誰にも教えたくない宿がある。
海外でもいくつかあって、日本でもいくつかある。わたしが日本でどこかに泊まるのは、たいてい出張なんだけど、どうしようもないときに泊まる「駆け込みホテル」のような場所もある。
そこは仕事で行っている場所と自宅の中間くらいにある場所で、まあそんなに治安の良くない場所だ。とは言え日本なので夜の一人歩きくらいは余裕である。歩いている人がちょっと怖かったり、通り過ぎる車のエンジン音がたまに怖いくらいのものだ。あと、ドンキホーテが近くにある。
そこはふつうのビジネスホテルより2千円くらい、安い。
ビジネスホテルに泊まろうとすると、関東なら6千円くらいする。でもそこはその常識をしずかに破っている。当然そこを知っている人は常連となるので、地味に競争率が高い。
フロントの写真を載せるとどこかわかってしまうので、部屋の写真だけ。
ふつうのビジネスホテルよりちょっと狭いと思う。そしてアパホテルみたいにベッドが大きくない。つまり、寝心地は普通で部屋が狭いのである。この狭さは意外に探しても見つからない。
あのホテルには、ロビーがある。朝だけコーヒーが飲める。「ギュン…コポポポポ…」という特徴的な音を立てて落ちてくるコーヒーを紙コップで受け止める。
わたしはあそこのコーヒーが大好きだ。
仕事で疲れて誰とも話したくない時に、あるいは翌日の朝早くどこかへ行かなければならない時に、わたしはあそこへ泊まる。夜に労働者の寝静まった静かな廊下を歩いていると「ひとりじゃない」と思える。鍵をかければ一人だけれど、薄い壁を隔てて同じように疲れた人が眠っている。その事実がわたしを少し優しくする。
3月にあそこへ二泊したことがあった。小説を書き上げたくて、自宅が落ち着かなくて仕事終わりであそこへ行って夜中まで書いた。翌日は朝から一日部屋やカフェで書いて、夜もロビーで書いていた。Wi-Fiが遅いのでインターネットする気にならないのも良かった。
あのホテルは、夜はコーヒーマシンに布をかけてある。夜はコーヒーを飲めない。朝だけのサービスだ。
しかしずっと小説を書いていたその夜、いつものフロントのおじさん(不愛想だけどたまにすごく笑う)がロビーに来て、
「飲みたかったら自分で淹れて」
と言ってコーヒーマシンにスイッチを入れて、飲める状態にしていった。「ギュン…コポポポポ」という音をたてておじさんは自分のコーヒーを紙コップに入れてフロントに戻っていった。おじさんがいなくなった後、わたしは同じ音を立ててコーヒーを淹れて飲んだ。夜に飲んだそのコーヒーは今でも忘れられないくらい美味しかった。
おじさんは、何度か泊まってもとくに愛想は良くならなかった。初めて来たときのような対応を繰り返すおじさんだった。
ある時、やっぱり疲れてて一泊したとき、チェックアウトの際に言われた。
「寂しくなるねえ」
なんだよw いきなりそういうこと言うなよ、びっくりするだろ。親しみを持ってくれているのなら普段から親しみのある顔しててよ。もう、びっくりするでしょ……。
あのホテルにはきっと今日も外国人バックパッカーや近隣の労働者、理由があったりなかったりする男女が泊まっているのだろう。不愛想でたまによく笑うあのおじさんは今日もフロントに立っているのだろうか。
わたしはどんな高級ホテルより、あのホテルを愛している。つらいとき、やらなきゃならないことがあるとき、集中して物を考えたいとき、わたしはあそこに泊まろうと決めている。あのロビーは不思議なことにいつも人がいないのだ。フロントからも見えない位置にあって、本当に一人になれる。わたしはおよそ10席ほどのロビーを独占して、なかなか取り掛かれなかった小説にかかったり、大事なメールを書いたりする。
この自由こそが、わたしの愛している世界なのかもしれない。
小さな部屋で体を丸めて眠る時間が好きだ。冬になるとふとんの下に毛布が一枚敷かれてとてもあたたかい。夏は薄手の布団一枚で、小さな部屋に冷房をいきわたらせて眠る。幸せだ。足りないものは何もない。幸せに必要なものをぜんぶ持って眠ることができる。
外食するのが面倒なときは、買って来たものをロビーで食べている。部屋で食べるよりおいしい。わたしはあのロビーが好きであそこに泊まっているのかもしれない。
海外へ行ったりして、最近なかなか行けていない、あの愛すべきホテル。
ふいにあの小さな部屋が恋しくなった。
そういう場所ができたなんて、わたしも少し大人になったのかな……大人も、悪くないな。そんなふうに思う、夏の夜なのでした。
よい夜を。