接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

もしも命を差し出せと言われたら……気安く差し出してしまいそうな私の人生

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こんばんは、夜はいろいろ考える、かんどーです。
久しぶりに星をみました。夜空を見上げました。

私は命を大切に生きているのか、今一度考えてみました。


私は、命に対して少々気安いところがあります。たとえば、ありえないシチュエーションですが、何人、何十人という人間が一斉に捕えられ、その中に私もいたとして。「誰か一人だけ死ねば、ほかの人は助けてやる」というシチュエーションになった場合の話です。

おそらく私、間違いなく「私が死にます、ほかの人を解放してください」って言うと思うんです。これは正義感とか自己犠牲とかではなくて、単に私が今現在、守るものもないし、ほかの人のほうがいろいろ背負っているだろうし、私は今死んでも後悔はない、と思えるからそうする、という話です。

けして、今死にたいとかそういうのじゃないんです。


ただ、命に対して気安い気がしています。それは「命を大切にしていない」という言い方もできると思います。一日一日を、後悔しないようにかみしめて生きているか? と問われたら、流すように生きている日もあるので、答えはNOです。


やりたいことはあるけれど、それと同時進行で、着々と「この人生」を終えようとしている自分もまた、居ます。

終わりにしてくれたらラクなのに……と思うこともあります。今を生きられない人がいるのに失礼なことを思っているのは承知ですが、どうしてもそういう念慮が頭から離れてくれることはありません。

もし「私の命を、もっと生きることに一生懸命な人にあげても良いか?」と聞かれたら、答えはもちろんYESです。だって、そういうことですから。


でも現実には、私は私として生きていかなくてはならなくて、せいぜいドナーになったりすることでしか、誰かに命をあげるなんていうおこがましいことはできないのです。

献血、ドナー登録、困っている人がいたらなるべく助ける……こういうことくらいしか身のおきどころがないのです。


変なことを書いてしまいました。

けれど私には、いつ介護が必要になるかわからない親がいます。今は、一人は元気、一人は病気があるけれどゆっくり進行している、という状況です。こんな状況で上記のような考えを持っていてはいけないと思い、気を取り直そうといつもがんばるのですが、どうにもうまくいきません。

介護などは、すすんでやりたいと思います。今日も「何かあったら私がやる」という意思表示はしました。(まだまだ当分先だ! と笑い飛ばされてしまいましたが)


命について、考えない日はありません。

暇なのかもしれません。
やはり私は海外に行って、あわただしく仕事をしているのが良いかもしれません。

とりあえず更新しておきます。
それじゃあ、また!