接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

「なんで書くのが好きなんですか?」

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※今日の記事も2019年の消えてしまった記事を復元させています。私の根幹は変わっていないことが読み取れます。

 

 

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「なんで書くのが好きなんですか?」


こう聞かれたらなんて答えますか。このブログの読者の大半が、自分でもブログを運営している人なので、まずはあなたなりの答えを用意してみてください。あらためて聞かれると、なんだか自分でもわからない、もやっとした部分ですよね。

 

わたしも普段こんなこと考えないです。「ブログを毎日更新する理由」とかは以前記事にしたけど、これも「書くのが好きである」とかは大前提だからね。

 

 

さあ、あなたなりの答えは用意できた? じゃあ、わたしの答えを書くよ。

 

 

答えはとてもシンプル。

 

 

 

「話すより楽だから」
 

これ、実はチャットでのやり取りで、文字での会話だったのですが、だからこそ出てきたわたしの本音。普段わたしは初対面や数回会っただけの人だと人見知りをしてしまい、思ったことが上手に話せません。

 

でも、文字にすると気持ちが全部つたわる。つたえられる。口にするのが恥ずかしいことも、文字にすれば恥ずかしくない。

 

美味しいとか気持ちいいとか、好きとか感じるとか、愛してるとか会って合体したいとか、全部上手に気持ちが外に出力されていく。ネガティブな感情も時には出力する。わたしの中の中核をなす脳や心が、文字という形で世の中に出力される。

 

 
おとなしい人と言われた


わりと最近、あるブロガーさんとオフ会で会ったのですが、お茶などをして帰宅して届いたメールに「もっと豪快な人だと思っていたのに、おとなしい人でびっくりしました。意外と普通の人なんですね」と書いてありましたw

 

その方はわたしのブログの過去ログを全部読んでくれていたので、なんというか期待のようなものがあったみたいです。ドッカンドッカン面白いことやエッチなことを言うだろう…みたいな。

 

それが、会ってみたら会話における出力があまりに小さくて驚いたそうです。「普通の人なんですね」というその言葉には、どこか「期待はずれ」を感じさせえる響きがありました。ただ、同時にわたしは「会って話すより文章のほうが魅力的なら、わたしは文章を書き続けるべきだな」と強く思いました。

 

ブロガーや文章を書く人にも何パターンかあって、「話をしても魅力が伝わる人」と「人柄と文章がかけ離れている人」がいます。どちらも、意図して演じることもできるので、実際に会って話してみないと何とも言えませんが。

 

わたしの場合は、ブログをちょっと読んでくれている方にはわたしの人柄が伝わっている感じです。わたしの人柄というのは「傷つきやすいくせに大胆、決断が早く直感型、気分屋」のような感じです。しかし会って話すと「生真面目、几帳面」という印象ばかり残ってしまうようで、なかなか人と打ち解けることができません。

 

ただし、いいこともあります。人となかなか打ち解けられないというのは、逆に言えば「人との距離感が取れる」人であるということです。若いころに一気に距離を縮めて嫌われた経験から、適度な距離感をキープするやり方を覚えたんですね。

 

 

書くことはやめない


たぶんわたしは書くことをやめないと思う。もしもわたしに才能があったなら、これだけの文章量を書いている間にさっさと書くことが仕事になっていたと思う。だけど、ならないということは、わたしはたぶん才能はないと思っている。わたしの才能は、ビジネス、特に営業や販売にあるのだろう。

 

才能がある人を見ると共通することがある。

 

芸能の世界でもビジネスの世界でも、才能がある人は、世界を自分の中で一旦消化して、それを大きく大胆に展開して人に見せることができる。見た人はその人というフィルターを通して世界を見ることで共鳴して、世界とつながった感覚になったり、自分の強さや弱さと向き合ったりする。そしてどんな世界を表現する場合も例外なく美しい。

 

流麗な文章を並べ立てなくても、適度にまとまった文章というのは美しい。装飾のないわかりやすい文章ってすごいと思う。これたぶん3回くらい言ってると思うけど、東野圭吾ってすごくないか。特徴のある文章を書くあの有名作家さんとか、ねちっこい文章を書くあのミステリー作家さんは確かにすごいけど、東野圭吾さんすごくないか。特徴がうまく言えないんだぞ。無駄なく過不足なく説明があって、物語進むんだぞ。すごくないか。

 

大がかりな演出があっても、何もない小さなライブハウスでただ生音を出すだけであっても、才能のある人の作り出す世界は虹色に輝いている。それは命が放つ強い光であり、時代がつける色であり、見る人の心にさす光だ。たくさんの光を味方にして、才能は輝いていく。

 

わたしは文章の世界で輝けないかもしれない。

 

だけど、それを認めてしまえばいい。仕事にしないで楽しくやっていく方法はある。何人かの人はわたしの書くものを継続して読んでくれている。充分じゃないか。

 

そもそも、人と人は双方向に影響しあって時代をつくっている。わたしは自分に与えられた才能を輝かせる生き方をすればいい。たぶん今回の人生において、わたしの才能は書くことではなく、売ることだ。

 

物を売る。

 

シンプルだが、これこそビジネスの根幹。好きを仕事にするより、与えられた才能を好きになって、それを展開していくことのほうが世界の真理に近づける気がする。

 

そういう意味では、実はビジネスも芸能も双方向に影響しあっていると思う。わたしは自分に芸能の才能がないことを、たくさんの時間をかけて確かめてきた。人はきっと、自分に才能がないことを認めてからじゃないと、前に進めないんじゃないかな。そういうのを、「大人になる」っていうもやもやする言葉で表現しているんじゃないかな。

 

 

わたしは大人になった。だけど不思議なもので、自分の好きな人や友達には、いつまでも夢を追い続けていてほしいのである。

 

だって、つまんないじゃん。才能を見極めて効率よく生きていくだけなんてさ。無責任かもしれないけど、続けていたら開くかもしれないなら、続けてほしい。死なない程度に生活できていれば、あとは好きなことしててほしい。

 

これは、優しいと言えるのだろうか? 

 

とっても無責任な友達である。しかしあなたを全力で応援する。