接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

☆書評☆少年A著 「絶歌」

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こんにちは。仕事は接客業、趣味はランニングと読書の貫洞です。


少年A著 「絶歌」

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渦中の一作、駅のちいさな書店でその白い本は異様な存在感を放っていました。この本に関しては、もう買うこと自体が非難の対象たりえる本であって、正直読んだとか読まなかったとか、話題にすらあげないほうがいいモノだと思ってます。


でも、読みました。


読まない人が一定数存在することは理解しています。不買を呼びかける人がたくさんいることも理解しています。でもわたしは、自分で一冊読みきってみたかった。雑音が入る前に、一冊の本としてこれを読みたかったのです。

まず、広告などが一切打たれていないこの本をわたしが知ったのはこのブログです。書店員さんの意見です。かなり拡散されているので読んだ方も多いのではないでしょうか。

shiomilp.hateblo.jp




さて、本の内容ですが、「読みモノ」として非常に読みやすく、ゴーストライター? と思うくらい流麗な文章でした。わたしは少年Aと年齢が近く、引用される本や当時の音楽なども通ずる部分があり、「あの時」の少年Aを取り巻く時代を容易に思い浮かべることができ、ラストまで一気に読み進められました。
※わたしは読みにくいと感じると読むのをやめてしまうことがあります。この本は完成度が高い本です。



少し引用します。


 自分は世界じゅうから拒絶されている。
 本気でそう思った。勤勉な郵便配達人のように花から花へと花粉を届ける健気なモンシロチョウを見ても、アクリル絵の具で塗り潰したようなフラットな青空や、そこに和紙をちぎって貼り付けたような薄く透き通った雲を見ても、そのすべてが僕を蔑んでいるように感じた。美しいものすべてが憎かった。眼に映るすべての美しいものをバラバラに壊してやりたかった。この世にある美しいものは悉く、この醜く汚らわしい自分への当てつけにほかならないと感じていた。

こんな感じの描写が所々に入ります。かなり本を読んでいる人、書き慣れている人というイメージです。心理描写などは、エヴァンゲリオンの世界観や太宰治の世界観が共有され、ときに読んだ本の中で印象に残った一節を引用したりしています。


 僕は「食べる」という好意が面倒くさくてならない。肉体は、僕の生きる意志の有無にかかわわらず、空腹を訴え、生を強制する。


「食べる」ことに嫌悪感を持つところは太宰治と似ていますが、もしかしたら太宰治の本を読んで救われたかな、と思ったりします。余談ですが、食べないことは緩慢な自殺であると心の奥で感じたことがあります。とてもつらいとき、死んでしまってなにもかも手放したいとき、それでも空腹を訴えるからだに嫌悪感を抱いたこと、わたしもあります。


この本は時系列は結構行ったり来たりで進んでいきます。それでも最後まで読ませるのは、巧いから。ちょっと「クサイ(自分語りな)」部分もありますが、そこをちょっと飛ばしても、続く文章がその世界に引き込みます。こんな描写もありました。


 ネット社会に生きる僕達が普段、無意識に吸っては吐き出している「空気」は“酸素”と“窒素”と“情報”から成っている。僕達は呼吸するたびに、夥しい数の情報を取り込んでは垂れ流す。
 “弱肉強食”の観点から見た場合、世の中には二種類の人間しかいない。“情報を生み出せる人間”と、“情報を受け取ってシェアするだけの人間”だ。前者が“強者”で後者が“弱者”となる。
 どんな情報を持ち、どんなツールを使い、誰に向かって発信するかで、この社会におけるその人の立ち位置や価値が決まる。


まさにその通りです。そしてこう語った直後に、取調べ室の様子にフォーカスされ、取調べ、精神鑑定について事実描写と当時の自分の思いを述べます。

少年Aは祖母、父親、母親に対する気持ちも感情むきだしで書いています。とくに母親を思う一文は悲痛です。



少年Aという匿名で出版していること、印税のこと(すでにおよそいくらが少年Aに入るのか計算されています)、「印税のすべては被害者遺族に渡します」などの記述がないことから、この本は読んだ感想よりも非難が先に来てしまっています。

それがとても悲しい。自分の特異な経験を(もし本当に少年Aがすべて)書いたものだとしたら、これは犯罪心理学の上でも、今人を殺したいと思っている人にとっても有益な本なのに。


わたしが多数派であろう不買派に入らない理由は、読んでみたいという好奇心、そして幼少期から青年期にいたるまでの心の闇でした。

わたしは肉体的、精神的に相当にいじめられた経験があり、そのいじめは性の部分にまで及び、それから逃れるために別のターゲットを探し、なんとか自分が壊されないように立ち回るだけの学生時代でした。授業で戦争の話を聞いても「かわいそう」より「戦争中なら簡単に死ねるんだ、いいな」と思いました。それから戦争の悲惨な文献や残酷な描写の本を読みふけったりしました。

同調や根回しがほとんどできなかったので、常にスクールカーストでは一番下。自分より弱いものに憎しみが向く気持ちも、人が恋しくて愛されたくてたまらないのに、自分に無防備に好意を見せる人を憎んでしまう気持ち、こんな状態ならいっそおかしくなってしまいたい…という気持ちを経験しています。


じゃあ人を殺していいのか? ダメに決まってます。そんなことは普通の状態の人間であればわかります。

この本が懺悔の形を取った金儲け、ということも理解できます。懺悔にしては当時の心理描写にフォーカスを当てすぎています。被害者遺族の立場に立つと、一文字も読み進められないような描写すらあります。

わたしが感じたこの本の印象は、こうです。


少年Aは、当時ブレーキの壊れた車だった。


そして魔物が彼にささやきかけ、センセーショナルな事件を引き起こした。

残酷な事件でした。少年法を変えるほどの事件でした。激動の時代でした。日本中が震撼しました。



魔物のせいにするなんて古い考えだといわれるかもしれません。

でも人間には、狂気というふだんは表に出てこない魔物がいると思っています。その魔物と見つめ合わないように生きる方法を、それぞれの国のやり方で教育する。ルールだったり宗教だったり、厳しい刑罰を置くことによる恐怖だったりで、魔物が出てこないようにしているんだと思います。


魔物と目があってしまった瞬間の、おそろしい気持ちを経験したことがありますか?


わたしは、魔物が暗い部屋の隅にたたずんでいるのを見た、ことは、あります。
当時のわたしは自分を粗末に扱い続けることで魔物から逃れました。自分を粗末に扱ったおかげで「魔物と目が合いやすい時期を通過(パス)した」のだと今も思っています。

ひとりではなく、大人数で魔物と目を合わせてしまった人たちもいますよね。集団リンチ事件などの犯人です。惨い事件です。



少年Aがやってしまったことは、一生消えない、取り返しがつかないことだと思います。もみ合いの喧嘩の末、打ち所が悪くて相手を殺めたとかではありません。書くまでもなく、人間のしたこととは思えない酷いことをしたのです。

この本を読むことで、今まさに魔物と目が合いそうになっている誰かが思いとどまれればいいなと思います。


【個人的所感】
一気読み度・・・★★★★☆
エンタメ度・・・★★★☆☆
社会派度・・・★★★★★
女性向け度・・☆☆☆☆☆
泣ける度・・・★☆☆☆☆
笑える度・・・☆☆☆☆☆※笑えません…
考えさせられる度・・・★★★★☆


では、また。