接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

社長令嬢と格差を感じた話

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こんにちは、かんどーです。


昨日書いた記事の続きです。わたしは18歳の頃、夜間の短大に入学するのと同時に、9時~17時の事務の仕事を始めました。その会社は機械をつくる会社で、社長がいつも奥の机にすわっている規模の会社でした。



その会社で、社員旅行がありました。営業さんと、工場勤務のひとと、事務のわたしたちがそれぞれ2班に分かれて(工場の人たちは一斉に)行くことになりました。

わたしは社長、社長の奥さま、上のお嬢さまと一緒の班でした。社長の奥様は経理を管理しているひとで、わたしと同じ場所で事務の仕事を統括していました。社長の奥様は社長を立てつつも場を明るくする人で、社長のお嬢さまはたまに会社へ差し入れを持ってくるかわいらしい方でした。社長の家族は、笑顔にあふれていました。(下のお嬢さまはまだ高校生だったので、社員旅行には来ませんでしたが、たまに見るととても美しい方でした)

社長は当時50歳くらいでしたので、上のお嬢さまは当時のわたしと同い年でした。社員旅行の行き先はアメリカ。信じられないかもしれませんが、おそらく利益が出たのでしょう。今思えば、先行者利益を取れる業態でしたから。わたしは当時、あの会社で営業をやりたいと強く思っていました。聞き入れてもらえませんでしたが。

アメリカでは完全なるパックツアーといった感じで、まったく楽しくありませんでした。夜にホテルを抜け出して、コンビニのようなお店に行ったり、バス停の老人のとなりに座ったりしました。コンビニで買ったつめたいコーラは夢の味がしたし、老人が話す英語は、おとぎばなしのようでした。わたしはあの瞬間だけは楽しかったと記憶しています。(後でめっちゃ怒られましたが)


社長のお嬢さまは、常にニュートラルにギアが入っている、社会性と常識を兼ね備えた人でした。黒髪で必要以上の加工や化粧をしていないのに、標準体型で美しい人でした。どうしたらこの形になるのか、いつも不思議でなりませんでした。当時のわたしはウエスト78センチ、太ももがプルンプルンの小デブだったのです。慎重161センチ、体重は60キロでした。ランニングに目覚める前でしたので、痩せる方法がわからなかったのです。ストレス解消は食べることだったので、体型はかなり崩れていました。


お嬢さまは、社員たちとも気さくに話しました。人の好き嫌いがなくて、誰が話しかけても花のように笑う。おもしろいと転げるように笑って、残念がる表情が自然。目に映るものをストレートに受容して自身の心の栄養にしていることがわかる人でした。わたしはお嬢さまの美しさが、まぶしくて、大キライでした。

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わたしはひねた心で生きていたから、人の失敗をケケケと笑ったり、人が不幸な話をしているのを「ふーん」と聞き、後で思い出してニタニタと笑いました。

人が嬉しい話や狙いすましたような面白い話をすると、「ケッ」と思って笑いませんでした。何も楽しくなかったんです。そして、話の半分は、わたしのわからないことでした。理解できないから、笑わない。反応しない。ひまだったのでお嬢さまを観察していたのです。わたしはクズでした。

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思い返すと、紀子さまにそっくりなお嬢さまでした。今だと佳子さまになるのでしょうけど、雰囲気が紀子さまそのものでした。



父が社長だと、あんなふうになるんだ、と思いました。心が、きれい。どれだけ妬んでも、きっとこの人にはなれないし、この人の嫌がることをしたとしても、きっとこの人は許すだろうし、何かあったら世間はみんなお嬢さまの味方につくことがわかりきっていました。



お嬢さまを憎んだまま、わたしはこの会社を去りました。そして、しばらくの間、このお嬢さまのような人とは接することのない人生を歩みました。


あれから10年以上の月日が流れ、女社長と呼ばれる人や、お嬢さまであろう人と関わる機会が増えましたが、やはり印象はおなじ。ただし、当時のお嬢さまの年齢である18歳というのは絶妙で、根回しをする狡賢さや人を動かす人心掌握術を完全に使いこなす一歩前の段階で、一番花のような年齢であることがわかりました。そして、あのお嬢さまは「草食系お嬢さま」であったこともわかりました。


今出会うお嬢さまは、肉食系お嬢さまが多いです。


人を知らないうちに操って自分の立場を作ったり、傲慢だったり、自分にできないことはないと思っている、強いお嬢さまです。


だけど、わたしも年をとり、お嬢さまのことをかわいいと思えるようになりました。精一杯咲こうとする花は、良い香りを放つのです。強くて、人を惹きつける香りです。

強がったり、人と比べたり、コミュニティに縛られて苦しんだりしながら、お嬢さまも生きているんです。草食系お嬢さまもたまにいるけれど、彼女たちはまた、何かをあきらめていることが見えます。めちゃくちゃにセックスしたり、誰彼構わず色目を使ったりは絶対にしません。自分を戒めているのです。


わたしは自由に生きて、お嬢さまのことも自分のことも俯瞰して見られるようになりました。しかし、一歩間違っていたら、ずっとお嬢さまを憎むような生き方しかできていなかったと思います。上をにらみつけるような生き方もアリですが、それは最終的に幸せになれない生き方だと思います。幸せになるためには、人を許し、共存を望み、自分と違う生き方の人も認めていかないと。認め合うことで分かり合えると思うのです。


ふだんの仕事がどんなものだって、旅に出たら人は自由。


わたしは旅に出たとき、その場の気分で名乗る職業を変えています。もちろんウソはつきません。ただ、昔やっていた「クラブシンガー」や「スイミングスクールのコーチ」を名乗るだけです。少し付き合いの深くなりそうな人には正直に「携帯ショップで働いている」と言いますが。(ちなみに海外でこれ言うと、大抵携帯やSIMの話になるので楽しいですw)


お嬢さまを名乗ることはないけれど(絶対ばれるし)、どこかでお嬢さまと出会ったときに、素直に語り合える自分でいたい。どんなことがあっても、心をニュートラルに保っておこう。そんなふうに思う、このごろなのでした。



…ちなみに、検索してみたら、その会社自社ビル建ててめっちゃデカくなってましたw 社長も健在。何よりです。


お嬢さまは、もう自分がお嬢さまではなくて、小さなお嬢さまをお育てになっているのかしら。


わたしはクズなりに、これからも生きていこうと思います。人生は、さまざまなことが交差してなりたっているのだから。


それじゃあ、また。