今、実は猛烈に参っている。
空き時間には神社ばかり行っている。神頼みでもしていないと生きていかれない。
本音を言うなら2年くらいゆっくり休みたい。誰とも連絡も取らず、田舎の小さな家で動物を飼って、たまに近所の人と立ち話して、本当に必要なものだけを買いに行くような生活がしたい。
隣の家とは適度に離れていて、夜中でもギターが弾けたらいい。2年くらいそんな生活をしたら、ギターも歌もうまくなるし、動物とも心を通わせられると思う。
わたしはもう少し頑張れると思っていたけれど、そうでもなかったのかもしれない。
ただの人だ。
仕事に疲れたら動けなくなるし、二つのことを同時にできないし、新しいチャレンジの前には必ず欝っぽくなる。
問題が山積みだ。
ただ、わたしがわたしを許し、自分を好きでいられる理由は、わたしには嫌いな人がいないことだ。
誰かの発言に厳しい意見を言うことがあっても、その人のことが嫌いな気持ちはまったくない。(ある人の発言が連続して嫌いなことはある。ポジションの取り方や、人を下に見る人はとくに)
罪を憎んで人を憎まず、を地でいけるのだ。
嫌いなものがあるとしたら、世の中の仕組みとか、そういうもの。年功序列、夫婦同姓、新卒採用、学歴偏重、保育園不足、介護労働の賃金問題、接客業は誰にでもできる仕事だと思いこむ人たち。
こういうものは嫌いである。
しかし、わたしには本当に、嫌いな人がいないのだ。わたしは来世もきっと人間に生まれ変われると思う。来世は医者になって、国境なき医師団に入り、難民や、不治の病に苦しむ患者さんを助けたい。
来世のことを考えると気持ちが軽くなる。
もしかしたら、少し死にたいのかもしれない。恵まれているくせにと罵る人もいるだろう。しかし、人が死にたいと思うことは、誰にも止めることはできない。わたしは、神に会い世の中の理不尽を問いたいのだ。
神などいないという人は、そのまま生きればいい。わたしは神もいないなら、この世の中とっくに見放している。わたしが今生きているのは、わずかな信仰心で神を信じているからだ。
手持ちの薬が切れたら欝っぽくなってしまった。イライラする時間も増えた。やはりわたしは病気なのだろうな。
治らなくていいけれど、人に迷惑をかけぬよう消えてしまいたいな。
そんなふうに思うこと、ない?
そんな中でも、おととい短編小説を書くことが出来て嬉しかった。創作意欲が尽きかけている今、あれが書けたことはひとつの自信になった。
創作意欲尽きる、と書いたが、できるならもう少しだけ創作意欲が続いてほしい。
小説と、歌が、つくりたい。