接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【 恐】母がわたしのブログを読んでいる件【 焦】

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いろいろあって、両親とご近所さんになった。

 

 

つーか同じマンションだ()

 

 

昨日も駅まで向かう道の途中で母にバッタリ会った。これからスーパー行くのよ、と言っていた。な、なるほどですね、としか言えなかった。

 

 わたしは昨日の記事でも母のことを書いてしまっている。っていうか過去の恨み節を書く時につい、家庭環境や親の教育を引き合いに出してしまう癖がある。

 

 

実は母が悪いわけでは無いとここで弁解しておく。

 

母は女学生の頃、頭も良く、何よりピアノがすごく上手だった。母の弾くショパンのノクターンがわたしは大好きだった。「月光」の第三楽章を弾いていたのもよく覚えている。(母の「月光」は「激昂」がふくまれていて、ショパンを弾いているときよりこっちの方が好きだった。やだ、わたし母と通じ合ってんじゃん)

 

 

母はピアノの調律師になりたかったそうだ。しかし当時は女性はなれない職業だったそうだ。母は調律師ではなく「ピアノを活かせる」という理由で幼稚園教諭になった。もちろんピアノは他の教諭より群を抜いてうまかったらしく、幼稚園のイベントの時などに母がピアノを弾くと、感極まって泣いてしまう教諭や保護者もいたらしい。(母の友人談)

 

しかし幼稚園の仕事は激務であったという話を聞いた。子どもは好きだったようだが、話を聞く限り、「子どもに関わる仕事がしたい!」という熱意よりは「せっかく就いた仕事だからプロとしてやりきる」という気持ちでやっていたように思える。本当にやりたかったのは調律師だったのだろうと思う。

 

母には絶対音感があった(と思う)。

 

わたしは相対音感がある。一度聴いた曲を覚えて楽器で再現できる。でも、何もないところでいきなり「Eでこの曲歌って」と言われてもちょっと厳しい。一度Eを鳴らしてもらえればできる。

 

 

話がそれてしまった。

 

母が同じマンションに引っ越してきた。わたしはこれからセブに行くというのに、なんというタイミングだ……

 

しかし同じ町で、同じマンションで、エレベーターで、母にばったり会う日が来るとは思わなかった。われながら驚きだ。

 

 

そして

 

 

母はわたしのブログをすべて読んでいるっぽいのだorz

 

 

直接は何も言ってこないのだけれど、わたしがどこへ行ったとか、何するとか、全部知っているのである。。

 

あんなこともこんなことも知られているのである。。

 

こうして書いている今も、母が物陰からここを見ているのを確かに感じる。これは確信である。(母は大の猫好きである)

 

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わたしは、母が大好きです。

 

離れて暮らすことにはなってしまうけれど、家族を大事にしようと思います。

 

 

……これからブログを始めようと思っている方は、実名でやるといろいろやりにくいこともある、ということをお伝えしておきます。

 

 

「親バレしたからブログの内容が地味になるのでは…」と思われるかもしれませんが、わたしはこのブログでは嘘やごまかしを一切入れません。そんなもの入れるくらいなら書きません。ただし比喩や隠喩を用い、伝えたいことを遠回しに伝えていることはあります。

 

「えっ、これわたし!?」
「これ、俺!?」

 

という感覚になったら、それはあなたのことを書いているのかもしれません。

 

昨日の斉藤和義の記事は最もわかりやすい比喩ですね。わたしのブログは今、二重構造です。(斉藤和義が当て馬なわけじゃないです。斉藤和義にまつわるエピソードは絶対に書きたいもので、そのままテキスト通りの意味のことも「伝えたいこと」です)

 

ただ、そこにプラスして「誰かキャッチしてくれこの心の叫びを」みたいなものを内側のチャックの中に入れ込んでいる。こんなことしてるのわたしだけか!? いや、そんなことない(はず)。

 

 

それじゃあ、また明日!