接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

カシスオレンジと牛角とゲロ男

スポンサードリンク

 

 

 

「牛角」をご存じだろうか。

 

今となっては牛角って「安く焼き肉が食べられる」というイメージですが、今から約20年前、牛角って全然違うイメージだったんですよ。

 

 

「焼肉をジャズの流れるお洒落な店内で!」

 

そう、こういう触れ込みで一気に展開したチェーンだったのです。その勢いたるや……

 

当時わたしは21歳でした。(ってことは今から18年前か)わたしが住んでいたのは千葉にあるちょっと栄えた街。ジモト感もありつつ、茨城あたりから買い物に来る人も多いちょっと気の利いた街。「プチ渋谷」なんて言われてたなー。サッカーチームができたり、とにかく元気な街だった。

 

その街にもとうとう、牛角がやってきました。

 

できたばかりの牛角は、いつ行っても行列だそうで。Yパン工場で働いていたわたしは、そこで知り合った背の高いパチスロが大好きな男と付き合っていました。

 

男は「オシャレな場所、イイじゃん!」「新しいもの、イイじゃん!」という感じで、とにかく軽かったです。流行の風に乗っていればどこまでも舞い上がっていけるタイプの男でした。そして巨根でした。

 

この話、昔ブログに書いた気がしましたが、やっぱり書いてましたw

www.kandosaori.com

 

 

ブログ運営も3年を過ぎると、大抵の過去は書いてしまっています。でもいいんだよ、何度書いたって。自分のブログなんだから。

 

 

さて、キョコンの話です。

 

キョコンとはYパン工場のライン作業で知り合ったわけですが、あの仕事ってポジションによっては、勤務中に結構おしゃべりできるんですよ。向き合って生地を鉄板に乗せていく作業だったりすると特に。手は動かしっぱなしになりますが。

 

キョコンはわたしたちの街に牛角ができたことを「千葉ウォーカー」で知ったらしく、「牛角行きてぇー!」「行ってみてぇー!」「焼肉食いてぇー!」ばかり言うようになりました。うるさかったので行くことに。そもそもわたしは休日の時間がほどよくつぶせれば、どこに行ったって良かったんだし。(退廃的な考え方は昔も今も変わってない)

 

 

わたしたちは牛角へ行きました。しかしその時わたしは生理前で、とても機嫌が悪かったのです。わたしはキョコンに当たり散らし、機嫌の悪さをキョコンで解消しなければどうにもならなかったのです。(当時はピルを飲んでいなかったので、機嫌の悪さが今の20倍くらいひどかったです、ただのヒステリーみたいになっていました)

 

牛角はたいへんに混んでおり、行列ができていました。わたしはイラっとしました。もう、牛角じゃなくてもいいじゃんと思いましたが、キョコンはわたしの機嫌をとりながら必死で行列に並んでいるわたしの気を散らそうとしてきました。1時間くらい並びました。

 

イライラしているわたしに追い打ちをかけるように、やっと空いた席が行列の目の前! わたしは行列がある店などで、並んでいる人から見られるような角度で食べるのは大嫌いでした。なぜこんな見世物のような席で食べなければならないのでしょうか? わたしは店運、席運のないキョコンを罵りました。

 

キョコンは泣きそうな顔で、それでも店員さんなどには愛想よく接していました。わたしの機嫌をとりながら、カシスオレンジをオーダーしました。わたしはほとんど食べませんでした。キョコンは肉を注文しては焼き、食べては焼いていました。わたしが食べないので、キョコンは泣きそうな顔をしていました。

 

今では「ひとり焼き肉」なんてアリな雰囲気ですけど、20年前の、しかも地方都市において「ひとり焼き肉」なんてありえませんでした。キョコンは寂しさで死にそうな馬のような顔になっていました。

 

f:id:keisolutions:20091120104435j:plain

 

宴は最高潮に達し、キョコンは何杯目かのカシスオレンジを飲み干し、最後の肉をすべて焼き網に乗せました。キョコンは「ひとり焼き肉」にも関わらず、網を2回交換しました。「オレは牛角を楽しんだ!」という証明をしようとしているようでした。いじめられているのに「いじめられていないよ、仲良しだよ」と言い張るいじめられっ子のようでした。

 

 

キョコンのひとり焼き肉は、終わりました。

 

 

f:id:keisolutions:20140907204706j:plain

 

 

わたしはさっさと家に帰って寝たかったので(山崎パンの仕事はとてもきつかったのです)、さっさと会計をしてもらい、さっさと駅に走っていき、さっさと電車に乗りました。牛角のある駅から我が家までは、少しだけ電車に乗らなければならなかったのです。

 

 

気づけば、電車のなかで、キョコンが青い顔をしてぶるぶる震えていました。

 

 

f:id:keisolutions:20180501000557j:plain

 

 

わたしはキョコンを嫌だと思いました。

 

 

しかし。

 

 

次の瞬間、キョコンはわたしに耳打ちしてきました。

 

 

「さおり……吐いちゃったらごめんね

 

 

 

( ゚Д゚)

 

 

 

「ちょっとまってやめて……どうしよう気持ち悪いの?」

 

そんな返事しかできませんでした……。わたしは吐いている人を見るだけでもきついレベルの嘔吐恐怖症です。キョコンが電車の中で吐く……それをわたしはどうにかしなければならない……怖い。。

 

キョコンは、なまつばを飲むようなしぐさを数回しました。がまんしているのでしょう。わたしの降りる駅まであと5分ほどで着くのですが……

 

 

地獄のような5分間でした。

 

 

電車のドアが開いた瞬間、キョコンは外へ駆け出て駅のホームでゲロを吐きました。(わたしは実は今でも牛角にあまり行きたくないのですが、たぶんこの時キョコンのゲロを見たのが原因だと思います)

 

 

オレンジ色をした、ロマンチックなゲロでした。

 

 

あなたとあたし、ロマンチックなゲロ、なんてaiko調に書いてみてもダメです。。思い出すのも苦しい。

 

 

とにかく「あの日あたしはキョコンと牛角に行き、キョコンはカシスオレンジを3杯飲んで、ひとりで焼き肉を食べ、帰りの電車で吐き気をもよおし、駅のホームでオレンジ色したゲロを吐いたの」というお話でした。

 

 

これ、メロ付けて曲にした方がいいでしょうか。

 

わたしの初シングルは「カシスオレンジと牛角とゲロ」で良いでしょうか。

 

 

でも、キョコンは明るい男でしたから、今でも明るく笑っていてほしいと思います。ちなみに、キョコンが吐いている間、わたしはキョコンの方を見ずに背中をさすりました。

 

 

それじゃあ、また明日!