選ぼうと思う。
大いなる孤独の海を。少し前まで、わたしの隣には常に孤独がいた。それがいると毎日がひどく不安で、立場国籍関係なく襲われるであろう不安がねっとりと絡みついてくるようだった。わたしはその状態を畏怖したし、もうそんな気持ちにならないようにといろんな場所へ逃げ込んだ。
いつしか、逃げ込める場所がずいぶん増えてしまった。わたしは不安があると軽くどこかへ逃げこんで、その孤独から身を隠すようになった。やがて孤独はわたしを見失い、ほかの人のところへ行った。
もう、自分からアイツ……孤独を呼び戻さない限り、わたしは孤独にならない。さあ幸せな人生への船出だ。
……しかし、ちっとも幸せになれなかった。いろんな部分が満たされて、魂も満ち満ちているのに、肌も以前よりずっと潤っているのに。わたしは幸せになれなかった。
わたしは、孤独の海に身を浸していないとダメなのだと思う。そうしないと今回の人生、孤独と向き合うことなく隠れているだけで終わってしまう。
孤独は、実は神様のような存在なのかもしれない。正直、近くに孤独がいるときは疎ましくて仕方がなかった。早くどこかへ行ってくれ。別の人のところへ行ってくれ。わたしはもう仲間外れにされたくない。さびしい思いもしたくない。悲しい思いなんてまっぴらだ。誰かにわたしの話を聞いてもらえる環境がほしい。そう思っていた。
だけど、実際は孤独がそばにいるときほど、わたしはわたしの力を発揮していたと思う。孤独に耐えて一人きりで飛び込み営業をし続けたとき。孤独に耐えて一人きりで部屋で文章を書き続けた夜、孤独に耐えて自慰をして自分で自分の卑しい人間性と向き合ったとき……。
どの瞬間にも、わたしの脳にあたらしい言葉が降りてきていた。それを書く場所があった。書くことによって孤独はにやあと薄汚く笑った。孤独と過ごす時間は、一人でいることを目の前に突き付けられているようで、卵かけご飯を作ってかきこむ一瞬の時間は躍動していて、ただそこに自分の「生」そして「性」のあることを思い知らされた。
わたしはまた、孤独の海へ自分を放り出してしまおうと思う。
長い旅になるかもしれない。帰る場所がなくなるかもしれない。ただ、生きていくために必要なチケットはある程度おさえてある。あとはわたしががまんすればいいだけだ。
孤独の海の中で、わたしは音と遊んだり言葉遊びをしようと思う。これでよかったんだ。もともと一人だったのだから。
ブログは更新します。また明日。