接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

色眼鏡をはずそう

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こんにちは、絶賛生理前のかんどーです。


すっごい変な記事も書いたんだけど、後で読み返したらあまりにひどいので、それは公開しないことにしました。ADHDっぽいと言えば、そんな感じかな。とにかく話にまとまりがない。おまえ、わざとやってるだろっていう感じにも見える。



さて、今日はメガネの話です。メガネと言っても、miitomoでわたしがかけているサイバーメガネの話でもなければ、度の入った眼鏡の話でもありません。



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心でかける、色眼鏡の話です。



数年前、わたしは付き合う人を「社会的地位」や「役に立つ人脈かどうか」で判断している時期がありました。

 

当時はそれが当たり前になっていたし、えらい人と会うとヤッホー!! ってテンションが上がってました。講演会とかは必ず応募するし、最後の質問コーナーでは必ず質問して、顔と名前を覚えてもらえるように努力してた。


社長になりたての頃でした。起業した人や就活中の人は、そういう病におかされる時期があるんじゃないのかなって思います。そうならない人ももちろんいるだろうけど。


それで、当時の飲み会やら交流会やら、いろんな記憶をたどってみたのですが…


何も、残っていないんです。今付き合いのある人は0。

当時の自分、無理してたんだなあって思います。きっと、その人たちから見たら、わたしが人脈目当てですり寄っているのが丸わかりだったんだと思います。そんな人間とまともに付き合いたいとは思わないですよね。そもそも人脈目当てで付き合うならば、こちらも提供できる情報や人脈を持っていないと話にならない。それもないのに必死になってもあまり意味がありません。

※めっちゃ面白い…とかなら一時的に可愛がってもらえたりはするかもしれません。




人脈目当ての色眼鏡をはずすのには、想像以上に時間がかかりました。


最近、やっといい感じにはずれてきたんです。すごく簡単なことだったんですよ。心から笑ったり、興味のあることに正直になれば良かったんです。興味のないことは、無理して好きになる必要もなければ、教養として必要だからと無理して学ぶ必要もないです。本当に必要なことは、自然に学び始めます。




とても気持ちの悪い話ですが、わたしがはてなでブログを書き始めた理由を書きます。


「頭のいい人ははてなブログって感じ! ここに混ざればわたしもそういう感じになれるかもしれない!」


あきれますよね。無理だっつの。基礎的なもんがないのに、頭がいいふりしてもだめ。見苦しい。だいぶリライトしたけど、初期のブログはひどかったな。。誰とも交流せずに、ただひたすら、頭の良さそうに見えることを書いてんですよ。バカ丸出し。

 

でも、今は全然違うんです。興味のあることに対して真摯なブログが好き。徒然と更新されるブログのとりこになっていたりもするし、わたし自身も徒然と書くようになった。若い頃の印象的なセックスの話をあけすけに書いたりもした。

頭のいい人のブログももちろんカッコE!   って思うけど、それより愚直なまでに裸の心でぶつかっているブログが気になって仕方がない。

頭の良さって種類があるよね。タンクみたいにためてある知識と、情報を読み解く力、自身のフィルターを通してわかりやすく言い換える力。そしてブログでは、頭の良さとは別で、その人の言葉をよく通る声で伝える力も必要だったりする。

 

月並みな言い方になってしまいますが、今、ブログ書いてても読んでても楽しいんですよ。好きなことを書く自由、好きなものを読む自由を謳歌している感じ。




色眼鏡をかけていたときは、世界が全体的に、ふかみどり色っぽく見えていました。ダークスーツを着た人とばかり会っていたからかもしれません。髪の色も奇抜な人はいなかったし、個性的なファッションの人もいなかった。会ったらまず持ち物(時計や靴、カバンなど)をほめあうのが会話のとっかかりだった。わたしは正直人の持ち物に興味なかったから、ほめ方のパターンを覚えるのが大変だった。以前ほめた時計をまたほめちゃって「前と同じですよ(ちゃんと見てるの?)」って冷たく言われて始まる飲み会。

冗談で場をほぐして、近況を話しながらお酒をかわして唇をしめらし、互いに必要な情報交換をしながら酔いを進めていき、やがて肩を組むような、つらい時間。


わたし、あれが自然にできないんですよ。いつだったか、派遣で不動産系の会社に入ったとき、二次会のカラオケで社長がDJ OZMAの「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」を熱唱。

社長が歌うときは、全員立って踊らなければならない決まりがあるそうで、社員は全員、肩を組んで左右に揺れなければなりませんでした。

www.youtube.com

 

時間のある方は動画の1:39をご参照ください。大して仲良くない人たちと肩組んでこれをやったんですよ。。きっつー。


隣にいるおなじ営業部の男性社員さんが小声で「ゴメンネ」と言ってから肩を組んでくれたのが逆になんというか恥辱感をさらにヒートアップさせて、もう、肩に全神経集中、左右に揺れている自分を俯瞰している第二の自分が揺れてる自分を笑う笑う! キツかった…この曲を聴くと今でも背筋が凍ります。トラウマだ。



カラオケの話はさておき、普段の関係がきちんとできていれば、飲みに行ってもお互い何を言い出すかわかっているし、話したいこともあります。不要に緊張もしない。でも、情報戦のために人と会って飲んだりするのは、わたしにはとても苦しかった。無理して毎日そんなことしてたら、体が悲鳴を上げて、ホントにお酒飲めなくなっちゃった。胃を壊して、会食すらNGに。ほんとに極端な人生やな。2016年現在、やっと少なめの一人前なら完食できるようになりました。「ラ王」のスープ全飲みできたぜ。順調に回復してます。(屁が臭いのにラ王なんて食べるなって言われそうだ。。)





話を色眼鏡に戻します。


わたし、将来の希望は「絶望しなくて済む程度の世界でのんびり生きていくこと」なんです。宇宙に行けるロケットを作りたいわけでもなければ、ロボット開発に携わりたいというわけでもない。ITの知識をもう少し身につけてもいいかなとは思うけど、今から追いかけても、ロボット開発はできないと思います。ひらめいたらやるけどな。

今やっている会社でも、みんなが笑顔で暮らしていけたらよいと思っているし、みんなが楽しく働ける現場を長く続けていきたいと思っています。目の前のクライアント様のよろこびは、嘘偽りなくわたしたちのよろこびなんです。


興味があることにはチャレンジしていきたいです。きれいな写真が撮りたいとか、心が動いたら文章を書きたいとか、一人旅して新しい価値観に触れたいとか、そういうのはずっとあります。

文章を書きたい、をもう少し掘り下げると、書きつくしたって思えるまでは、まず自分の過去を書きたい。性についてもあけすけに書きたい。もう10年も経ったし、わたしのなかで時効です。ぜんぶ書いてしまいたい。


この価値観で生き始めると、前述したような「人脈をつくるための飲み会」はべつに必要ないです。モスグリーンの色眼鏡ははずれました。会う人はみんなカラフルな命を持った人に見える。

一見するとダークスーツを着ている人もいるけれど、中身はどピンクだったり。見え見えの野望が燃えている人は、周りにあんまりいなくなりました。


ゆっくりと青い炎を燃やしている人はいます。あとは、ものすごい努力家で才能もあるんだけど、本人がそれを自覚してなくて変なオーラになっちゃってる人とか。何者かになろうと、パレットの色を混ぜている最中の人も。

どの人も素敵な色です。色によってその人のにおいも感じます。目の前の大切な人が、いまを生きている。それを確認するために会う。会うっていうことがこんなに素敵なことだったんだって思う。


世の中ってこんなにキラキラしていたっけ? と思う日々です。


仕事へ行っても、友達と会っても、みんな面白い。みんなそれぞれに疲れたり投げ出したりしながらも、命が輝きたがってる。そこに打算がないと、こんなに人って面白いんだ! と人生の新しい楽しみ方にワクワクしています。




またまた最後に夫の話で恐縮なのですが、夫はずいぶん前から、意図的に色眼鏡を外していたようです。以下は夫の言葉。

「20代のころは、とにかく出世したかった。社長と仲良くなろうと太鼓持ちしていたよ。でもさ、もう十分引き上げてもらったと思ったら、今度は自分がまわりをフラットな目で見るようになったんだよ」

と。そして、夫は誰彼関係なく、面白い人を探すのが抜群にうまいんです。

「あなた、このビルの警備の○○さんって知ってる? あの人すごいんだよ。年に一度、まとまった休みを取って海外の心霊スポット巡りをしてるんだよ、筋金入りのオカルト好きだよ!   あの人面白いねえ、あとね…」

え…わたしも毎日会ってる人なのに、名前も知らなかった。そんな話を聞いたこともなかった。すれ違う人とは、挨拶だけをするものだ、って、周りがそうしているから同じようにしていたけれど、ちょっと突っ込んで話をしてみたら、こんなに面白い世界を持っている人じゃないか。(結局夫に頼んでオカルト好きの警備員さんと話す機会作ってもらった・笑)


まあ、人見知りしない夫だからこそのコミュニケーションかもしれません。色眼鏡を外しても、知らない人に話しかけるのはわたしには無理かもしれない。

だけど、今のキラキラした日々の生活なら、周りに目を向けることができる。困っている人を助ける少しの余裕、自分の意見をフラットに言う心構え、話しかけやすい雰囲気、それだけでも十分、わたしの人生は幸せになった。


これからは、自分の周りの人の役に立ったり、笑ってもらったり、少しずつでも周りに「楽しい」を作れる人になりたい。

歴史に名の残る経営者にはなれないかもしれないけど、それよりも今回の人生を、命ある限り楽しみたいと思っているから。



それじゃあ、また明日!



☆今日の過去記事☆

 

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