わたしは現在、セブ島に住んでいる。
空を見上げると、日本で夏によく見る力強い雲が空のはんぶんを覆っている。じりじりと肌を焼く灼熱の太陽、南国特有の甘辛い食べ物のにおい。海が見えなくても海を感じるむわっとした風。自然を感じる。強さを感じる。
不思議なのだが、セブにいると、白い雲も青い空も、熱くて強い太陽も、わたしを愛してくれていると感じられる。通り過ぎる人々は、知っている人でも知らないひとであっても必ず笑いかけてくれる。やっぱり愛されていると感じられる。
あるとき、ふと思った。
わたしが思っている以上に、世界はわたしを愛してくれているんじゃないか、って。
そして、わたしは昔よりずっと世界を愛している、と思えた。
わたしは実は人嫌いだ。これは人から言われて気付いたのだけれど、親しみやすそうに見えて実は壁があるのだ。その壁を一気に超えてくる人もたまにいるけれど、基本的に壁は簡単にはなくならない。わたしの心のドアは、とても見つけにくい場所にある。そこを開けて誰かが入ってくるのは、数年にたった一度だ。
だけど、今セブ島に来て思うのは、日本にいたときよりも心のドアがわかりやすい場所に移動したということ。
これまで、わたしはほとんどの人と、わたしなりの距離感で付き合ってきた。たとえば絶対に同室で寝ないとか。わたしは、仕事で人とたくさん接するけれど、オフタイムは一人で過ごす。そのあたりがとてもきっちりしている。
もちろん、仲の良い友達はいるし、彼ら彼女らと深い話もする。だけどちょっとだけ距離があるのだ。
その「ちょっと」の距離が、今すこしずつ人に近づいているように感じる。
もちろん、ダメな日もある。一人になりたいという気持ちでいっぱいの日もある。だけど、開いている日は、ふんわりとやさしくひらいて、リラックスして人と接していると思えるのだ。
そういうときに思う。
「ああ、わたしは世界を愛しているんだ」と。
大げさでもなんでもなく、いのちを肯定し、生きることを肯定し、五感で世界を感じて生き始めている。
その結果何が起こったかというと。
わたしのまわりの世界が、やさしく時を刻み始めたのだ。
友人知人に子どもが生まれ、セブの部屋で近所の犬が子犬を生んだ。いのちがいのちを愛して、愛した結果あたらしいいのちに小さな歴史が継承されていく。
それを素直にうれしいと感じる心がある。
世界は、わたしを愛してくれていると思う。そしてそれは、わたしが世界を愛せるようになったから、そうなったんだと思う。
今はうまくいっていない人も、身近な花でも動物でも人でも、なにか一つ愛してみてほしい。その瞬間、すべての壁が壊れて、世界はあなたを全力で愛しにかかるから。
近所の子犬は、こんな感じの子です。背景がセブっぽすぎるw
足がうつっているのは、近所で工事している方々。いつも挨拶してくれて、犬にも優しくて、大好きな人たちです。仕事中でもゆるーっと自分の個性を殺さずに生きているのが、フィリピンの人の好きなところです。
それじゃあ、また明日。