こんにちは、かんどーです。
わたしには、嫌いな人があまりいません。ほとんどいません。日常で接する人はすべて「好きな人」ということになります。出会った人のほとんどが「好き」なのです。
これはわたしが「誰でもウェルカム」という性質だからなのですが(昔からそうだった)、それ以外に、むやみに人を嫌いにならなくなったということも関係しています。
■嫌いな人と出会ったら
・相手と何を話しても盛り上がらない場合
その相手のことを遠ざけたくなるでしょう。自分の言うことをすべて否定してきたり、自論を押し付けてくる人とは、遊びたくないですよね。少しは聞く耳を持ってくれないと。
・自分の前ではいい顔をしていても、他の人に自分を悪く言う人
これも信用ならないですよね。そういう人には本音を言いたくないものです。集団において、この手のタイプを嫌いになることはよくあることだと思います。
これらのタイプに出会った場合、対処法は簡単です。これらの人を「情報源」、つまり1データとして扱えば良いのです。仕事でどうしても関わらなければならない相手などの場合、完全無視もできませんから、データとして扱います。わたしの場合は、モンスタークレーマーなども1データとして扱っています。ですのであまり頭に来ないのです。相手は人ではなく、データですから。データ取りの最中は、分析対象から情報を詳しく拾うことが大事。冷静に。
■どうしても許せない人と出会ったら
わたしの場合、「嫌い」というより、自分の中で「許せない」という感情になる対象がたまに現れます。どうしてもその人のある部分が許せないのです。
ちょっと書きたくないのですが、わたしが許せないタイプは「権力のある人に媚びへつらい、自分を大きく見せようとする人」です。
実はこれ、わたしなんです。
わたしは他人のことを「許せない!」と叫びながら、自分の中にある自分が嫌いな部分を憎んでいるんです。同族嫌悪と言うのかな。
権力のある人に媚びへつらい、自分を大きく見せようとするのは、若いころのわたしの考え方の癖でした。今は意識して視線をフラットにフラットに…と矯正しています。人の本音、本質の部分と向き合いたいと考えているからです。
しかし、他人が権力にすり寄っているのを見ると、イライラしてしまいます。許せなくなります。わたしにしては珍しく、感情が昂ります。
しかし、そんなときこう考えるのです。
「今わたしが憎んでいるのは、わたしの中にある(あった)汚い部分だ。目の前の相手じゃない。相手を憎むことはやめよう」
こう考えることで、目の前の相手の行動を、それはそれとして受け流せるようになりました。自分がいやだと思う行動は、自分が取らなければ良いだけ。人の行動にとやかく言う必要はない。そもそも、権力にすり寄っても結果的に自分が高められないと気づいたから、わたしは権力志向をやめたのです。権力に擦り寄って引き上げてもらおうとすると、努力の照準がブレるんですよ。人に好かれよう、になってしまって、結果尖った仕事ができなくなる。だからやめたんです。もっと尖りたかったから。
それをまだしている人に対し、憎しみの感情を抱いたら、自分自身がまだ権力志向から抜けられていないことになります。だから意識して、怒らない。その人を嫌いにならないようにする。
そうすることで、自分自身が脱却しようとしている「過去の自分」を許したことになり、結果として前に進めるのです。
■人を好きになる
「嫌いにならない」は、円満な人間関係を作るのに役に立つやり方ですが、友達をつくるには、人を好きになるのがいいと思います。
ちょっと恥ずかしくても、自分を思い切って出してみる。思ったことを言ってみる。間違っているかもしれないけれど、口に出して何か言ってみる。考えすぎない。疲れたら黙る。そんなとき話しかけてくれて嬉しかったら、相手の話に耳を澄ます。
価値観の違いを勝ち負けに変換しない。違っていい。違って面白い。同じだったら手を取り合って回ればいい。この歳になって「同じ」が見つかると、とても愛おしいよ。男女問わず、「同じ」が見つかったときには相手をとても好きになる。
この「同じ」がたくさん見つかっているから、今わたしは幸せです。
わたしはブログで本当に自分の思ったことを公開しているのですが、それを認めてくれた人とリアルで会うので、ブログ経由で会った人で、仲が悪くなった人は今のところいません。ある部分で考え方が違っても、相手の価値観を聴くのが楽しかったり。
人を嫌いになるととても消耗します。
少しでも楽に生きられるよう、人を嫌いにならず、かつ好きになっていける生き方をしたいと思います。
それじゃあ、また明日!
☆今日の過去記事☆