接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

早すぎたケバブ

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こんにちは、かんどーです。


ケバブってご存知でしょうか? …たぶんみんな知っていますよね。東京だと秋葉原とか上野にケバブ屋さんがありますし、地方都市にもちょっとした場所にケバブ屋さんはあります。フィンランドにもありました。(フィンランドでは食べなかったけど)

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今日は、わたしの父と、ケバブの思い出を書きます。


わたしの父は料理人です。スポーツ万能で頭も良かった(本人の弁)父ですが、料理で食べていくことを志し、ほんとうに包丁一本でずっと働き続けてきました。


わたしが幼いころ、自宅で、当時はまだ珍しい「スモークサーモン」を薄切りにしていた姿を覚えています。うすーく切られて、「良い香りのするおさしみ」のようなサーモンがわたしは大好きでした。スモークサーモンは今でもわたしの好物です。

また、父はわたしに「中がやわらかいオムレツ」の作り方を教えてくれました。わたしも料理で食べていけるように、と、それはそれは丁寧に、半熟の絶妙なオムレツを教えてくれたのです。

しかし、年の離れた弟が生まれ、その弟がフライパンを握れる年になると、

「女には教えても仕方ない」

と、弟にだけ料理を教えるようになりました。わたしは憤慨し(実力でなく性別で判断されたことに)、一生料理なんて作るかばかやろうと思ったり、弟よりうまく料理を作って見返してやると思ったり、とにかくその憎しみを昇華させようと必死でした。

わたしはその後喫茶店のキッチンや、ケーキ屋で働きましたが、料理についてはかなりできる方でした。レシピを見て、どういうものが完成するかを事前に想像し、手順を脳内で考えるのです。それをきっちりマスターしたうえで、自分らしい味を作っていく。わたしは若いころからスパイスの味が好きで、何もなければ胡椒でも良いので、香りの出るもので一味足す癖があります。たくさん調理スタッフがいる中で、わたしのまかないが一番おいしいと言われたこともあります。(その逆もありますが…;)


ちょっと脱線してしまいましたが、わたしの父は少々男尊女卑の考えをもっていたところ以外は、優秀な料理人だったのだと思います。バブル期にフライパンを振っていたので、すごいワインの飲み方をするお客さんもたくさん見てきたようです。


休みは週に1日。朝9時くらいに自宅を出て、帰ってくるのは23時過ぎ。もっと遅いこともしょっちゅうでした。そういう父の生活を見ていて、わたしの中で「仕事は週6日働くもの。一日14時間くらい働くもの」というのは刷り込まれています。もちろん今はそんなのダメってわかっていますが、からだにしみついた「仕事観」は簡単に抜けません。父はそんな生活を三十年以上続けていました。


そんな父ですが、あるレストランで働いていたとき、「地元のお祭りがあるから、レストランからも何か出店を出してほしい」と言われました。もう今から二十年以上前です。

父は、世界中の料理の本を読んでおり、当日の調理の簡単さや見栄えを意識して、「シシケバブ」の屋台を出しました。肉をその場でそぎ切り、薄いパン生地に野菜とともにぎっしりと包み、特製のタレで独特の味をつけたケバブを作ったそうです。当時はまだ、ケバブ屋台なんて無かった時代です。相当珍しかったと思います。

出店の時間が夜だったのと、わたしはまだ15歳にも満たなかったので、お祭りには行けませんでした。しかし、父が考案したメニューがどうだったのか、とても気になり、帰宅した父にまず聞きました。


「シシケバブ、どうだった?」

父は残念そうに答えました。

「あんまり売れなかった」


その時の会話はそれで終わりました。わたしもそのことはさっぱり忘れていました。しかし、10年ほど時が流れ、都内に「ケバブ」のお店があることを発見し、わたしは「あっ!」と声をあげました。


ケバブ…やっぱり日本人の口に合うんだ…父の考えたメニューは、やっぱり人の心をつかめるものだったんだ…! あれだけ本を読んで、世界中の料理のことを知っている父だもん、やっぱり父はすごいんだから!!



…ケバブのお店をみるたびに、わたしはそう思います。


男尊女卑の考え方は、もう仕方がないと思っています。そこに反抗するのも疲れましたし、何を言われてもわたしは仕事を一生やめないし、一生子どもを産みません。親孝行はできません。でも、仕事人としての父を尊敬している。

もう、父にはわたしを息子だと思ってほしい。父の仕事に感銘を受け、自分の仕事に生かすことでしっかり、父の遺伝子はわたしの中で生きている。迷ったとき、「父ならどうするだろう」ととっさに思います。そうして、わたしは身体を張って自分の仕事を守ってきました。(父は困難から逃げない人でした。何時間かかっても仕事をやり抜くことに誇りを持ち、またその時間を楽しいものにするモチベーションの高さがありました) 


父は料理の腕一本で、子ども二人を大人にしました。


期待した成長はしなかったかもしれない。父の期待通りならば、弟は弁護士とかになって、わたしはおおらかなお母さんになっていなきゃいけなかった。でも、父にも見抜けなかったよね。仕事バカなのは、わたしのほうだった。

むしろ、わたしに仕事を期待して、弟に家庭を期待したほうがいい。これからはそうしてほしい。もう頭が固いから無理かな。


今、わたしが子どもを産んでいないことで、わたしは両親とぜんぜんうまくいっていません。会う理由がないからです。きっと、次に会うときは誰かが病気になったときか、親戚の誰かのお葬式になってしまうと思います。

こんなの、悲しすぎます。

わたしは、子どもを持たないけれど、両親とは和解し、楽しく笑いあいたい。でも、両親はわたしに子どもを期待している。だからわたしは、生理が上がってしまうまで両親に会わない覚悟を決めています。


ひどい娘です。やさしさがありません。


でも。


きっといつか笑いあえると信じています。会うとうまく言えないけれど、わたしの仕事好きは父の血です。わたしは仕事が評価されないことや、人間関係がうまくいかないことはよくあったけど、仕事は好きなんです。お客さんからの相対評価ではなく、仕事してる時間が、仕事が、好きなんです。

どんな仕事でもわたしは、仕事が好きって言えると思う。

仕事って、楽しくやろうとすれば絶対にできると思うから。


父の、早すぎたケバブは、父の職業人生が「ビジネス」ではなく「料理の技術者」であったことをあらわしています。このあたり、本当に似てるなー。



ちなみに父ですが、今は昔のようなハードな働き方はしていません。ちょっと体を壊してしまい、前の半分くらいしか働いていません。(それでも現在で言うところのフルタイムなのですがw しかも完全週休二日じゃないっぽいしw)


たまたまケバブを食べたら、父のことを思い出しちゃいました。
最近食べたケバブ。おいしかったよ。


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それじゃあ、また!


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