接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

15歳の少女が自発的に人を助ける国、フィリピン

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こんにちは、かんどーです。

 

わたしはフィリピンのセブ島、アパスという町に住んでいます。(アパスって「渋谷区」レベルで広いので家バレの心配はないです。渋谷と言うより上野って感じだけど)

 

アパス。(バイクタクシーに乗りながら撮った)


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アパス。(同じくバイクタクシーで撮った)
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ここで暮らし始めて、毎日が発見の連続です。

 

 

★★★

 

 

ある日の夕方、屋台に荷物を置きに行った帰りのことなのですが。

 

ウクレレを持った50歳くらいの、おそらく物乞いの男性が道端に座っていました。もうウクレレのパフォーマンスは終わったようなので、わたしは残念だなーと思いながら通り過ぎました。(演奏してたらちょっと聴いて小銭入れていきたかったので)

 

その直後、その男性が転んでしまい、1ペソ硬貨がたくさん道にばらまかれてしまいました。顔を見ると男性は目が不自由な様子。完全に失明してはいないけれど、ほとんど見えていない。わたしは駆け寄って小銭を一緒に拾いました。近くにいた韓国人の男子3人(おそらく留学生)も一緒に拾いました。ある程度拾い終えて、男性に硬貨を手渡して、みんな立ち上がってそれぞれの道を歩き始めました。

 

すると。

 

1枚の硬貨を拾った15歳くらいのフィリピン人の女の子が、男性に何か話しかけていました。女の子はしゃがんだ状態で、男性の身なりがきれいでないことなど気にもしていないようでした。しっかり男性と目線を合わせ、手に持っていた白い箱をぱかっと開けて見せていました。手作りっぽい紫のケーキ。おそらく、紫いものカップケーキ。箱に6個くらい入っていました。

 

女の子は男性にひとつケーキを渡して、にっこり笑って自分のゆく道を歩き始めました。

 

 

わたしは気になったので女の子を追いかけて年齢を聞きました。想像通りの年齢でした。込み入ったことは聞かなかったけれど、フィリピンでは自分より困っている人がいたら助けるのは当たり前のことだそうです。

 

以前の記事にも書きましたが、フィリピンは「貧しいくせに、誰かが倒れてるとお金を持ち寄って助けてしまう。道で倒れていても死なせてくれない国」だそうです。

 

 

15歳の少女の、迷いのない行動を見て、その言葉の意味をはっきりと理解しました。

 

 

日本で、誰かが道で倒れていたらどうでしょうか。身なりが汚かったら、自業自得だと思って、汚いものを見る目で見て、蔑む。わたしは日本のそういうところが好きじゃなかった。もちろん、国の仕組みも違うし、日本の方が総じて幸せだということもわかっている。わかっているけど、日本はなんだか寂しい国だなって思ったんです。

 

フィリピンでは、互助がきちんと機能しています。貧しいけれど助け合う気持ちがあります。だから旅行や短期滞在で訪れたらあたたかい気持ちになるのです。そして、この国が好きになり過ぎて長期滞在となると、重い問題と向き合うことになっていくのでしょう。わたしはまだ、短期滞在の立場ですので、重い問題とどう向き合うのか、自分でもわかっていません。

 

 

今考えているのは、わたしは日本人である前に一人の人間であるということです。失敗しても裏切られても、つらい思いをしてもいいから、まず自分なりのやり方でフィリピンと関わってみようということです。

 

「そのやり方はやめた方がいい」

 

と言われることもあります。甘いと言われることもあります。でも、人が人を信じなくなったら世界は終わると思っています。どこかのタイミングで線引きはするけれど、自分でその線引きができるようになるまでは、わたしなりのやり方でやってみようと思うのです。

 

15歳の少女が自然に人を助ける姿を見て、わたしは自分がほしい「優しさ」の本質を見つけた気がしました。そう、助けてほしい人に対して、自然に助けたいんです。

 

おせっかいや余計なお世話はしたくない。自己満足のための人助けもしたくない。ただ、困っている人を自然に助けられる人になりたいのです。

 

 

フィリピン生活はまだまだ続きます。わたしなりに人生の本質がつかめたらいいなと思います。

 

それじゃあ、また明日!