こんにちは、かんどーです。
今日はまじめなお話です。わたしは最近、自分の受けてきた教育がとても貧しいことを実感しています。「自発的に学ばなかったからだ」と反論されることが多いのですが、わたしが「学ばない子」として義務教育を終えたのは、ほんとうにわたしの自己責任なのでしょうか?
女の子は高校出たらお見合いしなさい
わたしは日本生まれの日本育ちです。信じられますか? わたしが高校を卒業する頃、母親はわたしに「高校を出たらお見合いをしなさい」と言ってきたのです。もちろん悪意ではありません。わたしの幸せを考えて導き出し、すすめてくれたのです。
しかし、学校内ヒエラルキーで最底辺に属していたわたしには、男性と接触する機会がほとんどありませんでした。そして、男慣れしていませんでした。学校は女子高、アルバイト先の男の人とは全然話せない。男は女としての魅力を放出していない女に優しくありません。ですので、差別意識がどうこうではなく、男と暮らすことが「楽しいこと」だと思えずに、母のすすめるお見合いを断って、進学や就職という道に逃げることを考えたのです。
情報が入ってこない
底辺高校でヒエラルキー最下層に位置していると、何も情報が入ってきませんでした。必死でアルバイトをして貯めたお金でなんとかパソコンを買っても、インターネットに接続するやり方がわからず、2回パソコンを捨てました。あのときインターネットに繋がっていたら、人生は変わっていたと思います。もちろん、繋がらなかったインターネットがわたしの欲望の根源になっているので、この人生もわたしは愛しています。
勉強するとどう得になるの?
子どもって真っ白なキャンバス。自我が芽生えたころに覚えた遊びは、ずっと「楽しいこと」として刻まれるでしょう。わたしの場合はゲーム。サウンドノベルとRPG。これらのゲームをしている時間が何もかも忘れて没頭できる、至福の時間でした。
当時のわたしは、勉強しなさいと言われても、まったくやる気を起こしませんでした。それは、勉強することで自分がどう変わるのかがまったく予測できなかったからです。今目の前にあるゲームは、没頭という大きなリターンがあることを知っていました。しかし勉強が何のリターンをもたらしてくれるのかが、まったくわからなかったのです。
「勉強したら、いい男の人と結婚できるのよ」
と言われましたが、そもそも男の人なんてどうでもいいので、リターンの意味を成しませんでした。政治に対して女性は口を出さない、という暗黙の環境もわたしを勉強から遠ざけていたように思います。政治は男の人がやるものだとずっと思っていました。社長も。部長も。女性はお母さんになるのだと思っていました。わたしはお母さんになりたくなかったので(男の人と暮らしたくなかった)、なるべく早く死のうと思っていました。勉強する意味はまだわかりませんでした。
スポーツ大会、女の子は男の子を応援しなさい
わたしは勉強は嫌いでしたが、学校で少しだけ楽しいと思える時間がありました。からだを動かす時間です。ダンスや水泳、長距離走がけっこう好きだったのです。
わたしが通っていた中学校では、年に一度のスポーツ大会がありました。運動会ではなく、男子だけが競技に参加するスポーツ大会でした。格闘技系が中心だったかな。授業の時間を削った何時間かと放課後の時間、男子は競技のトレーニングをしていました。そして女子は、応援するためのポンポンを作ることを強制されたのです。
転校してきたばかりで、誰ともこのことを話せなかったのですが、わたしは心底「おかしい」と思っていました。格闘技だってなんだって、やる方が楽しいに決まっている。応援するのは、その競技が好きになった結果の産物なのだから、女子も競技に参加すべきだと思いました。その上で、応援がしたい人は応援をすればいいと思いました。
興味もないのに応援を強いられるのがとてもつらく、わたしはこの期間中ずっと学校をサボりました。この頃から、差別されたらその場所から離れる、という行動がわたしの癖になりました。
社会に出たが何者にもなれない
結局、底辺高校から、夜間の短大に進んでみたのですが、卒業後の進路はパン工場のライン作業でした。それも、学校からの斡旋ではなく、求人情報誌でアルバイトとして自分で面接に行って、流れ作業のように工場のベルトコンベヤの、ある位置に配属されました。毎日流れてくる無数のパンをただ、二枚重ねてランチパックとして出荷されるのを眺めていました。手元を見なくても作業ができました。
何も考えない仕事で眠気と食欲だけと向き合っているとき、わたしは小さな世界に閉じこもっている気分でした。当時のわたしにとって、自宅と工場がすべてでした。わたしはランチパックされていました。
しかし根が好奇心旺盛だったので、求人情報誌を買ってさまざまな仕事に就いてきました。工場の夜勤をやりながら。
レストランでキッチンをやったり、ケーキの工場で働いたり。そのうち時給だけを見て仕事を選ぶようになり、女性にしかできない種類の高収入な仕事にもチャレンジしました。
女にしかできない仕事で様々な価値観を学ぶ
そうしていくうちに、わたしは「女にしかできない仕事」が一番稼げる仕事だと気づきました。パーティーコンパニオン、お座敷コンパニオンなどでした。(ほんとに運が良かったのですが、ここはお座敷でエッチなことをするところではなく、お酌まででした。一番激しくて酔った勢いでキスレベル)
この仕事で、一気に世の中のさまざまなことを学びました。女性はどんなふうにしているのがウケるのか、ということを最初に学び、次に男性社会でどんな会話が交わされているのかを学びました。そうしているうちに、本屋との接点ができました。あのひとたちが話していた〇〇って何だろう? という辞書的な意味でした。このころから、ビジネス雑誌を読むようになりました。
とてもアンバランスなのですが、この「女にしかできない仕事」をしている期間は、時給が高いので自分の時間が持てました。空いた時間に世の中のことを学ぶ余裕が生まれました。政治までは行きつかなかったけれど、ビジネス、経済の基本的なことはこの時期に学びました。
賢い人との出会い
いつまでも女を売っているわけにもいかないので、ビジネスの世界に転向し、必死で飛び込み営業などをしてきました。その頃、2005年くらいでしょうか。世の中が少しずつ女性に働けと言っているように思えました。働いている女性はカッコイイ、みたいな流れとも言えました。「共働き」なんて言葉もありました。今もあるか。
そうして仕事に没頭していくうちに、周りに賢い人が現れ始めました。彼らとの会話で、わたしは本で得た知識を必死にひけらかしました。わたしは小説だって読めるし、株取引の仕組みも知っている、最近のニュースのことだって知っているんだぞ…そんな気持ちで会話をしていました。
あるとき、賢い人の一人が、
「そのニュースは表面的に見たらそうかもしれないが、報道されている事実はゆがめられている。あのニュースには裏がある、それはこういう事情があるからだ」
まず、完全にわたしの頭を真っ白にしました。そして、こう言いました。
「君が見ている世界は僕らが見ている世界とは違う。君の話はどこかで読んだ、聞いたことばかりだ。君には自分の意見というものはないのか? それなら、つまらないから黙っていてくれないか?」
この瞬間から、わたしは殻にこもるようになりました。そしてしばらくするとまた本を読んだりして、自分の意見はこういうことにしよう、と決めてまた賢い人たちの前に出て自分を試す。打ち砕かれる、の繰り返し。どうやっても勝てないと思い、わたしは別の方向から切り込むことにしました。
バカキャラ
しばらく、バカをキャラにして生きることにしました。そうしたら少し生きやすくなり、心の底で賢い人を見下しながら(偉そうに話してるけど、それみんな知ってるよ…等、心の中でバカにしながら表面的に人を立てるということを覚えました)会話が楽しめるようになりました。
バカキャラうめえ。楽しい。バカなふりして人に近づくの楽しい。
バカは遠回り、教育があると近道を駆け上がれる
こんな生き方をしてきて、今思うのは、教育をある程度受けている人は優しいということです。バカキャラを演じて人を小ばかにするような意地の悪さがないし、そんな面倒くさいことをする必要がない。結果として素直な自分で人とつながれる。
知らないことを知らないと素直にたずねたり、知っていることを人と共有することで盛り上がれたりするのです。そこに駆け引きがあったとしても、彼らは自然にそれをするし、ガス抜きの場も自然につくっている。
教育、社交、人脈、実力、運…すべてのものが繋がってみえました。
こんなに無駄な時間をたっぷり過ごしてきて、やっと気づけました。教育って大事なんだなと。ひねた考えを持たずに、疑問に思ったことを素直に話して、意見の相違があれば議論を交わす。たったそれだけのシンプルな経験が、人を直線コースで進ませるのだと感じています。
最後に。
勉強嫌いは自己責任かどうか。わたしには弟がいます。彼は男であるというだけで、わたしよりたくさんの教育費をかけて育てられました。わたしは彼と自分を相対的に見ることで自分の位置を知った側面もあります。これは、一人っ子の多い現代では考えにくいかもしれません。
勉強嫌いは、自己責任も一部あるけど、環境によるところも大きいと思います。環境がチャンスの回数で、そこにいつ乗っていくかで人生が決まると思います。チャンスを与え続けた子どもと、チャンスが一度しかない子ども、どちらが成功しやすいかは明白です。
わたしは負の連鎖を起こすつもりはありません。子どもは「産まない」か、「教育熱心に育て上げる」かのどちらかです。放任や、遊ばせるつもりは微塵もありません。この頑固さは、わたしのコンプレックスの現れですが、自分ではどうすることもできないのです。
バカなまま死ねば良かったと思っていたこともありますが、生きた標本として、時代の犠牲者の側面も、わたしが語ることで伝わればいいなと思います。脳内の一部を時代に強制操作されて思考停止させられていたように感じる。洗脳とか、簡単だろと思う。
しばらく、教育格差について自分の中で考えていきたいと思います。
書いていてとても疲れたので、明日は普通の話をしたいです←
それじゃあ、また明日!