接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

他人に期待するな、他人に判断を任せるな、身内も他人だと思え

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こんにちは、冷酷非道なかんどーです。


今日は、他人に求めることはさっさとやめてしまいましょうという話です。


洋服にしても、友達に「これ似合う?」と聞いて、友達が頷いたら買うんですか? おかしくないですか? 何十年も自分という人を見てきている自分で見て選んだ方が最終的に満足しませんか?




ただ、洋服やら今日の飯やらは、まあどうでもいいですよね。他人に選ばせても別にいいですよね。自分で選んだ方が自分に合うだろうけど、別に一日くらい誰か他人が選んだものを着たり食べたりしても大きな影響はない。



しかし、大事なことを決めるとき、他人に相談する人。

わたしはこれがどうにも理解できません。



どうしようもなく悩んでいるとき、誰かに相談して解決したことありますか? わたしはありません。一般論を突き付けられるだけだったり、絶対聞き入れたくないアドバイスを延々と聞かされるだけです。結果としてその人との関係が悪くなるだけです。


わたしは身をよじるほど悩んだことが何度かありますが、結局自分の中で納得する答えを見つけるまで、悩み続けました。友達がいなかったので一人で悩むしかなかったのですが……

でも、その悩み続けた時間こそが今の自分を作っているし、その過程は本に書いてあることそのもので、おかげで自己啓発本いらずの自分になっています。

 


ほとんどのことは、自分で決めたら後悔しないという当たり前の真理です。


本当に悩んでいるときは、人の意見は聞かない方が良いです。かえって後悔しますよ。


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そういう意味でも、ネットに何でも書き散らかす人って、一体何がしたいのだろうと思います。


経過報告、結果報告で承認欲求を満たしたいのは理解できます。それは確かに気持ちがよさそう。でも「どうしたらいいですか?」「自分は間違っていますか?」はアホかと思う。自分で考えなよと思う。


考える機会って、実は今ものすごく減っているんです。なんでも検索できちゃうでしょ? わたしが今わざわざ着付けやったり安宿旅行してるのって、「自分で考えて行動する」機会がほしくてやってるんです。だからパックツアーじゃだめだし、人に着つけてもらって着る着物に価値は無いんです。(式典で着る、など着る方に意味があることは理解しています)


間違えながらも自分でアンティークの着物を選び、サイズを間違えていたらなんとかそれを着られる方法を考えてやってみて、少しくらいなら針と糸を使ってなんとか直して、組み合わせでうまく見せて着る。そのプロセスが楽しいんです。


旅もパックツアーで何も考えず現地の言葉を一つも覚えないような旅はつまらないんです。現地の人に、現地の言葉で話しかけて初めて感じる空気が欲しいんです。





ちょっと話をそらしましたけど、わたしは自分の家族ですら信用していません。親が決めた将来を歩んでいたら、今頃「好きでもない人と見合いして結婚して子ども作っていた」と思います。そんな未来は不要でしたし、自分の人生を自分で切り拓きたかった。

 

たとえ力尽きて何も出来なかったとしても、親の描く人生をただ歩むくらいなら死んだ方がマシ。その考えは今も変わりません。「産んでくれてありがとう」とは別問題の感情です。

 


わたしは会社作って一人旅している今の人生が大好きです。もし親の決めた人生を歩んでいたら、今のわたしみたいな人をうらやんで、ちくしょうちくしょう!! と恨み節を毎晩紡いでいたと思います。子どもを産んでいたとしても、子どもに同じ苦痛を味あわせてやろうと縛り付けていたかもしれない。そんな負の連鎖いらない。

 



わたしの親は、わたしが起業して、会社が一番きついときにお金を貸してくれませんでした。きっと親なりの考えがあったのだと思いますが、貸してもらえなかったことがショックだったし、借りようとしていた自分に対する自責の念もかなり大きかった。もう絶対に身内にお金を借りるのはやめようと誓いました。この誓いは破られていません。

 


でも、親はわたしを親戚の集まりに呼んでくれるようになりました。水商売をしていた頃は、親戚の集まりに呼ばれず、仕方なしに顔を出した際も「OLをしています」と九官鳥のように鳴くことが求められました。ただでさえ頭が悪いのに、九官鳥しているわたしは「頭が弱い」と思われていたことでしょう。

 

 

起業して、夫と会ってからは親戚の前で「自分の言葉で話す」ことが当たり前に許されました。夫がわたしに「自信をもって、あなたの意見を言いなさい」と言い続けてくれたのです。親と会うときも、親戚と会うときも、夫は一緒に来てくれました。一生涯会わなかったかもしれないくらい不仲だったわたしたち親子をつないでくれたのは、夫でした。


 

いざ集まりに参加してみると、親戚たちの話す内容は、難しいこともあるけれど、ある分野においては充分に話に参加することができる種類のものでした。

 

自分の人生を、自分で生き始めた31歳で、わたしの人生は始まったのだと思います。起業し、夫と出会った31歳が、わたしの生まれ年です。

 

誕生日より会社の創業日が大事です。今生きられているのは、夫と会社があるからです。

 

 

人の意見など聞かず、孤独に戦い続けて本当に良かったです。これからも、大事なことはすべて自分で考えて決めようと思います。この考え方になってから、瞬間的にイライラすることはあるけれど、何かに腹が立ったリ、人を恨むことがなくなりました。今のわたし、優しいですよ。忘れっぽいけどw



それじゃあ、また明日!

 


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