こんにちは。書いても書いても文章力の上がらない、かんどーです。
文章力って、何?
それは何であらわされるの? PVだとかそういうものではかるの? そんなに相対的で良いもの? じゃあ何、劇団四季は「演技力が高く」て、小劇場でひっそりやってる劇団の芝居は「演技力が低い」の? 違うよね。小劇場で定期公演やってる劇団で、ものすごい熱量を放っている劇団ってあるよね。
その劇団は、小さな劇場を大きな熱情で埋め尽くすことを選んでいる。もちろんブレイクして大きな劇場でやることもあるかもしれない。でも、劇場の大きさ(観客の人数)は感動と比例してないなって思ったよ。
じゃあ文章力って何なんだろうね。
結局のところ、「ある個人に刺さるか、刺さらないか」じゃないのかしら。
たとえば少年漫画なら、「小学校高学年~高校生」の平均的感性、興味の対象にドハマりしていれば、売れるよね。少なくとも連載は続いて、単行本が出続ける。大人たちも読む。
個人、集合体にとって「刺さるかどうか」。それが「面白さ」をはかるなんとなくの基準なんじゃないかな。
そうなると、わたしが「面白いものを書く」ためには、今の時代に迎合した文章を書くことになる。
「今」を「いま」と書いて読みやすくして。
社会問題に適切な位置から石や意見を投げて。
周りの人たちを「個人」でなく「集団」ととらえてそこに向けた記事書いて。
嫌です。
「いま」はマジでおかしいと思っているから絶対書きたくないし、社会問題に対して適切なポジション取りをして文章書けば自分に石が飛んでこないのは知ってるけど、そんな書き方したくないし、周りの人はある程度属性があるけど、十把一絡げにして「この人たちに向けて書きました」なんてマーケティング理論に沿った記事なんざ書きたくねえ。
なんのための個人ブログだ。アホか。そんなにアクセスが欲しくて同意だけしてほしいんなら別の場所で書くわ。
今まで通り、日蔭もんで構わないです。日の光なんて当たったってまぶしいだけだ。老眼になりかかっていて、太陽がまぶしくて仕方ないんだよ。だから光はいらない。薄暗がりの中で、手元だけぼんやり明るくなっていればそれでいい。本が読めてキーボードの配列が見えればそれでいいんだよ。
文章力を上げたくていろいろ頑張ってみたけど、もういいわ。好きに書いて、書き散らかして、その結果ある程度気持ちの良い人生だったと死んでゆければそれでいいわ。
誰かを動かそうとか思ってないし、誰かに前向きになってほしいとも微塵も思ってない。誰かの役に立ちたいとも最近思わない。ただ、こっちの方角向いて鐘をならしたら誰かに響くのかしら? という小さな疑問だけが常に頭をもたげてる。
響け! じゃなくて「響くものかしら?」という好奇心だね。
こんなやつですが、生暖かく見守っていただけたら幸いです。明日は冷凍ラーメンの記事を書いてみようと思います。
それじゃあ、また。
★今日の過去記事★
プチ炎上しました。悪気はなかったです…
覆面調査員の仕事したことがある人って結構多いよね。
はてなブログが大好きです。