タイトルの通りです。
最近久しぶりにブログ記事にシビれました。これ。
いやー…これを出せるってすごい。特に好きなのは、女性がリンチされているときに、「小腹が減ったのでコンビニに行こうと思った。その途中でボスに電話でやめるよう言った」というくだり。この臨場感なんだ…ゾクッとした。
きよねこさんは確かにそのリンチの現場であるドミトリーで、リンチの仲裁に入る。でもそれはそんな大事ではなくて彼の日常で。だからその足で小腹が減ったからとコンビニに行った。たぶんインスタントフード買ってきて食べたと思う。二つ折りのプラスチックでできた携帯電話を片手に持って、コンビニに向かって歩くきよねこさんの姿がくっきりと見えた。
未読の人は読んでほしい。久しぶりに魂を打つ記事を見た。
きよねこさんのブログを読んだら、自分も書きたくなった。
もっともっと深淵を覗くような、読んだ人が深淵をのぞきたくなるような記事が書きたい。正しくなくていいし清らかでなくていい。アドセンスなんて永久追放くらってかまわない。そんなものよりつかみ取りたい果実が、今、はしごたんの手元からきよねこさんの手元に転がっていくのを見た。
これから、はしごたんときよねこさんは禁断の果実をキャッチボールするように投げ合うのだろうか。その輪にわたしは永遠に入れない気がした。ものすごく口の中が苦くなった。
最近、縁あって小劇場の舞台を2夜連続で観た。ひとりで行った。脚本書いてるのはわたしより10歳は若いひとだった。演じているのはわたしより20歳近く若い人をふくめた劇団員たちだった。
正直言って、劇団員っていろいろこじらせてると思う。感情の細かなところを演劇で表現しようとするって、そもそもクサいし、ツイッターでマジなツイートとかしてるの、マジ恥ずかしい。でもなぜかチラチラとそちらを見てしまう。大っ嫌いで、大好きな世界があった。
深淵だとか、闇だとか、死にたいとか、そんなものを語るとき、年齢はまったく意味を持たないと思った。40近くなっても10代の傷は癒えてないし、それを思い出せば青臭い恋愛をするいいわけができるし、死にたくなる気持ちを10代の頃の傷と一緒に述べることでいくらかすっきりしたりできる。
劇団の演劇が好きだったり、本気で泣いたり笑ったりするアイドルが好きだったり、誰かの暗い闇に触れて頬がゆるむのは、その世界が好きだからだ。
明るく正しく、立派な人よりもそういう人たちが好きだからだ。
まっくらな闇の中で泣き叫ぶ自分が大好きだ。泣き叫ぶ理由がほしい。このところ泣き叫んでみてもそのセリフじみた言葉にしらける。泣き叫ぶことがめんどくさい。
きよねこさんには心から感謝している。やっとブログを書きたいと思えた。アカウント消さないでおいてよかったよ。ブログ書きたいって思ったときにアカウントないと、すぐ書けないじゃん。
今年は、きよにメリークリスマスだな。
きよ、シコれ夜。
写真はパステルのプリンケーキ。マグカップは闇を抱えたある女ブロガーにもらった。彼女もきっと、そのうち闇をあらわす。共鳴する。わたしがもし禁断の果実を手にすることがあれば、つぎはあなたにパスするよ。