いろいろあって、両親とご近所さんになった。
つーか同じマンションだ()
昨日も駅まで向かう道の途中で母にバッタリ会った。これからスーパー行くのよ、と言っていた。な、なるほどですね、としか言えなかった。
わたしは昨日の記事でも母のことを書いてしまっている。っていうか過去の恨み節を書く時につい、家庭環境や親の教育を引き合いに出してしまう癖がある。
実は母が悪いわけでは無いとここで弁解しておく。
母は女学生の頃、頭も良く、何よりピアノがすごく上手だった。母の弾くショパンのノクターンがわたしは大好きだった。「月光」の第三楽章を弾いていたのもよく覚えている。(母の「月光」は「激昂」がふくまれていて、ショパンを弾いているときよりこっちの方が好きだった。やだ、わたし母と通じ合ってんじゃん)
母はピアノの調律師になりたかったそうだ。しかし当時は女性はなれない職業だったそうだ。母は調律師ではなく「ピアノを活かせる」という理由で幼稚園教諭になった。もちろんピアノは他の教諭より群を抜いてうまかったらしく、幼稚園のイベントの時などに母がピアノを弾くと、感極まって泣いてしまう教諭や保護者もいたらしい。(母の友人談)
しかし幼稚園の仕事は激務であったという話を聞いた。子どもは好きだったようだが、話を聞く限り、「子どもに関わる仕事がしたい!」という熱意よりは「せっかく就いた仕事だからプロとしてやりきる」という気持ちでやっていたように思える。本当にやりたかったのは調律師だったのだろうと思う。
母には絶対音感があった(と思う)。
わたしは相対音感がある。一度聴いた曲を覚えて楽器で再現できる。でも、何もないところでいきなり「Eでこの曲歌って」と言われてもちょっと厳しい。一度Eを鳴らしてもらえればできる。
話がそれてしまった。
母が同じマンションに引っ越してきた。わたしはこれからセブに行くというのに、なんというタイミングだ……
しかし同じ町で、同じマンションで、エレベーターで、母にばったり会う日が来るとは思わなかった。われながら驚きだ。
そして
母はわたしのブログをすべて読んでいるっぽいのだorz
直接は何も言ってこないのだけれど、わたしがどこへ行ったとか、何するとか、全部知っているのである。。
あんなこともこんなことも知られているのである。。
こうして書いている今も、母が物陰からここを見ているのを確かに感じる。これは確信である。(母は大の猫好きである)
わたしは、母が大好きです。
離れて暮らすことにはなってしまうけれど、家族を大事にしようと思います。
……これからブログを始めようと思っている方は、実名でやるといろいろやりにくいこともある、ということをお伝えしておきます。
「親バレしたからブログの内容が地味になるのでは…」と思われるかもしれませんが、わたしはこのブログでは嘘やごまかしを一切入れません。そんなもの入れるくらいなら書きません。ただし比喩や隠喩を用い、伝えたいことを遠回しに伝えていることはあります。
「えっ、これわたし!?」
「これ、俺!?」
という感覚になったら、それはあなたのことを書いているのかもしれません。
昨日の斉藤和義の記事は最もわかりやすい比喩ですね。わたしのブログは今、二重構造です。(斉藤和義が当て馬なわけじゃないです。斉藤和義にまつわるエピソードは絶対に書きたいもので、そのままテキスト通りの意味のことも「伝えたいこと」です)
ただ、そこにプラスして「誰かキャッチしてくれこの心の叫びを」みたいなものを内側のチャックの中に入れ込んでいる。こんなことしてるのわたしだけか!? いや、そんなことない(はず)。
それじゃあ、また明日!