接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

人の器

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今日はすごく身近なことを書きます。

 

わたしの父が、昨年11月に倒れました。父は元々心臓に疾患があり、人工弁を入れていました。その弁の周りにばい菌がついて、心臓がどうしようもない状態になっているということでした。脳梗塞も併発しており、止血剤を使ってもサラサラと血液が流出してしまう状態。成功率は20%と言われた手術を、10時間にわたって父は受けました。

 

 

わたしはこの日、起業して初めて仕事を早退しました。

 

福島の病院へ駆けつけ、長い長い手術時間を母と過ごし、そして父は生還しました。お医者さんも「貫洞さん(父)の生命力には驚かされました」と言っていました。

 

術後すぐは、父は記憶障害があり、覚えていないことも多いようでした。リハビリが始まっても「今日は何日?」とか簡単なことを聞かれているのが、バカにされているようで嫌だったと話していました。(もちろん、それが答えられない状態だからそういう質問をしていたのですけれど)

 

そして、とうとう退院。心臓の大手術を終え、脳梗塞を患う父は、家に帰っていました。わたしは年明けに、夫を伴い、お見舞いに行きました。

 

正直に言って、父は痩せ細っていました。

 

父はフランス料理のコックでした。もともとは、165センチ70キロくらいあったと思います。老後は激務が無いのと、犬の散歩などで自然に65キロくらいになっていました。

 

その父が、55キロまで痩せてしまっていたのです。服の上からでもわかる細い太もも、とがったあご。そして、3歩歩けば取れる湯飲みのお茶を取るのに、四つん這いで部屋の中を移動していました。

 

わたしは涙があふれそうになるのを必死でこらえていました。こんな父の姿をみることになるなんて、思わなかったからです。

 

男尊女卑ではあったけれど(根に持ってるw)、料理人の仕事にかけてはプロ意識の塊だった父。「料理の鉄人」ブームの時には何度も地域新聞に載っていた父。外で食べたものなら、なんでも再現してつくることができた、父。

 

 

もうあの強い父はいなくなったんだと思った。わたしは、この細くて弱い父と、どうやって付き合ったら良いのか全然わからなかった。

 

沈黙を破ったのは、夫だった。

 

「おとうさん。僕たちと一緒に住みましょう」

 

「おとうさん、映画が好きでしょう? うち、ホームシアターがあるんです。一緒に映画を観ませんか?」

 

「おとうさん、僕も持病で通院してるんです。大学病院ですから、もし良ければ同じ病院に行きませんか。僕の車で一緒に行きましょう」

 

 

夫の決断はあざやかだった。

 

 

夫は、まだ2回ほどしか会ったことのないわたしの両親に対し、「余生の面倒を見る」と宣言したのだった。

 

あとになって、夫とふたりのときに聞いた。夫は確かに、うちの父とは映画好きが高じて、意気投合している。そこそこ気が合うのは確かにあるだろう。しかし、それはあくまで父が健康であった時の頃の話だ。

 

「お父さん、今は病人だよ!? 今日観た映画、明日忘れてるかもしれないし、思うように身体も動かないんだよ!?」

 

わたしは身内ながら、介護疲れでわたしが疲れることをまず恐れた。われながらひどい娘だと思う。この状態の父と、車の運転のできない母を置いてわたしは海外起業へ向かうのだ。

 

夫はそんなわたしの複雑な心境をよそに、大きく伸びをしながら優しい目をして言う。

 

「それでもいいよ。忘れてもいい。今日映画を観て、何か心に思うものが残ったのなら、それでいいじゃない」

 

「僕はあなたのおとうさんと、映画観ながら余生を過ごすの、楽しみですよ」

 

そう言いながら、毎日着々とわたしの両親のための部屋探しをしたり、介護ベッドの必要性などについて母と電話で話し合ってくれている。

 

娘のわたしがすべきことを、夫がすべて背負ってくれているのだ。

 

 

わたしは、去り行くものに冷たい。父に関しても、回復の見込みがないのなら、やれることは限られているよね…とかなりシビアに考えていた。父の楽しい余生、という視点にすぐにはいきつけなかった。

 

夫は、わたしの父を「おとうさん」と優しく呼び、これからもずっと優しく接してくれると思う。わたしが身勝手に海外に行っている間も。わたしが身勝手に仕事をしている時間も。わたしが遊びに行っているときでさえも。

 

 

わたしは一人で仕事から帰っているとき、いつも思う。

 

うちの夫は、なんて器が大きいのだろうと。

 

その手でどれだけのものを抱えるつもりなのだと。

 

 

月も星も優しく光を返してくれるだけで、具体的なことは何もしてくれない。でも、夫はわたしの家族にとっての光になってくれている。今、わたしと両親の3人にとって、夫は物事を進めてくれる要であり、優しく接してくれる最も信じられる人となっている。

 

夫はいったいどれだけ抱えて生きるつもりなのだろうか。

 

他にもたくさんの、抱えきれない案件が夫の手の中にある。でも、それは置いておいて、今はおとうさんと映画を観て楽しく過ごせる環境を作る、と頑張ってくれている。

 

 

わたしは夫と出会えてよかった。

親孝行、わたしにはできなかったけど、夫の行動は孝行そのものだ。

今、わたしの心には、夫の行動がきらきらと光っている。

 

 

わたしは、夫を愛している。

 

 

男がどうとかではなく、人間としてこれ以上ないくらい、尊敬しすぎてしまっているのである。

 

 

文章がまとまっていなかったら一度消して書き直すが、とりあえずこのまま更新する。