こんにちは。コメント欄は毎日大盛況ですが、ブログは淡々と更新していきます。今日は真面目な記事。
楽観的に生きると決めて変わったこと
わたしは、「ブログのさおりたんもいいけど、リアルで会うと、もっと好きになる」と言われます。冗談に聞こえるかもしれないですが、マジです。会った人はブコメに「同意」って書いていいよ。
実はわたし、5年前まではこれと真逆のことを言われていたんですよ。
さおりたんって会ってみるとつまらないね
わたしには、某メディアで記事を書いていた時期がありました。その流れで、講演会や登壇の機会も何度もいただきました。
わたしは複数メディアをかけもちして書いており、とにかく「書くことを仕事にしたい!」とイキっていました。なんていうか、書くのってカッコイイって思ってたんですね。
それで、接客業におけるノウハウ、営業ノウハウ、自己啓発的な記事を連投し、毎日毎日鼻息荒くイキってる人間でした。
当時、わたしのキャッチコピーは「2年で年商1億作り上げた女社長」でしたから、それに負けない記事を書かなければならなかったのです。実際、そういう記事を書いていました。例を挙げると、
「営業は第一印象が勝負だ」
「ダメだったらなぜダメだったのか理由を聞いてから帰れ」
「ダメだったときは落ちこむのでなくダメな理由を潰せ、翌日は気持ちを切り替えろ」
「二度目のアポイントは相手にメリットをしっかり持って行け」
「このルーティンを繰り返せ。そして一度目で相手にメリットを提示できる営業マンになれ」
こんなことを毎回書いていました。
まあ、実際にわたしがしてきたことですし、このやり方で営業としてたたき上げてきたのも事実。わたし、飛び込み営業を始めたばかりの頃、よく門前払いされていました。その時とっさに口から出たんですよ。
「あの、もう売り込みしないんで一つだけ教えてください! わたしってうさんくさいですか?」
そう聞くと、何人かの方が答えてくれました。
「スーツ着てる人のアポなし訪問は、基本断ることにしてるんだよ」
「以前も同じような営業が何度も来てるから、〇〇って言われたら断ってるんだよ」
「早口で会社名言ってくる人は信用ならないんだよ」
これは、この営業で成功するための答えでそのものでした。答えはいつも、お客さんが持っている。知らないと勝てない。知らないなら聞けばいい。このロジックに行き着いてからは、どんな商材も売れるようになりました。業界によって、勝ちパターンみたいなのがあるから、さっさとそれを見つけて、そういう人になればいいんです。
わたしはどんどんお客様に「門前払いした理由」を聞いて、営業スタイルを変えていきました。
まずスーツを着ない。作業着に変えました。そして、以前も同じような営業が来ていると言われたので、まったく違う切り口でドアを開けてもらうことに成功。そして、早口を封印。トークフローも毎日少しずつ変えていく。
「(作業着で)こん、にちはー! 〇〇、〇〇株式会社の、かんどー、と申します。今日は△△の件で、試作品をお持ちしましたので、総務課の方へ、お渡ししたいのですが」
超ゆっくり、こんな感じで話します。試作品というのは実はカタログなのですが、カタログって言うと受け取ってもらえないので、あえて「試作品を渡す」と言っていました。
わたしは福岡なまりが残っていたので、それもそのまま使っていました。とにかく、営業マンではなく、作業員が用事で来ていると思わせる。(このために、光ファイバー工事している会社の人と仲良くなっていろいろ教えてもらい、営業なのにメジャーも携帯して、電柱から建物内への引き込み見取り図まで書けるようになっていました。そこで信頼してもらってスタートです)
……これはある一時期、光ファイバーの営業がバブルだったころにわたしがやっていた手法です。お前最低だなと言われる飛び込み方かも知れませんが、入れてもらった以上、わたしは必ずクライアントにメリットを出しました。
実際、クライアントの通信費を毎月2万~7万くらい下げました。わたしも歩合をいただくけれど、クライアントにもきちんとメリットを出していましたので、クレームになることはありませんでした。
「調子よく入ってきやがってw この飛び込み営業の姉ちゃんめw」
とからかわれることはよくありましたけど、、、
この「断られ続けているときは、理由をお客様に直接聞く」という手法は、今でも使っています。プライドなど捨てて「なぜわたしから買ってくれなかったのですか? お願いします教えてください」と聞きます。もう一件行ったお店の店員がイケメンだった…とか、どうしようもない理由の時もありますが、たいてい、自分に欠けているのは何かを教えてもらえますよ。
長くなりましたが、わたしは仕事の話を真面目にしても、それなりに話すことは持っています。「ここから何かやってやる!」という力のみなぎっている状態の人であれば、それなりの状況まで引き上げることもできると思っている。それは何の仕事でもそうだし、営業、販売においては共通するものが多いです。
わたし自身も、仕事をするとなればあの頃の闘志そのままに、やり方だけ応用して、現代に、そして海外ではその国の流儀にのっとって営業していくつもりだし、断られた数だけ成功に近づけると心から思っているので、うまくいかない期間が多少あってもふんばれる。だから、わたしは自分がこれからする仕事は成功するだろうと信じることができる。
さて、話を講演会、登壇に戻します。
そういう「武勇伝」的なことを文章にして書いていると、まあ面白く読めるらしいんですけど、会って話してみると、たいしたことないというか、オーラがないというか、話が下手すぎたんですね、わたし。極度の緊張しいなので、聞き取れないくらい早口らしかったです。
ほとんどの講演会、登壇で二度目の声がかかることはありませんでした。書くこと自体は打ち切られなかったので、文章は悪くなかった…のかな。そう思いたい。
わたしは徐々に、そういう「文章でえらそうなこと書いてるくせに、会うとたいしたことないね」と言われることに疲れてきた。中には「時間の無駄だった」「期待していたのに」「書いてることだけご立派なだけじゃん」と言い捨てていく人もいた。わたしは接客で悩んでいた時期とも重なり、どんどん人嫌いになっていった。
本音を言うと、わたし、人前で話すの苦手でした。でも、社長なんだから人前に出ることに慣れなきゃ、って思って無理してたんです。
さおりたん、死にかけてやっと自分らしさを見つける
あるとき吹っ切れました。吹っ切れた理由は前にも書いたけど、現場に戻ったこと。わたしは社長業をえらそうにやるタイプじゃない、接客業という技術職をきっちりこなすタイプの人間なんだ! と気づけたんですね。その時の記事はこちら。
現場に出て、社長であることは、聞かれるまで言わない。仕事何やってんのと言われたら「ケータイ売ってる」と答えている。嘘ではない。実際にわたしは携帯を売っている。
上記の記事では、要約すると「わたしは現場に出るようになって、死にたい気持ちが消えました」と書いている。しかし、もう一歩自分の中に踏み込んでみると、わたしは考え方の一部を大きく変えているのである。
見栄を張らない。
社長だからと近づいてくる人とは親しく付き合わない。疲れるから。
人前に社長としては出ない。
人間対人間として、気持ちよく波長が合う人とだけ付き合う。
わたしの周りには、全然違う職業の人や、自由人ばかりになっていったw
楽観的なさおりたん
今、わたしはものすごく「楽観的」な性格にシフトしている。これは意識してそうしている。たとえば、ミスをしてしまったとき。人を傷つけたかもしれない発言をしてしまったとき。仕事でもプライベートでも起こりうる、「やっちまった」状況。
これを、自分のタイミングで「あのときごめんなさいっ!」と謝っちゃう。あるいは、発言して空気が悪くなった瞬間「ごめん、マズイこと言った…よね。ごめんなさい」と。
それまでは、相手は一度傷ついたら許してくれないものだと決めつけていたから、「やっちまった」らそのまま、その人との縁は切れたままであった。一生繋がることはないであろう状況のままにしていた。
しかし、最近のわたしは違う。自分が人を許せるようになったことで、人も自分を許してくれるかもしれない、と信じられるようになったのある。
「あの時はあんなこと言っちゃって傷つけちゃったかもしれない、でもごめんっ! 嫌じゃなかったらまた遊ぼ!」
「前回の接客では、説明の行き届かないところがあってすみませんでした。これから、〇〇様にもっとわかってもらえるように説明しますので、またわたしが担当してもいいですか?」
こんなことを、シリアスでなくさらりと言えるようになったのである。
シリアスに言うとなんだか暗い話だが、どちらのケースも「もう一回わたしと付き合ってください」と言っているのである。自分の気持ちに素直な楽天家だ。自分の気持ちをきちんと口に出しているから、ストレスがたまらず、いつも明るくなった。
わたしは若いころ、アルバイト先でよく「出戻り」する人を見てきた。みんな、それなりの修羅場っぽい辞め方をしていったくせに、テヘッという顔をして戻ってきていた。そういうことを平気でできるあの人たちをわたしは「図太い人」とひとくくりにして下に見ていた。
でも、違ったのかもしれない。
あの人たちも、楽観的な人たちで、素直になれた人で、「やっぱりあそこのみんなと、もっかい働きたいなー」を素直に体現できる人達だったのかもしれない。実際、出戻りの人たちは戻ってきてから、それはそれは楽しそうに働いていた。っていうか、生きることに対してわたしよりずっと自由そうに見えた。
わたしも、不義理をした人達にバッタリ会ったとしても「テヘッ」でいいのかもしれない。過去に縛られ過ぎていたのはわたしだけだったのかもしれない。そうだ。大丈夫だ。←w
何度も言うが、わたしはほしいもの、やりたいこと、自分の仕事は絶対に手放すつもりがない。楽しい時間も、誰にも邪魔をされたくない。
楽観的に生きるということは、自分の一度のミスに対してくよくよしないということであり、けして「テキトー」に生きているわけではない。ただ、人生のあらゆる局面で楽観的に物事を考えることは今後必要になってくると思う。悲観的に考えている人は、最後まで動かないからだ。
わたしは楽観的な自分を愛している。これからもこの自分を守りながら、へらへらと笑いながら、好きだと思ったものは絶対に自分から手を離さない。一度離しても再度強く強く握りしめに行く。そうして、人生の宝物を、両手いっぱいに抱えて死んでやると決めているのである。
それじゃあ、また明日!