接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

私の人生ルサンチマン、給料をもらって生きるなんてまっぴら

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こんにちは、若い頃仕事がまったく続かなかった、かんどーです。


私のこれまでの人生を軽くまとめると、

女性差別が残る時代と地域に生まれる
・小中学校で転校の連続、いじめ体験
・底辺高校卒業、大学に行かせてもらえず夜間短大へ通う
・人生捨て鉢になって女しかできない仕事に就く
クラブシンガーになるが給与未払いのため辞める
・やりがい搾取系の仕事と夜の仕事を組み合わせて生き始める
飛び込み営業の仕事で営業の才能が開花する
・派遣会社で高額報酬を得て週給5日の生活を手に入れる
・ミニマリストになる
起業する
・日本の接客業に疑問を持ちフィリピンへ渡航、屋台を始める←今ここ

このような人生です。まあどこにでもいる人という感じですが、私なりにあがいてきたのだなあという人生。いつか自分年表でも作ります。


私は「給料をもらう」という生き方がまったく自分に合いませんでした。固定給って一体誰にメリットがあるんでしょう? 私は「固定給」や「正社員」という制度は政府が一定額の税金を徴収するために設定したものとしか思えません。もう年貢と一緒でしょ。強制的に権力がお金を巻き上げていくあれ。その昔日本ではたくさんの先祖、たくさんの農民たちが無理難題とも言える年貢を納め続けてきたんです。その悪しき慣習の悪癖としか思えない。

「年貢の納め時だな」という言葉は「そろそろあきらめろ」という上から目線の言葉です。一体何%の国民が「給料をもらうたびに多額の税金を納めていること」をちゃんと考えているのでしょうか?

そして正社員がそういう疑問を持たないように、派遣や日雇いの待遇を絶妙に悪くしてガス抜きするという。大きな意味でのコントロールがされていることに気づいていますか?


さておき、私個人としては「給料をもらって生きる」という生き方がまったく合わなかったのです。

・頑張っても頑張らなくても同じ給料なら今以上に頑張る理由が見つからない
・手抜きをするとストレスがたまる性格
・元来「商売人気質」であったため売り上げに応じた報酬が欲しかった

こういう理由で私は「勤める」ということに100%向いていませんでした。また、その向いていない制度の中で頑張っても報われない(給与未払いや、そもそも働いていない人がお金をもらっている不公平感)ことばかりだった。

 

ただし、完全歩合の仕事は頑張れました。やったぶんだけもらえる、というのは私にとって初めて「平等だ」と思える場所だったのです。

そして完全歩合の仕事でやっと「もしかして私は仕事が好きなのでは?」と思い始め、そして「ちゃんとお金を稼いで生活するって気持ちいい」と気づき、「私と同じような人がちゃんと稼げるような会社を作りたい」と思い今に至ります。


もうこれ、完全に教育におけるキャリアパス形成のミスです。

そしてミスがたまたま成功になった事例です。私は持って生まれた運がものすごく良いんですよ。他のことは特に誇れないけど、私は運がいいということだけは誇れます。


キャリアパス形成のミスはまず、親が私に「早く結婚して子どもを作れ、それが幸せだ」としか教えてくれなかったことから始まります。その上で「高校を卒業したらなるべく良い会社に入って良い旦那さんを見つけるように」と言われました。まったく意味がわかりませんよね。なんで私の人生は旦那さんを見つけるためにあるのでしょうか。

 

例えば「仕事が好きならこういう仕事で結婚した後も働く人はいるよ」と教えてくれたり、「あなたは好奇心旺盛だから、こういう会社に入ったら面白いかもね!」「こういう仕事もあるのよ、そのためにはこういう大学に行く必要があるの」という話を少しでもしてくれていたら……と行っても歴史にifはないのでこれはもうどうしようもありません。私の受けた教育はそれほどまでにひどいものでした。


その教育がもたらした結果が40歳になっても未婚というありさまです。もちろん一度も妊娠したことはありません。私こういう教育を受けずに、のびのびと育てられて行きたい大学に行っていたら、きっと20代のうちにやりたいことをやりたいだけやって、30歳くらいで普通に結婚して普通に子ども産んでたと思いますよ。これ本当です。私は自分の中の本能も女もかなぐり捨てて、ルサンチマン(反骨精神)のみに突き動かされてお金を稼いで生きてきたんです。


今になって思うのは、給料をもらう側として生きるより、払う側として生きる方がよほど私に合っていたということです。複雑な仕組みや手続きはあるけれど、それさえこなしてしまえば「自分が考えたビジネスで誰かが動いてくれて、そこに対して正当な報酬を支払う」という行為は私の生きがいです。

日本の会社もセブの屋台もやっていることは同じです。頑張った分だけ惜しみなく払おう、その考え方に賛同してくれる人が残ってくれたらいいな。それだけです。

そもそもなぜ「出し惜しみ」するのかわからない。なぜ前月頑張った分をよく月の報酬に乗せず「ボーナス払い」などというわけのわからない先送りをするのでしょうか? 有能な人は行動が早いから一つのところに長くいません。「ボーナスでまとめて成果報酬を支払う」というやり方で待てるでしょうか? 私は可能なら週払いにしてでも払ってしまった方が良いと思います。


私は、待てませんでした。

その日の歩合をその日にもらえないなんておかしいと思っていたからです。成約した案件があってお金が会社に振り込まれているなら歩合はその日に発生して良いはず。そういう考えでした。(まあ締め日の関係で1か月くらいは待っても良いかと思っていますが)


給料をもらう側だと「文句を言っている」ようにしか受け取ってもらえません。でも私が払う側なら、なるべく早く払う方法を探索できるし、たくさん支払うことができる。そうやって「私と関わった人がお金に困らない」ようにすることで私は「よかった」と思える。


私の人生はもう私のためには無いと思っていて、もう誰かの幸せを増幅させるために私が存在したい。たぶんこの本能は本来、子どもとかに向けられるものだったと思う。それが行先をなくして今、「目の前の人を幸せにしたい」という大きな欲求に育てることができました。

私に会社があって良かった。セブの屋台があってよかった。私と関わってくれている人がいるから私は今日も生きていけます。


ルサンチマンが遠くに歩いて行って、寂しそうな背中を見せながら右手を振っているのが見えた夜なのでした。

 

さよなら、ルサンチマン。


そしてまた明日。

 

著者近影。近所のスーパーにて。
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