風前の灯。
2年前、確かにわたしは風前の灯だった。
いろんな場所から「NO」をいっきに突き付けられた瞬間だった。
とてもやりたかった仕事から「NO」が来た。
やれると思っていたのに。でも仕方なかった。
海外に逃亡しようかと思うと、もはやそれも許されない状況。
そもそも飛行機が飛んでいないレベル。
おいおいフィリピンに置いてきたギターとかどうすんだよと考えても、このまま知人宅で預かってもらって、落ち着いたら取りに行くほかない。おいおい気に入って買ったギターなんだが大丈夫か?(フィリピンで買ったギターだった)
そして、そういうときは続くもので、信頼していた人に裏切られた。
おいおい、もう少し騙し続けて、わたしが死ぬまで騙しててくれよ、、、と思った。
いろいろ、限界突破しそうな状態であった。
そんなわけなので、のんきにブログなんて更新していられないし、ほとんどのことが守秘義務満載すぎて語れる相手もいない。全部自己消化するしかなかった。
本当に秘密の守れる友達にはいろいろ話したけど、その人はたぶん一生わたしから聞いた話を人にしないと思う。
そもそもわたしがブログを更新できなくなるレベルって、実はかなりのものだ。
6年ほど毎日更新していたものをやめるレベルってことだ。
追い打ちをかけるように、わたしはそのまま公務員になってしまった。
公務員というのは、いろいろ息苦しい仕事だ。
仕事の内容を口外してはいけない。
職場のことを書いてはいけない。
というか表立って名前と顔出しでブログなんて絶対にやってはいけないw
そんなわたしが、当時公務員だった。(過去形)
しかも教員だった()
いろいろ立ち行かなくなりそうな、風前の灯状態のわたしに、教員をやらないかという話が舞い込んできたのだ。
一応ことわっておくと、臨時採用枠なので試験は受けていない。面接があっただけ。
英語専門教員という枠で、小学校で働いた。
その翌年は、算数の専門教員として働いた。
おいおい教員そこそこ向いてるじゃんと思いつつ、向いていないところもあった。
成果主義ではないところ。
とりあえず座っていろ、という内容の会議で時間がつぶされていくところ。
発言することが嫌われるような風潮。
そういうものがわたしは苦手だった。
もう少し自由に働きたいと思った。
そして、西へ旅立った。
住むところも含め、環境丸ごとリセットしたかった。
もう行くことのできない夢の世界のことや、もう会わないかもしれない人たちのことが頭をよぎった。走馬灯みたいだった。
でも、風前の灯は、消えずに残った。
今でもまだ、ギラギラと燃え滾る血の熱さを感じる。
他人事なんかじゃなく、自分の人生を生きていると感じる。
自分がやらなくてはならない大切なことが見えてくる。
まだまだ、ここから。
一度消えかけた灯はまだ、消えずに揺れている。
炎は形を変えて、赤い炎から青白い色に変化して、夜の空に向けて、ゆらゆらと静かに燃えている。