接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

Love is first 離島の人と話してわかった大切なこと

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物心つくころには、転勤族の娘、であった。父の転勤に家族でついていくため、幼稚園も小学校も何回か変わっている。「付き合いの長い友達」という感覚がないのは昔からである。そして運悪くいじめの標的になったことも一度や二度ではない。

しかし私は今更いじめのことをとりあげてどうこう言うつもりはないのである。なぜなら私はある時から「いじめられない方法論」を編み出したからだ。仲間外れにはなってもいい、害がないからだ。いじめられるのは本当につらい。だから自分なりに「いじめられない立ち振る舞い」を勝手に身に着けていった。今でも集団の中で孤立はしても、いじめられないのはそのおかげだと思っている。(きちんと書くと長くなるが、「なんでもいいから一つ、自分がイニシアチブを取れるものをつくる」ことがいじめられない鍵である)


転勤族の娘はやがて、自分の人生に目的のないことに気づく。女の人生のゴールは「結婚」だという価値観を持つ人ばかり周りにいたので、他のやり方で人生のゴールにリーチする方法を知るすべが無かった。当時はインターネットも無かったので、自分が所属しているコミュニティに情報がなければ、その情報に触れることはできないのだ。

自己責任論者に仕上がったのもこのころだと思う。何事も自分のせいなのだ。そう思って疑わない性格になった。しかしこれも特に悪いと思っていない。なぜなら私は今経営者だからだ。経営者が責任を取らない会社なんてだめだ。だから私は今の性格でいい。


小説を発表することも、曲を発表することも、私が自分の責任でしている。作ったものは自分自身で責任を取れるように作ってある。これからもそうだし、そんなに肩肘張るなと言われても、力を入れずに小説や曲を作ることは不可能だ。(一旦書き始める、つくり始めるとパズルの作業のようになっていくが)


ここで本題に入る。最近離島に遊びに行ってきた。別の友達を連れて、二回行ってきた。離島に住む人たちは小さなおうちを自分で建てて、自分の大切な家族と一緒に住んでいる。小さくて恥ずかしいと言っていたけれど、私は人生であんな素敵なおうちを見たことがなかった。


家族と触れ合うプライベートな空間は、あのくらいあれば充分だったのだ。


自分のプライバシーを守ることばかり考えていたこれまでの自分が、砂浜にさらさらと溶けていくのを感じた。暑い日には日陰で寝そべり、新鮮な貝や魚を自分でとったり、家族がとってきた貝や魚を料理する。客人が来たら楽しいから精いっぱいもてなす。毎日海を見ているだけのように見える彼らは、実は人生のことを誰よりもよく知っている。

島に住む彼らは、年に数回しか都会へは来ない。都会へ来て何をするのか聞いたら「島にはないチェーン店のチキンを食べる」「島にないものを買う、おみやげを買って帰る」というシンプルな答えだった。そうだな、私も島に住んでいたらそうなるだろう。ゲームセンターに行ってみたいと思うかもしれない。ボウリングやダーツみたいなゲームがしたいと思うかもしれない。

そんな彼らだが、実は自分たちの母国語以外に英語を流暢に話してくれる。なんであんなに英語が話せるのか本当に不思議だ。言い回しや語彙力は明らかに「日常会話」のレベルを軽く超えている。今すぐアメリカで働くように言われても誰も困らないだろう。


そんな彼らのうち一人、ベネディクトという男性と、たまたま海を見ながら語り合う時間があった。


海に立つ山小屋のような場所から、長い長い桟橋をわたっていた時だった。海は透き通る浅瀬で、白い砂の上に小さく揺れる波が光を反射し、それがどこまでもどこまでも続いている。目を凝らすと魚やウニやヒトデがいる。遠浅の桟橋がこんなにも美しいということを私はあの場所で初めて知った。

 


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他の友達は、桟橋の途中で写真を撮るのに夢中になったのか、後ろを歩いているはずの友達の姿ははるか遠くだった。私とベネディクトは友達を待つために立ち止まり、桟橋の上で二人になった。ベネディクトは奥さんと子供がいて、家族をとても大事にしている。そして自分が幸せに生きることで周りを幸せにできる、ということを生まれる前から知っていたような人だ。ベネディクトの笑顔には1ミリの翳りもないのだ。


ベネディクトと私は海を見ながらどうでもいい話をしていた。ヒトデを指さして「スターフィッシュ!」とかそんなことだ。しかしあるタイミングで、未来のことを語りあうことになった。私の未来観は、楽観的で刹那的である。今が幸せだから、きっと明日も、来年も幸せだろうと考えていて、それをそのまま話した。ベネディクトは私の意見に満面の笑顔でうなずいたあと、自然に、さらりと、小さな波がキラキラと光を反射する景色の中でこう言った。


「未来のことを考えて、いろいろ決めていかなければいけないけど、結局、愛が最初なんだ。まず愛があって、その後に未来がついてくる。未来を考えて行動しようと思うけれど、結局すべてが愛からスタートしている」


これは、重く話したことではない。「新鮮なアジはそのまま食っても旨いよな」と同じくらい当たり前のことを話すテンションで話してくれたことだ。

 

こんなことを離島の方と話すなんて思ってもいなかった。そして、すべての価値観がオセロみたいにひっくり返っていくのを感じた。私の人生はめちゃくちゃで支離滅裂かもしれないけれど、ベネディクトの言葉を借りれば「愛からスタートしている」のは私も同じで、それはちっとも間違ってなんかいないと思った。


愛から始まって、生活が刻まれて、愛に満ち溢れた人生を送る。


それでいいじゃないか。


ああ、私とこの人は同じなんだと素直に思えた。気づけば笑い声に包まれたたくさんの友達が、国籍関係なく入り混じって仲良くすぐ後ろを歩いていた。私とベネディクトは何もなかったように桟橋をまたゆっくりと、歩き始めた。


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(それじゃあ、また明日)