう考えには絶対なりたくない。自分は自分で、相対評価じゃなく自分の文章力が上がったかどうかだけを見つめたい。だけど、それはかなり強く意識していないと保てない。結局「気になるあの人」がたくさん読まれていることに意識が行きそうになって、そうなるとブラウザを閉じてランニングする。つまり、わたしは承認欲求の二次災害である「相対評価」のどツボに落ちてしまっているのです。ランニングして気分転換してリセットしても、結局またその波が来て、おなじことで悩む。
あまりに考え方が違いすぎる人の文章は「読まない」という選択肢もある。だけど、わたしが悩んでいるのはそこじゃなくて「わたしが言いたいことを、わたしより上手に伝えている人」の文章を読むのがキツイんです。なんでこんな風に書けるの? どうしたら書けるの? って色々考える。一時期はその人の表現方法をまねたこともありました。まったく違う話題でやったから多分バレてないと思うけど、でもわたしがやると全然でした。自分の言葉で書いてないから伝わりにくくなって、余計駄文になりました。
さっき外を歩いているときに思いました。もう、ブコメ欄外しちゃおうかなって。
これは最大の逃げなんです。実はわたし、アクセス解析を見ません。月末になってグラフを眺めることはするけど、毎日見たりはしない。これも逃げなんです。その日の自分の結果をその日に見る習慣がついたら、もうそこで魔物にガッシリつかまれてしまうから。
その流れで、今あたたかい言葉がもらえているブコメも、外してしまったら楽になれるかなって考えてました。実際、ブコメ欄なしで素晴らしいブログを書いてる人を一人知っているし。
あとは自分に対する訓練。下手したら世に出ないかもしれない、誰にも読まれないかもしれない文章を書き続ける訓練。これはもしかしたら強くなれるかもしれないなと。
自分の無力さを知れば知るほどに、自分を追い込みたくなります。
たぶん、そうなるくらいには書くことに対して真剣になったんだと思う。読まれたら嬉しい、でもそこを終着点にしたくない気持ちがあって、ものすごくデリケートなんだけど、自分の書きたいことだけを書いて、ぐいぐい引っ張っていくような強い文章が書きたい。
人生は何かをやり遂げるにはあまりに短い。最短ルート目指したい。承認欲求に翻弄されるより、もっと深く書けるようになりたい。だけど、今思っていることを考えるのとおなじスピードでこうして文章にできるようになれたのは、このブログのおかげ。ほんとに感謝してるし、ブログが大好きです。わたしは、書くことと読むことが本当に大好きです。
変なこと書いてごめんなさい。
明日は旅ブログを更新します。それでは、また明日。